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Cover Art Review: Lianne La Havas “s/t”

フィルムらしい白黒で粒子の粗い質感。それにとても大きな髪。わざと乱しているのか腕はブレて目元も隠れてしまっている。その分、髪の奥に見える微笑みが印象的だ。背景は建物の外壁がぼやけて模様のように写り込んでいる。前作から約5年ぶりに発表されたリアン・ラ・ハヴァスのサード・アルバムはとてもラフな写真で飾られている。

この写真はシンガー・ソングライターのブルーノ・メジャーによって撮影された。それはラ・ハヴァスと一緒に「Read My Mind」の曲作りを終えた後に撮られたもので、メジャーがライカを手に取ったのは朝日が昇ってきた頃。二人はそれまでソファに座り込んでジンを呑みながらお互いの歌を歌い明かしていた。

リリースから数ヶ月経つとロンドンはラウンドハウスで披露された弾き語りのライブ音源集をリリース。植物が枯れては再び花を咲かせる自然のサイクルからインスピレーションを受けて制作された本作の物語を象徴するように、この音源集のカバー・アートには植物の写真が使われている。同じ画像を回転させながらサイズを変えて重ねることで単調なスクエアのイメージに奥行きを持たせている。素材が少なくても手軽にできる良い方法だ。

疲れを癒すために最近のラ・ハヴァスは自然の中で過ごしたり植物の世話や長めにお風呂に浸かるといったことから息抜きになる瞬間を見出している。こうした日々の繰り返しを大事にしているラ・ハヴァスにとって自分の髪を整えることもまた喜びを感じる瞬間のひとつ。櫛でもつれをほぐしたり、ツイストさせるだけでとてもリラックスした気分になるという。

幼いころのラ・ハヴァスにとって髪が伸びていくことはとても大きな悩みだった。ジャマイカ人の母とギリシャ人の父を持つラ・ハヴァスは自分のアフロカリビアンヘアをいつも真っ直ぐ滑らかな状態にしたかったが、その方法を知る人は自分も含めて家族にはいなかった。母は常に髪を編んでいて、ヘアエクステンションを使っていた。父は簡単に手入れができる短い髪型。両親は別居しており母と祖父母のもとでラ・ハヴァスは育てられた。郵便配達員の母は朝早くから晩まで働いていた。

やがて「ノーベリー・マナー・ビジネス・アンド・エンタープライズ・カレッジ」という女子を対象にしたセカンダリースクール(日本でいうところの公立中学と公立高校を連結させた学校)に進学すると、後に出会ったミックスの女の子から手入れの仕方やどんな製品を使えばいいのかについて教えてもらうことができた。ラ・ハヴァスがYouTubeを見始めたのはこの時期からになる。

18歳になるとジャズ・ギタリストのエミリー・レムラーのレッスン映像を見ながら独学でギターを弾くようになった(ギター自体はマルチ・インストゥルメンタリストでもある父から紹介されたもので「ラ・ハヴァス」という芸名も父の苗字に由来している)。曲作りに真剣に取り組むようになったのはこの時期からだ。2010年に20歳でワーナー・レコードと契約。22歳でファーストアルバム『Is Your Love Big Enough?』をリリースし、デビューを果たした。

キャリア初期のラ・ハヴァスは、撮影の度に頭の片側で髪をひとつにまとめる「バン」と呼ばれる髪型にしていた。それはファッションのためではなく髪が邪魔にならないように一度やってみただけの髪型だったが、ラ・ハヴァスの「髪」を理解していないレーベル側はその方が見分けがつくからという理由でこの髪型を維持するべきだとアドバイスを出した。

無名だったラ・ハヴァスが世界から注目を集めた老舗音楽番組「ジュールズ倶楽部」に出演した際の髪型はまさにこの姿だった。実際こうして作られたイメージは功を奏したのだろう。日本でもデビューしたばかりの頃はショップもファンもそのキュートなルックスやチャーミングさについてよく触れていた印象がある。そうだとしても「白人」のミュージシャンが相手ならまず考えないアイデアだ。顔は同じなのに髪型が変わったらラ・ハヴァスかどうか分からなくなるのだろうか。今となっては滑稽なことだと皮肉を込めて振り返るが、ラ・ハヴァス自身がそれを楽しもうとしていたのも事実だった。決して強いヴィジョンを持っていなかったわけではなく、早い時期から成功を掴んだラ・ハヴァスは周囲から寄せられる意見にただイエスと頷いていた。

