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ときどき自意識が苦しくなることがある。過去のふるまいや言動、趣味、ありとあらゆる自分事が恥ずかしくなって消してしまいたくなることがある。 今となってはまるで他人のようだとすら思える過去の自分も、誰かにとっては事実の記録として記憶に残されているだろうことが、やるせなくなる。 そういう時、私は街を歩く。街には人がつくった光と未来があふれていて、私ひとりの体温も感傷も、その大きな装置の中に呑み込んでくれるような気がする。 先週、女ともだちとの約束がなくなった日、私は目についた
#でもふり が届いたのは、ひとりでゆっくり過ごしていた土曜日の午後。指先で書き手の心に触れるみたいな気持ちで、ゆっくり読んだ。初めて読む本を初めて読めるのは一回だけ。だから、その時間をまるごと味わいたくて。 『でも、ふりかえれば甘ったるく』。とっても、素敵な本です。 10人の女性が語る、それぞれの「幸せ」について。 明るくほがらかに、時には静かに、息をつめるようにひそやかに語られているモノローグに、心がすっとしみ出していくような感触。 「どうして他人と自分を比べてしま
広島県立美術館で開催中の「ターナーからモネへ」(英国ウェールズ国立美術館所蔵)。十九世紀から二十世紀の初頭にかけてイギリスとフランスで活躍した画家たちによる、作品七十点余の作品が展示されている。美術館と隣接している縮景園、桜の見どころは過ぎただろうか。広島市内に用事ができたので、足を延ばすことにした。 写実主義や印象派、印象派以降の作品を、順を追って観ていく。と、知ったかぶりをして館内を歩く私は、実はアートについてほとんど知識がありません(ごめんなさい)。音声ガイドの丁寧な
二乗してマイナスになると仮定される数がある。 √-1 そんな記号に気づいて、私は思わず夫の本に見入った。高校生のとき「虚数」として学んで以来だ。なつかしい。なんとなく得意な英語の道にすすむのだろうと英語の本ばかり読んでいた私にとって、それは本当に本当に悩ましい謎だった。 和英辞書をひくと虚数はimaginary numberとあった。imaginaryは「想像上の、架空の」という意味で、もちろん実在しないもののことを指す。ありもしない数字を学ぶことが社会のどの部分で役立
読んだり書いたり考え事をしたりしている時、いつも意識の中に「大人になる」ことへの恐れがあって、文章ににじみ出ているから、ひやひやしてしまう。 年齢的にはもうれっきとした大人なのに、まだ逃げられると思っているなんてと人には笑われそうだけれど。それに、大人って、逃げた先で捕まってなるものではない。 なりたかった大人になったような気がしない、なんて私は子どもっぽくつぶやいてしまうけれど、私はなにを怖がっているんだろう。責任を担うこと? 変容すること? 色褪せること?
