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あの日のクロワッサンを追って


こんにちは みょーです。

この記事はnoteのコンテスト『おいしいはたのしい』に向けての記事です。




若手パン職人の目標



『目標は高い方がいい』

誰もが聞いたことのある言葉だと思う。22才になり、パン製造を任せてもらえるようになった僕には目標があった。『県下の若手で一番のパン職人になること』だ。具体的に何かをするわけではなかったけど、忙しい毎日を乗り越えるには良い目標だった。


『モノ作りにゴールは無い』

『満足をしたらそこで終わり』


偉大な職人たちの言葉を胸に刻んで自分の技術を高めることに時間をかけた。特に僕が苦労したのは“クロワッサン”だった。



クロワッサンとの戦い



おいしいクロワッサンと言えば……答えは無い。食感はパリパリなのかふわふわなのか、大きさはどのくらいが好みなのか。人によって求めるクロワッサン像は異なり、クロワッサンの理想は幅が広い。しかし、若い職人がぶつかる壁はそこではない。


単純に『作るのが難しい』のだ。

クロワッサンはパイの様に、バターを包んだ生地を折りたたんで伸ばす工程を何度も繰り返す。それによって何重にもなった層ができるのだ。バターの質も食感を左右するが、何よりも大事なのがこの作業だ。


クロワッサン作りでは、この折りたたみの工程に一番手間がかかる。そのうえクロワッサンはせっかちだ。時間をかけると発酵が進んでしまうし、生地が緩んでどんどんやわらかくなる。そうなると、伸ばしてたたんで薄くなったパン生地がさらに破れやすくなり、そこに少しでも穴が開いてしまうと、中のバターが出てきて層が潰れてしまう。

繊細でスピードが必要となる職人泣かせのパン。僕はいつもクロワッサンの仕込みの日には、妙な緊張感とワクワクを覚えた。ドラゴンボールの主人公になった気分だ。


同じ専門学校出身の後輩を補助に着け、工夫をしながらクロワッサンと戦った。そうして毎日クロワッサンと向き合っていると、目に見えて予約が増えるようになった。僕は悲鳴をあげた。3ケタ単位で注文が入るようになったからだ。もちろん自分の技術が認められたことは嬉しいが、『嬉しい悲鳴』と片付けられない情けない叫び声が口から出た。

それからは、もっと速く、もっと丁寧に、もっとおいしいクロワッサンを追い求めた。気温が高い日には冷凍庫や冷蔵庫を使って作業の合間に生地を冷やしながらクロワッサンを折り、気温が低い日には後輩に技術を教える余裕も出来た。


しかし、満足のいくクロワッサンは一度も出来なかった。

僕には理想のクロワッサンがあったのだ。



奇跡のクロワッサン



専門学生の時、僕はパンの師匠に出会った。

その人は県下の有名なパン屋さんのオーナーで、若い職人を育てることに本気で取り組んでくれる、今の時代には珍しいオジサンだった。


そんなオジサン先生は僕を“わりことし”と呼んだ。土佐弁でやんちゃ坊主という意味である。「オレがやんちゃなんじゃなくて、周りが真面目過ぎるだけだろ」とふてくされたせいで、余計にそう見えたんだろう。

オジサン先生は、いつもその日の授業を成功させることではなく、生徒が就職した時に役立つ技術を優先して教えてくれた。だからクロワッサンの授業で一番大切な「生地を折りたたむ作業」は、パン屋志望の生徒を優先してやらせてくれた。たった6人くらいだったけど。


その作業の途中、誰かが折る方向を間違えた。オジサン先生は真っ先に僕を疑った。でも残念なことに、まだ僕は生地に触っていない。オジサン先生は笑いながら謝ってくれた。

そんなハプニングもありつつ、楽しく進んだクロワッサンの授業の結末は意外なものだった。


パン屋の特権は、あの匂いを毎日嗅げることではない。焼きたての熱いパンを真っ先に食べられるということだ。一度その味を知ってしまうと、市販のパンで満足することは二度と出来なくなる。

そんなワクワクを知っていた僕達は、意気揚々とハプニングクロワッサンを口にした。その時、とんでもないことが起こった。


あまりにも美味しかったのだ。オジサン先生が黙ってしまうほどに、そのクロワッサンの出来は素晴らしかった。

味だけではない。食感も大きさも何もかもが完璧で、オジサン先生は「奇跡のクロワッサンや」と冗談っぽく笑い、それを見てみんなも笑っていた。でも、僕は先生が小さい声で「どうしてこんなに上手くいったんやろなあ……」とつぶやいていたのを見逃さなかった。だからホントに奇跡だったんだろう。


そんなオジサン先生は、数年前に病気でこの世を去ってしまった。先生のおかげで僕はパン屋として独りで立つことが出来たのだ。もはや親のようなものだ。

僕がパン職人となり、クロワッサン作りに悩んだとしても、もう先生に作り方を聞くことは出来ない。あの日の授業をもっと真剣に聞いておけば良かったと何度も後悔した。


もう二度とあのクロワッサンに追い付くことは出来ない。

だからこそ僕は頑張れたんだと思う。



目標は高い方がいい



僕が24才になる年、ヤクザのような社長とケンカしたことで唐突に店を辞めた。そのせいで後輩が僕の代わりを務めなければいけなくなった。

ある日、お詫びも兼ねて後輩を含む何人かと飲みに行ったことがある。そのときに聞いた話によると、僕の代わりを見つけるまでに5人以上もの人が入れ替わったらしい。そりゃ一年で店を任せてもらった僕の代わりなんていないだろう。この先輩が頼んだ枝豆を全部食べてしまう失礼な後輩以外には。


だから僕はこんな質問をした。

「お前、クロワッサン一人で作れる?俺が教えたっていっても全部一人でやったことないやろ?」


イヤなおじさんみたいな感じになったが、純粋に心配だったのだ。決して枝豆を食べられなかった恨みではない。後輩は「みょーさんの作ってるのをずっと見てたんで大丈夫です」と言った。

そんなんじゃダメだ。一生かかっても僕のクロワッサンを超える日は来ないだろう。


僕の目標は『奇跡のクロワッサン』だからだ。

毎日追い求めて、工夫して、全力で戦っても作れなかった、あの日のクロワッサンだ。それに比べると後輩の目標はあまりにも低すぎる。僕は照れる気持ちを隠しながら「やっぱり、お前はまだまだやな」と答えた。

僕は追加の枝豆を頼み、パン屋を辞めてしまったことを少しだけ悔やんだ。


もし、またパン屋に戻ることがあれば、今度こそ最高のクロワッサンを作りたい。たぶん作れる日が来ることは永遠にないだろうけど、どうしてもあの日のクロワッサンを作ってみたい。

思い出になってしまった、おいしくて楽しくて少し寂しい、奇跡のクロワッサンを、もう一度だけ味わってみたい。




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