デビュー当初、この往年のR&Bのイメージを纏ったタイプのシンガーでもなく、ギターを弾きながら歌うアフロヘアの女性をレーベルはどこに置くべきか分からなかったとラ・ハヴァスは指摘している。その違和感に気づいたのは母の故郷であるジャマイカでの休暇から影響を受けて自身の「ルーツ」に向き合ったというセカンド・アルバム『Blood』を制作している時だった。マネージャーやサウンド・エンジニアなど自分のプロジェクトに関わる「黒人」のスタッフが一人もいないような気がしていた。当時のレーベル内のマーケティング・チームは「白人」の男性が多くを占めていた。その頃「黒人」の重役はR&Bやグライムなどを主に担当しており、こうした環境でラ・ハヴァスは、自分が「黒人」のミュージシャンとして扱われていなかったと話している。

2016年に発表されたイギリス最大の音楽賞であるブリット・アワードでは、ストームジーやノベリストの躍進によってグライム・シーンがもはや無視できない状況になったにも関わらず有色人種の功績がことごとく無視されたとして論争が繰り広げられていた。この時SNSで拡散されていた「#BritsSoWhite」について(自身もノミネートを逃した一人だった)ラ・ハヴァスは「人種差別的で根拠がない」とツイートしたことで批判を受けてしまい、結果的にツイッターとインスタグラムを長らく休止せざるを得ない事態になる。

元の内容は賞の有無に関わらず、才能は評価されるものだからハッシュタグに自分を含めないようにして欲しいという意図だったが、この問題はそう単純なものではなく、遡れば400年以上も前に西欧によって行われた人類史に残るアフリカからの強制移動とアメリカ大陸/カリブ海への侵略そして植民地支配から続く構造的な差別と地続きにあるため、現状の体制を是としたままのラ・ハヴァスのコメントは逆に差別を賛同しているように受け取られてしまった。想いとは裏腹に文章から切り取られ拡散されてしまった箇所は「黒人」の母と「白人」の父を持つラ・ハヴァスのその両方を認めたい、または認めなければいけないと思う気持ちが引き鉄になり発せられた言葉だった。

先の「#BritsSoWhite」の騒動から数年後の今でもラ・ハヴァスのもとにはネガティブなメッセージが届いている(この件以降、自信を失い批判を恐れて発言することが怖くなったことを後に告白している)。あの時、何が問題かをアドバイスしてくれたり味方になってくれる当事者がレーベルの内部にはいなかった。それからは今まで知っていると思い込み、学ぼうとすらしてこなかったことを学び始めた。ツアーとプロモーションのためロサンゼルスに渡り、多忙な時期を過ごしながら当時の恋人や友人たちの協力を得て次第に「Black Lives Matter」への理解と合流を果たしていく。アメリカという土地での生活では、周囲から常に「黒人」という属性を通して見られ、かつそのレッテルが日常生活を送ることを困難にさせることを知った。例えば、恋人と彼の弟と一緒にUberを使って移動していた時、ラ・ハヴァスは恋人にキスをしようとした。すると弟からは車を停めた方がいいと忠告を受けた。車内で「黒人」が何かしらしていると警察によって停車させられる可能性が高くなるからだ。また、恋人と路上で口喧嘩してしまった時はすぐに彼が落ち着かせてくれたという。このまま大声で罵り合っていれば撃たれる危険性があるからだ。そして、こうした問題には「黒人特有の髪型」が埋め込まれていることも学んでいった。

