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歴史・人物伝~太平記・倒幕編③北条高時と御内人の政治

歴史・人物伝~太平記編の第3回です。

持明院統と大覚寺統という二つの皇統が交互に天皇を即位させていた「両統迭立」の時代に、鎌倉幕府はどんな政治を行っていたのでしょうか? そのキーワードになるのが「得宗家」です。

鎌倉幕府は、将軍を補佐する執権という職を置いていましたが、政務は執権が中心となって動かしており、代々北条一族がその職に就いています。北条一族の惣領家が「得宗家」と呼ばれていたのです。

鎌倉時代全般を通して、得宗家はライバルだった他の北条一族や御家人たちを滅ぼしたり、屈服したりして、専制の度合いを強めていきます。その過程で、得宗家の家臣である御内人が台頭するようになりました。

得宗家を北条高時が継いでからも、御内人が政治の実権を握り続けました。太平記では「政務への意欲を無くした高時が、闘犬や田楽にうつつを抜かす日々をおくっていた」と、愚昧ぶりを書き記しています。

本当に暗君だったかどうかは分かりませんが、高時がトップに立つ北条一族の強固な絆は揺るぎないものがありました。倒幕軍に対抗する戦いや後醍醐天皇親政時の反乱などでは、その結束の強さが見られます。

ただ、北条一族に対する御家人たちの不満は、決して小さなものではありませんでした。そんな御家人の一つが足利家でした。


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