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なんだか長くなったけど、日記12/18

「社会」って、なんだろう。
私は、よく考える。

子供のころから、時間を守ることができなかった。
部活では厳しい上下関係や活動のハードさについていけず、
仲間と溶け込んで音楽に熱中することができなかった。

大学でも、音楽を専攻することになり、楽しく自由な思いもあった半面、
「勉強として」(=将来の仕事として)勉強している、、、という
不具合な考え方で、芸術である音楽を勉強していた。

そもそも、音楽、表現だから、自由でいいのん。
ってか、自由にしたのが音楽になる、つながるっていうか、なんていうか。

「音楽」って言葉が、私にとって、よくないのかもしれない。
うた、とか、おどり、とか、絵、とか(美術だけど)、、、
そういうのがいいのかもね。

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社会って、目に見えないものなのに、はっきりと人々の心の中(もしくは頭の中)にあるような気がする。
姉は前にこう言ってた、「学校っていうつくりがいじめだ」。

私も強く共感した。

何が言いたいかというと、訳すと、
ものの良し悪しや考え方の正解・不正解を先生という一人間によって決められてしまい、
価値観を一つに束ねられて生きること。まだ、世界を知らない子どもなのに。集団から孤立することができない。安心して、一人で考えたり、行動したりする場面が少ない。
それが、姉の言う”いじめ”って意味だと思う。
(最後のほうは、私の実感も含んでいるかもしれない。)


今まで、無理して私は、いわゆる「社会」というレール?や「普通・一般」のカテゴリー分けにはみ出ないように頑張ってきた。それはもう、今考えるとものすごいいろんな努力をしていたと思う・・・(親に感謝)。
でも、無理をして、何かをする必要は、全く、ほんとうにまったく、ないんであると・・・。
何かをしようとしたとき違和感を感じたのは、小さいSOSなんだから、見捨てない。自分の心の声は、自分で拾う、っていうか、自分にしか拾えない。。。
冗談交じりで”社会不適合者”と言われたり、「半分病気だよね」とも言われたことがある。それがなんなのか、子どもだからわからず、笑って見過ごしてたけど。
今は分かる、少しは。子供だから、具体的になんなのか教えてほしかった、、、という気持ちはものすごくあるけど。。。
私に与えられた試練は、決して他人に求めたり期待せず、安心して笑っていられる場所を自分で見つけること。

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あれ、なんの話を書いていたんだっけ・・・(笑)

そうか、社会、の話か。
とにかく、生きていることだけで素晴らしいのさ、
それは等しく誰でもそうで、
水が飲める、ご飯が食べられる、太陽を浴びられる、ゆっくり寝られる。

それだけで、動物としての人間は、十二分に生きている意味があるんだと。

学校に行ってる・行ってない、会社に行っている・行っていない
うちでゲームばかりしてる、漫喫にばかり入り浸ってる、
運動しない、ポテチとコーラ飲んでTV見てる、

そんなの、どうだってかまわないらしい。
人が、ただ、みんな同じように母と父から生まれてきて、
毎日を生きているだけだから、それだけでいいんだから、
自由を奪う権利も誰にもないし、奪われる権利もない。

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なんだか、独り言で深夜になってきて
まとまりがない文章をだらだら、、と書いてしまった。
お読みいただきありがとうございました:)


p.s. 「社会」っていうのは、「人の集まり」だと、今日、友人の結婚式に向かうときに思ったんだった。・・・まあ、普通の結論でしたけどww


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