とってもうれしいお知らせをさせてください。 2018年3月9日発売の本『でも、ふりかえれば甘ったるく』に、「大人になるのは、きっとそれから」という甘い文章を書き下ろさせていただきました。 eryさんの表紙もおしゃれな、すてきな一冊。10名の女性によるエッセイ集です。ぜひチェックしてみてください。私も今から楽しみです。 ㈱シネボーイの出版レーベル 「PAPER PAPER」よりリリース 悩みながら、もがきながら、 噛み締めながら「今」を生きる。 女性9人が自分らしく想いを
アイコンを変えました! 以前のはこれです。↓ さて、このnoteを見てくださった方へすこしだけ共有させていただきたいことがあります。いま、春の発刊を目指してリトルプレスを作っています。 作品を丁寧に綴じていくことと、発表すること。もうすこしつきつめるなら、おそれずにdiscloseすること。リトルプレスは、その第一弾です。 2018年、書きつづけているまいもを、どうぞよろしくお願いいたします。 --- ヘッダー画像、「みんなのフォトギャラリーβ」で見つけた、素敵な
神社の鳥居で待ち合わせだった。 カンカンカン、ジジジという音が広々とした空間に響いていた。鳥居の向こうには、おそらく初詣のための何かが組み立てられており、人々がせわしなく動いているのが見えた。日差しは明るくやわらかかったけれど、空気はぴんとはりつめていた。一年の終わりの気配が、いたるところにあった。 待ち合わせの一時まであと十五分。 参拝をして絵馬を眺めた。日々のささいな幸せを願うものもあれば深刻なものもあり、アイドルのライブチケットあたりますように、とかもあっ
届いた新しいクレジットカードを財布に差し込み、古いカードにハサミを入れるのはすこし切ない。何てことない作業なのに、過ぎ去っていった時間を意識させられる。 いろいろなモノを片付けるこの時期、過ぎ去った時間や、離れてゆくあらゆる記憶のことを想ってふと手を止める。目に見えないと思っていた時間は、時々こんなふうに見えてしまうから切ない。パチパチと切った爪の先や床におちた髪の毛は燃えるゴミで出せるけれど、期限の切れたパスポートや前の名刺は、引き出しの奥にしまい込んでいる。もう私の
私は前を向くことにこだわりすぎかな、と思う。 時には周りの人の助言を振り払って、ぐんぐん進んでしまう。 立ち止まると小さな現実に封じ込められそうな気がして、進むとその外側へ踏み出している実感がある。 ふと、子どもの頃遊んでいた「人生ゲーム」を思う。いま考えると、とてもふしぎなSTARTからGOALまでの旅路。 いろいろな職業に就くことや、ある日とつぜん大富豪になることも破産宣告を受けることも信じられなかった。少なくとも私の周りの大人たちは、誰ひとりとしてそんな
はじめて憧れた外国は、スクリーンの向こう側だった。 木曜と金曜の夜、私は妹とテレビにくぎ付けだった。魔法にかかったような、あっという間の映画の時間。自転車で空をとんだり、死体探しの旅に出たり、大人たちを出し抜いて財宝の船を獲ったり。映画の子どもたちは靴のままソファで犬とじゃれあい、こっそりとサンドウィッチをつくって夜の旅に出る。とっても、うらやましかった。かっこいいなあ。 最初に憧れたことの記憶って、きっと誰にでもあるんだろう。 今でもその時の恋みたいな気持ち
日常をはずれて時々へんなことをしたがるのは、ほんのささいな毒のせいかもしれない。あるいはそれを人間らしさと呼ぶのかもしれないけど――ちいさなテントを和室に張り、カンテラを灯した。だって仕方ない、キャンプに行けなかったのだから。 雨に閉じ込められる週末だった。耳を澄ませば、潮騒の音に聞こえる(ということにする)。本棚から一冊を選べず、あれもこれもつまみ読みする。バスチアン少年は自分だけの本に出会って、『はてしない物語』を旅した。これは私のことだと感じる本は、大人になるとふ
赤と青の信号がふたつとも点いている交差点で、長いことずっと立ち尽くしていた。どのくらい長いかというと、もう何年も。 競争はきらいじゃないけど、負けることはイヤだった。だから夢中で走ってはきたのだけれど、これからどうしたらいいんだろう。信号機は、こわれてしまった。 私は頭の中でルールを確認する。「青はススメ、赤はトマレ」。交差点は笑いさざめく人々でごった返し、クラクションは空に高く響いている。どちらも点いていたら、立ち止まったほうがいいのか。わからなくなる。渡りたい
眠りに落ちる瞬間、フワッと体が軽くなって、疲れがどこかへ吸い込まれていくようなあの感覚は大好きなのだけれど、最近は気がつけば朝だったなんて日ばかりで、慌ててベッドから起きだすことがほとんど。 「おやすみなさい、良い夢を」 眠たくてどうしようもなくて、好きな人へのメールさえ、ありきたりの言葉で結んでしまったり。 夕方、ショッピングモールを歩いていた時、手をつないだ親子とすれちがった。子どもがおかあさんに聞いている。 「それって、よる、寝たあと?」 「そうよ」 二人