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夏の列車に手を振る

濡れた夏草の匂いも、中華料理店の裏手のムッとする暑さも、カランと音を立てて溶ける氷も、たぶんみんな去ってしまった。

カレンダーに「夏の終わり」は記されていなくて、なにげなく眺めているだけで、すこし切ない。季節はさよならを言わない。「用意されたさよなら」をするのは人間だけだ。人間の私は、だからすこし寂しい。

いい夏だったとは言えないな、と私は思う。

海へは行かなかった。忙しさを理由に、花火へも故郷へも行かなかった。理由にした忙しさは実体がなく、掴もうにもするりと指の間からすり抜けてしまう。

いつかの夏、砂浜で拾った白い貝殻と鳥の羽根が、ひとつの瓶に閉じこめられたまま、いくらか戸惑った様子でこちらを見ている。その乾ききった瓶の中に、いつの間にか私もいる。

「・・・― ― ― ・・・」

瓶の縁を伝って、SOSの信号が送られる。海はここからとてもとても遠い。

そう、とても遠い……  けれども、そこへ行く道のりなら分かる。乗るべき列車も、着ていくのにうってつけのワンピースも、似つかわしい薄青のイヤリングも。

特急切符を差し出せば、風が夏草をかき分けて海まで導いてくれる。

8月はあと何日だろう? カレンダーを眺めたまま、頭の中で算数をやってみる。Things to do は残り何個? 仕事の進捗率は何%? 株価はどれぐらい変動している? 預金通帳にいくらあったら、時間は買える?

子どもの頃の算数は、ただ正しい数を知るための計算問題だった。大人になってする算数はいつだって、どちらかといえば面倒な感情の問題だ。

セイヨウハッカ、ローズマリー、オニサルビア、レモン、スペアミント、ユーカリ、バジル。

香りの成分がブレンドされた、スーと熱が引いていくようなボディソープで、私は体をすみずみまでゆっくり洗浄する。

たいしてお出かけをしなかったわりに腕も足も日焼けしている私の肌。何かあったようで何もなかった、何もなかったようで何かがあった夏の肌。

お風呂上がり、ぬるく湿った夜風が心地よくて、ベランダにたたずむ。気配とも音ともつかない雨が降っている。久しぶりの雨は、ちょっと舐めてみたいような、甘ったるい匂いをしている。

SOSは気まぐれな憂いのせいだったのだろうか、いま心は凪いでいて、閉じ込められたような気持ちはどこにもない。

街の音にまじって、ゴトゴトと列車の音が聞こえてくる。ビルや家に隠れ込んで普段は全く見えないが、鉄道の線路が北に向かって走っているのを、私は知っている。

列車はすべらかに雨を押しのけ、ひと夏の思い出のように、夜の街を走り抜ける。海の香りと、余熱を抱える人々をいっぱいに詰め込んで。

列車は海から来たのだ、そして次はどこへ行くのだろう。

たとえばどこか遠く、離れるにつれて色褪せていってしまう奥深い場所へ。優しくかさなり合った夏草がすべてを覆い隠す、秘密の場所へ。

セイヨウハッカ、ローズマリー、オニサルビア、レモン、スペアミント、ユーカリ、バジル……

洗い上がりの良い香りは、かすれていくにつれて私そのものになじんでいく。

私は心の中でそっと手を振る。

その列車に乗っている、見知らぬ人々に向かって。

あるいは窓ぎわの席でぼんやり頬杖をつき、窓ガラスに垂れる雨粒の行方をいつまでも目で追っている私に向かって。







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読んでくださってありがとうございます。朝のTwitterからイメージをふくらませて書きました。

ようやくすこし涼しくなり、過ごしやすくなりましたね。

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