思い出しておきたい事件がある。イギリスで二つの雑誌がシンガーのソランジュと俳優のルピタ・ニョンゴの髪をデジタル処理で消去して批判を受けたのはブリット・アワードが問題視された翌年のことだった。ひとつはレイアウトに配慮した結果であり、もうひとつは美の多様性を訴えることを義務としながらも無知と無神経さから行ってしまったと釈明している。特に後者の場合は(編集部は無関係で、ベトナムからの移民を表明するフォトグラファーが独断で行った)後ろにまとめた髪をまるごと消しただけでなく、艶のある髪質にまで加工をしていた。ニョンゴが指摘したように、このことから多くの人にとって美しいと思う髪の基準が現在も「白人」(に多く見られるストレートで艶のある髪質)に由来していることが分かる。

現在も「黒人特有の髪型」を理由に職場や学校でハラスメントや注意を受けるケースが幾度となく報道されている。アフロ、ブレイズ、コーンロウやドレッドロックスなど様々な髪型は「ナチュラルヘア」(生まれつきの髪質)を実用的にセットするために生み出され、また地域社会への帰属意識や文化とも繋がっている。こうした髪型を単なるファッションや自分とは異なる珍しいものとして興味本位で直接触ったり画面上で恣意的にレタッチするのはソランジュが歌にしたように魂に触れる行為といえる。これらは「マイクロ・アグレッション」と呼ばれる意図の有無に関わらず日常的に何気なく行われる小さな心理的攻撃の一種で、一つひとつは目立たないが放っておくと大惨事に繋がることが指摘されている。こうした地毛による有色人種に対する差別を防ぐためにアメリカでは2019年からクラウン法という法案が広がりを見せている。

ストレートヘアに憧れた過去の髪型について今となっては維持するのが難しいし大きなダメージを受けることもあるとラ・ハヴァスはいう。現在はエリカ・バドゥとありのままの髪質を受け入れる人々から髪型のインスピレーションを得ていると話している。最近は女性ジャーナリストのアフア・ハーシュによる著作『Brit(ish)』が特にお気に入りらしく、インタビューでもよく話題に出している。イギリス人の人種やアイデンティティについて書かれたこの本の冒頭には「黒人」と「白人」のミックスである著者がラ・ハヴァスと同じように髪が伸びていくことに悩んだ経験談が書かれている。

今のラ・ハヴァスにはロールモデルの一人として掲げているインディア・アリーの「I am Not My Hair」が重なる。ヴァースの中でアリーは年齢を重ねる毎に変化していく髪型と次第に自分の内にあるものに気づいていく過程について歌う。8歳でジェリーカールをかけたこと、13歳でリラクサーを使ったこと、そして自分が周囲から笑いものにされていたこと。15歳ですべてやめて、18歳でありのままでいることを決めた。そして2002年の2月(グラミー賞に7部門ノミネートを果たすも受賞しなかった年だ)に自分のすべきことを決意する。「私は私の髪じゃない/私は私の肌でもない/あなたの期待しているものじゃない/私は私の髪じゃない/私は私の肌でもない/私は自分の中に生きてる魂なんだ」。

サード・アルバムのカバー・アートに使用したメジャーの写真は、自分の携帯のカメラロールの中から選んだという。他にも撮影された写真や構想があったのかもしれないが、メジャーが撮ったものだけを比べると「髪」の存在感が際立って見えてくるのがこの一枚だ。元は横長の写真だが正方形にトリミングされたことでより強調されている。

セルフタイトルの表記には「HWT Arabesque」という書体が使われた。アール・ヌーヴォー様式の木型から復刻されたこの書体の特徴は、ヴィクトリア調の過剰さとそのリバイバルであるサイケデリック・カルチャーを彷彿とさせる有機的なタイプフェイスにある。アール・ヌーヴォーの特徴である有機的な曲線美は自然界のとりわけ植物に由来しているが、このアルバムにおいてはそうした装飾性よりも、まるで炎が揺らいでいる様子にも見える。

収録された楽曲のほとんどは愛の関係について歌ったもので作られた時期もばらばらだが、以前の関係から抜け出して新たに自分のための愛を見つけようとする箇所、特に1曲目の「Bittersweet」の「ほろ苦い夏の雨/私は生まれ変わったんだ」からは、約5年の間に起きた様々な別れや自信を失った出来事を経て自身の内にある「黒さ」という根に気づき、再び花を咲かせようとする再起と奮闘の意志が聴こえてくる。

