見出し画像

この仕事を選んだわけ

私はいま不動産総合ディベロッパーで働いています。
この仕事を選んだのには「地方の暮らしに携わりたい」という思いがありました。もともと、父方の実家が青森市、母方の実家が藤枝市にあり、幼少期は割と藤枝にいることが多かったため、首都圏⇔地方の行き来を通じて、暮らしやすさ(自然の多さや利便性)の違い、文化の違いを肌で感じることが多かったです。その経験の中で、祖父母がいる地方のほうが新しい情報が来るのが遅かったり(流行しているお店が東京にしかないとか)、交通網も不便を強いられることが多い実態に疑問を抱いていました。

すべてを等しく、とまでは思いませんが、もう少しその地域に必要なインフラや暮らしを豊かにするエッセンスがまんべんなく日本全国にあってもよいのでは、と。
大学のゼミの研究で、「東北新幹線開通による青森市への経済効果」という論文を書いたのですが、それを書く過程でも、新駅開発による地方行政への負担や、結局地元がものすごく努力をしないと新駅の経済効果が増えていかないもどかしさを痛感し、エリア全体で関われる不動産ディベロッパーを目指しました。

地方といっても、東名阪の地方ではなく、人口10万人切るような地方都市と向き合ってる会社がいいと思い、今働いている企業を選びました。
入社後、東日本大震災の復興PJに携われたのは、やりたいことを面接時から言い続けたかもしれませんが、入社して4年間、岩手県釜石市と向き合い続けることができました。

ただ、総合ディベロッパーのため人事異動はつきもの。いまは首都圏の仕事を中心に行っており、なかなか地方開発や地方の暮らしに紐付く仕事ができません。暮らしに関われるので、今の仕事も嫌いじゃないですが、もともとやりたかったことを100%できていない状況を打破したく、プロボノ応募に至りました。
詳しくはこちらのnoteをご参照ください。

就職すること=一生を決めることではない時代になっています。大学生のときに今一番やりたいことを選べるその瞬間、目の前にやりたいと思えることがあるのなら、それを基準に会社を選んでいいのでは?と思っています。
現に、私はもっと大きな会社もあったしもっと福利厚生が充実している会社もあったなか、やりたいこと基準に会社を選び、会社のなかでやりたかったことを実現できました。
いまは半分くらいやりたいこと、半分くらいやりたくないことになってしまったから、やりたいことを外に作って、毎日充実した日々を過ごしています。

この仕事を選んだのは、その時地方開発がやりたかったから。
なぜやりたいのかは地方と向き合い、その課題を見つけたかったから。そうすることで幼いころからの疑問である地方と首都圏のアンバランスさへの答えを見つけられると思ったから。

もしいま会社でやりたいことができない人がいたら「会社を選んだ時何をやりたかったんだっけ?」「なんでそれがやりたいんだっけ?」「どうしてそう思うようになったんだ?」って、自身になぜをぶつけてみるといいかもしれません。会社の中にやりたいことがないなら、外に見つけてもいいのだと視野を広げると意外とチャンスは転がっています。

私は、今後「諦めない暮らし」を作るために、自分のやりたいことを実現できる環境を自分の手で作っていきます。そのためには今いる会社との交渉もあるかもしれないし、起業という一山を越えなければいけないかもしれないけど、それすらも楽しいと思えるように、仕事をしていきたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?