マガジンのカバー画像

my手帖

177
エッセイ
運営しているクリエイター

2018年9月の記事一覧

祈りみたいな夜のこと/Playlist CmM7

好きなアーティストの歌詞を、眠る前しずかに読む。 誰にだってそういう、祈りみたいな夜があるのだと思う。 「今日あの人が私に言った言葉には、ほんとうはどんな意味があったのだろう?」 ……なんてことをぐるぐる考えるより、ずっと誠実な時間がそこにはある。 ひととき、部屋はしずまり返る。低く唸る乾燥機の音さえも、ぴたりと止んだ。 あ、ここ韻を踏んでるんだ。この言い回しは素敵。この英語の意味は、と。 そうして考古学者みたいにていねいに歌詞に目を這わせていると、くだらないいくつ

世界を切り取る/hocus pocus

ときどき、人にはささやかな魔法が必要なのだと思う。 たとえば、決してそんなはずはないのに、「これは自分のために書かれたのだ」と感じる文章のような。 その一節、一行が引き金になって、ふだんのなにげない生活にひそやかに溶けこんでいた感情が影絵のように映し出されると、私はいつだってこの世界は思ったほどには悪くないと安心する。そして、なにか苦しめてくるものがあるとすればそれは自分自身なのだと気がつく。 おそらくそれは世界の切り取りかた、つまり自分と自分以外をどのように見、どのよ

いつかやり直そうと思う時が来るなら

途中退場は挫折だろうか。 名刺に「ライター」と上書きして一年くらいは、ずっとそんなことを考えていたような気がする。会社を辞めてしまったことに関する罪悪感のようなものが、心のどこかにあったのかもしれないけれど。 私自身まだサーカスの綱渡りみたいな心境が否めないし、ときどき真っ逆さまにネットへ落ちたりもしているけれど、どんな媒体の何であれ、書いたものが喜ばれるのはとてもうれしいことだし、何よりも「生きているな、私」という実感がひりひりと湧いてくる。誇らしい気持ちになることさえ

ひとつの恋の、短い約束たち/"Delete", goodbye midnight highway

まだまだ続きそうな誰かの送迎会を、二人でするりと抜け出した。生ぬるいゼリーの中をゆくような夏の宵、行くあてもなく、金曜の人混みを縫うように進んだ。手をつなぐと一瞬火花が走り、それからじっとりと指先が濡れていく。 派遣社員の契約が終われば私の送迎会は来月だ。でもそんなことはどうでも良かった。水槽から放たれた魚のように、私たちはいま自由だった。Aと私は、歓楽街の真ん中をしずかに歩いた。今月で去る女の子へ渡しそびれたプレゼントが、バッグの中で少し重たい。 「就職決まったの?」

レモンクリームソーダ・フィロソフィ

誰かと約束があるわけでもないのに、おめかしをして出かける。 ロマンティックな黒いティアードのワンピースと、白い靴。タグをぱちんと切ったばかりの、おろしたての装い。 風がサーッと、夏の名残を漁るように這って行く。髪が頬にあたってむずがゆい。だけど私は上機嫌だ。ひそやかに新しい服を着て外を歩くのは自分のためだけの甘やかしで、ほかの誰にも気づかれないのも殊の外良い。 学校帰りの小学生にまぎれて得意げに歩いていたら、床屋さんのウインドウに自分が映った。なんだか黒ずくめの未熟な魔女

ノースリーヴ・メロウと夏のあとがき/tie the “Sparkles”

ノースリーヴの季節が終わる。 透けるリボンも、ピーコックブルーの羽のついたイヤリングも、砂糖水とレモンの自家製レモネードも。 ここ2カ月ほど、ぼんやりと考えていること、ふと閃光のように思いついたこと、ただ好きなこと、強い風に流される雲を虫とり網で掬うように書いていた。全部は拾いきれないからこそ、すこしでも残せて良かったと思う。きっと未来の私はいくぶんの恥ずかしさをもって、ドリーミングな己をふりかえるんだろうけれど。 いいことも悪いこともあった。時間をむだにしたと感じるこ