初のセルフ・プロデュースを成功させた今、インタビューの中でラ・ハヴァスは自分のレーベルを立ち上げたいと話している。実際どうなるかは分からないが、女子校を作って音楽制作における全てを教えたいという理想は興味深い。マネージャーやプロデューサー、照明やサウンドエンジニアを目指せる場所。ラ・ハヴァスはいま、誰かにとってのロールモデルになろうと心がけている。色んなタイプの黒人女性になれることを伝えるために。

アートワークに書かれた謝辞にはいくつもの感謝の言葉が繰り返し書かれている。たわいもないけど一つひとつが大切な出来事の数々だ。最後にその中から一部だけ引用する。「私の涙を乾かしてくれてありがとう。私が愛されていること、理解されていることを感じさせてくれてありがとう。私に真実を話してくれて、幸運を祈ってくれて、そして、この物語を語る自信を与えてくれてありがとう」。

Numéro | 7.24/2020
Interview with Lianne La Havas: “I am here because of Prince”
https://www.numero.com/en/music/lianne-la-havas-third-album-out-warner-records-bittersweet-paper-thin-london

VOGUE | 7.17/2020
Lianne La Havas on her new album, life at home, and embracing her natural beauty
https://www.vogue.com/article/lianne-la-havas-on-her-new-album-embracing-natural-beauty

The i | 7.23/2020
Lianne La Havas: ‘You can be whatever black woman you want to be. It’s not for anyone else to tell you how black you are’
https://inews.co.uk/culture/music/lianne-la-havas-interview-black-lives-matter-new-album-racism-561533

The Guardian | 7.12/2020
Lianne La Havas: 'It's hard to fit in when you have two heritages'
https://www.theguardian.com/music/2020/jul/12/lianne-la-havas-its-hard-to-fit-in-when-you-have-two-heritages

Nataal | 7.19/2020
Lianne La Havas - The singer songwriter is back with her most honest album to date
https://nataal.com/lianne-la-havas

LADYGUNN | 7.15/2020
On her new self titled album Lianne La Havas is in full bloom
http://www.ladygunn.com/music/interviews-music/on-her-new-self-titled-album-lianne-la-havas-is-in-full-bloom/

The Guardian | 5.31/2015
Lianne La Havas: ‘I go to studios and I jam - that’s my job’
https://www.theguardian.com/music/2015/may/31/lianne-la-havas-interview-prince

HelloBeautiful | 2.28/2016
Why Lianne La Havas Should Have Championed For #BritsSoWhite
https://hellobeautiful.com/2853914/lianne-la-havas-britssowhite/

補足

イギリスの学校教育のシステムがよく分からなかったので改めて本を読みながら勉強してみました。岩波新書の森嶋通夫著『イギリスと日本 - その教育と経済』です。イギリスでは小学校を卒業すると日本でいうところの公立中学と公立高校を連結させた学校を意味するセカンダリー・スクールに進学し7年生から11年生をそこで過ごします。その後はシックスズ・フォーム(日本でいう高等教育にあたる)というプログラムに入って2年間勉強するか、さらに大学まで進学して3年間勉強するかを選ぶことができるとのこと。このシックスズ・フォームの主な目的は「Aレベル」と呼ばれる試験に合格させることで日本の大学1年生か2年生程度の教育水準だといわれています。これに合格するか否かで雇用条件に大きな差が出るようです。対象課目はたくさんあり、その中から何課目か選んでそれぞれの授業が被らないように時間割を自分で組む必要があります。そのため生徒によっては空き時間が発生し、高校生の段階でまるで生活は大学生のようになります。

