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歴史・人物伝~関ケ原編⑰父譲りの調略で貢献した黒田長政

歴史・人物伝~関ケ原編の第17回です。

西軍の総大将だった毛利輝元は、毛利一族を一枚岩で束ねることができず、一族の重鎮・吉川広家の東軍内応という結果を招きました。その広家をはじめ、西軍諸侯の調略に奔走したのが黒田長政です。

長政の父親は、秀吉の軍師として知られる黒田官兵衛(如水)です。本能寺の変直後の中国大返しをはじめ、九州の平定、北条氏の小田原城開城など、秀吉の天下統一を軍略や調略で支えてきた人物です。

長政は、加藤清正や福島正則と親しい間柄だったこともあり、石田三成とは対立する立場となります。また、先妻を離縁して家康の養女を妻に迎えるなど、家康に接近して信頼を得るようになるのです。

関ケ原の合戦に先立ち、長政は「毛利一族が東軍に寝返らせるための調略」にかかります。吉川広家には毛利本家の領土安堵をちらつかせ、小早川秀秋には所領の大幅な加増を約束しました。

東軍大勝利の恩賞として、黒田家は筑前(福岡県)の大大名に出世します。その時、「子々孫々にお家騒動があっても取り潰しはしない」とのお墨付きをもらったとも言われています。

長政は、父の如水を深く尊敬しており、晩年には「父と自分が味方したから東軍が勝った」と豪語したとされます。一方で徳川家への忠節を子々孫々守り続け、福岡藩黒田家は明治維新まで命脈を保ったのです。

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