ノーベリー・マナーではラ・ハヴァスは演奏者ではなく歌手を目指して勉強していました。学費を払うのが難しい時もありましたが、学長が負担してくれたことがあるそうです。この学校には「ノーベリー・マナー・セレステ・クワイア」という聖歌隊があり、ラ・ハヴァスもメンバーの一人でした(他にもう一つの合唱団に所属していました)。この聖歌隊を指揮する音楽教師のエマ・スティーブンスは2019年にイブニング・スタンダードが発表した「インスピレーションに溢れる年間最優秀教師」を受賞しています。また同じく聖歌隊の出身者でシンガーのロックスことロクサーヌ・タタイーからブリット・スクールの学生を紹介してもらい親交を深めました(ロックスはブリット・スクールの出身者でもあります。またノーベリー・マナーはブリット・スクールと同じクロイドン区にあります)。この時、ラ・ハヴァスは「Aレベル」を勉強していました。彼らからギターのコードを教えてもらったことで作曲方法に新しい道が開けたとラ・ハヴァスは言います。

ギターはラ・ハヴァスにとって欠かせない楽器であることは今さら言うまでもありません。しかし18歳という年齢でこの楽器を手にしたのは、それまで白人の男の子しかギターを弾いている映像を見たことがなかったからだと言います。しかしYouTubeはこの状況を変えました。フージーズの頃からファンだったローリン・ヒルがギターを弾いて歌う姿に衝撃を受けたそうですが、なによりエミリー・レムラーという女性のジャズ・ギタリストを見つけたことでギターを弾くのが好きになったと言います。自分の音楽を作曲しながら伝説的なミュージシャンの伴奏をする姿に感動し、レッスン動画を見つけてからは夜な夜な祖父母の家で練習していたそうです。他にもトミー・エマニュエルやマーティン・テイラーの映像も見ながら学んでいました。

エミリー・レムラーといえば、ゲイリー・バートンのアルバムで「ロック」をジャズに持ち込んだ第一人者であるギタリストのラリー・コリエルとの共演やアストラッド・ジルベルトの伴奏で知られていますが、日本での知名度はそこまで高くありません。正直これを書いている僕も深く知っているわけではありません。しかし2020年にはフェミニズムの文脈で再評価され始めているという記事が出ています。ボブ・モーゼスによるとレムラーは多くの男性ミュージシャンから嫉妬と憤りを受けていたと言われています。最近では女性の演奏者が増えているものの当時は本当に目立った存在がおらず、今もカミラ・メサやメアリー・ハルヴォーソンなどを除くと依然として女性のギタリストは少ないまま。そして、レムラーの出身校であるバークリーでは女子学生に対する卑劣なハラスメントが横行していたことが近年明らかになりました。2018年にバークリーの「ジャズとジェンダー正義研究所」のディレクターに就任した女性ジャズ・ドラマーのテリ・リン・キャリントンは「私は次のエミリー・レムラーを探している」と言います。ギターは女性があまりアプローチしていない楽器の一つに思え、もしかしたらエミリーがもっと多くの人にインスピレーションを与えることができるかもしれないと。

ラ・ハヴァスに話を戻すと『Lianne La Havas』ではジャズ・ピアニストのサム・クロウと曲を書くことが多かったと言います。いくつかの曲ではまるでジャム・セッションのようにコードをいくつかのリズムで試しながら気に入ったものが出てくるまで部屋にこもって書いていたそうです。ラ・ハヴァスはクロウの知識と才能を高く評価していて、コード・ボイシングについて教わったことがあると話しています。また、このアルバムを作る上で本格的に取り組む機会になったのが、ラ・ハヴァスがアメリカから地元ロンドンに戻った時にブリット・スクール出身の友人たちと再開した時だと言います。彼らはA&Rまでしてくれたそうです。

今回、主に「Black Lives Matter」について触れましたが、これについては現代思想が総特集した10月臨時増刊号『ブラック・ライヴス・マター』が参考になりました。状況を再理解するのにも便利ですし「マイクロ・アグレッション」についても触れています。「黒人特有の髪」についてはウェジーに連載されたニューヨーク在住のライターの堂本かおるによる3つの記事が主に参考になりました。こうした問題について日本は無関係というわけにはいかず、2020年にはナイキの「動かしつづける。自分を。未来を。 」の中では髪を触られる描写がありました。同年、ヘアサロン向けトリートメントのポスターでアフロヘアの女性に「ツヤッツヤのサラッサラになりたい。」というキャッチコピーをのせて炎上したケースもあります。そして、黒髪信仰や黒髪至上主義と言われる日本の「地毛証明書」の是非が問われている昨今この問題は無視できません。

また、インディア・アリー「I am Not My Hair」についてはエイコンをフィーチャーした「Konvict Remix」で聴くのがベストです。このバージョンはアルバムにも収録されています。最初のヴァースでエイコンは周囲から認められようと色んな髪型を試し、そして彼女を作ろうとドレッドロックスにしたことで人生が狂ってしまった奴に触れます。この髪型の男を企業は雇おうとせず、そして路上の仲間がなぜ宝石を盗むことを選んだのか分かった気がしたと続けます。「こうなったのは髪のせいなのか/ここにある女も家も車もそのおかげだ/言いたくないが髪が俺の欠点だった/何故ってそれを切り落とすまで成功できなかったんだ」。

ここでは「黒人」という表記がたくさん出てきますが、実際には多くのトーンがある肌の色を黒や白や茶や赤や黄などの単色を用いて簡単に分類するのはあまりに主観的で基準が曖昧です。こうした分類に付属しているステレオタイプは生物学的に最初から存在しているわけではなく、一方が他方を下位として扱うために様々な方法で表象してきたことによって生み出されて根付いてきました(こうした表象を差別されてきた側が敢えて流用し、自分達の表現として作り替えてきた歴史もあります)。この表象には「髪」も含まれます。ラ・ハヴァスが当時のレーベル内の人員が肌の色によって担当しているジャンルが分かれていたと指摘している部分については、ラ・ハヴァスのインタビューでのみ確認していることなので実際はどうなっていたのか分かりません。おそらくこの時、念頭に置いていたのはユニバーサル・ミュージック・グループ傘下のリパブリック・レコーズが所属アーティストの音楽性を定義するジャンルについて「アーバン」という呼称を使用しないことを公式に発表したことだと思われます。これ問題については、ローリング・ストーンの記事がとても参考になります。フェミニズムについては日本でも海外書籍の邦訳が増えてきてると思いますが、ラ・ハヴァスが感銘を受けたというアフア・ハーシュによる著作『Brit(ish)』も邦訳が待たれます。

Marie Claire | 3.7/2013
Marie Claire Meets Lianne La Havas
https://www.marieclaire.co.uk/entertainment/music/marie-claire-meets-lianne-la-havas-127855

Evening Standard | 10.3/2019
The Progress 1000: London's most influential people 2019 – Health and Education: Education
https://www.standard.co.uk/news/the1000/the-progress-1000-london-s-most-influential-people-2019-health-and-education-education-a4246486.html

Acoustic Guitar | 12.10/2020
Guitar Talk: Lianne La Havas Draws from Bossa Nova and Samba in Her Nylon-String Guitar Work
https://acousticguitar.com/guitar-talk-lianne-la-havas-draws-from-bossa-nova-and-samba-in-her-nylon-string-guitar-work/

Guitar.com | 7.24/2020
“I needed to make something that was really mine this time”: Lianne La Havas on her musical destiny
https://guitar.com/features/interviews/lianne-la-havas-self-titled-album/

JazzTimes | 12.8/2020
The Rise and Decline of Guitarist Emily Remler
https://jazztimes.com/features/profiles/emily-remler-rise-decline/

Wezzy | 4.6/2017
ミシェル・オバマが見せた「ナチュラル・ヘア」の衝撃 名前も言葉も髪型も白人社会化を迫られた歴史
https://wezz-y.com/archives/44556

Wezzy | 9.13/2018
黒人女性の髪に触らないで!~「私たちはペットではない」
https://wezz-y.com/archives/58578

Wezzy | 3.7/2019
監督がオコエ選手の「髪を切る」のは差別&人権侵害~ニューヨークに黒人の髪型を擁護する新法制定
https://wezz-y.com/archives/64066

Rolling Stone | 6.20/2020
音楽ジャンルと黒人差別、80年にわたる不平等の歴史
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/34022

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