彼女はいつもポエミィ

ちょっと自分のことを書こうと思う。
クリープハイプのライヴ感想は細々とまだ綴っています。


私は歌を書いている。
「作っている」のではなく、「書いている」のだ。
それも趣味で。仕事のときもあるけど、仕事で書くのはまるで手につかない。筆が乗るのはいつだって好きで、遊びで書くものだ。

小さい頃は貧乏で、習い事はしてみたかったけど、ピアノじゃなかった。ギターが弾きたかった。バイオリンを習っている友だちがひどく羨ましかった。高校の頃は軽音部の舞台に嫉妬して、惨めな気がして見に行けなかった。本当はやってみたかった。体育館のステージで思いっきり歌ってみたかった。貧乏だからと言い出せなかったり、部活を今更辞められないのを言い訳にして、「やりたい」を表面に出さなかっただけだ。後悔している。今も。
大学では、一度音楽活動もしていたし、友達の誘いと人数合わせでクラシックギターを齧った。弾いたことがない、憧れていたギターの、ナイロンで出来た細い細い1弦が、頼りないEの音を出す度に胸が高鳴った。これで私もギターが弾ける!そう思った。現実はそんなに甘くなかった。先輩たちは就活で不在のため、基礎はプリントを見ながら独学で身につけた。コードが弾きたかったのに人数は足りているからと主旋律のパートになった。バイトの合間や休みの日に練習して何とか形になったと思えば、初めての合宿で外部の先生にボロクソに言われた。姿勢がなってない、持ち方がなってない、リズムにちゃんと合わせろ、弦の移動の効率が悪い。当たり前のことを実は誰にも教えてもらっていなかったことに対する戸惑いと、あんなに頑張って練習した結果がこれかという絶望と、ただ突っ慳貪に言われた時の沸騰するような怒りで、レッスンが終わってからひとしきり泣いた。20歳の時だ。成人したのにわんわん泣いた。悔しかった。先輩たちは何故か謝ってきたけど、そんなの耳に入ってこなかった。7割くらい心が折れた。その時食べたご飯の味はひどく淡白で、買ってきたお酒も全然美味しくなかった。あんなに憧れていたギターに触りたくなかった。帰りたかった。指が届かなかった。クラシックギターのネックは太く、スレッド間も広い。手が小さい私は時折指が攣りそうになりながら弾いていた。ていうか攣ってた。文化祭で初めて弾いた曲は成功して嬉しかった。チョロいのでそういう所でモチベーションが回復する、褒めて伸びるタイプ。夏休みの合宿でお金がなくて合宿所に泊まれなかったことに少し後ろ指をさされて、気まずくなった。尾瀬に泊まった日はオーディションだった。小雨の中スマホ片手に川のほとりで初配信をした。配信しながらギターを弾いて尾瀬に来たのに尾瀬に行くこともなく、ただ湯檜曽駅と沼田駅の回数だけ稼いで帰ってきた。オーディションには落ちたけど、合宿の後に蒲田でお世話になっている知り合いの方がご馳走してくれた。帰りに駅前で吉岡里帆さんのポーズで写真を撮った。3年の定期演奏会の日には熱を出した。集合時刻に起きてしまい、練習も出来ずにフラフラになりながら演奏して、指揮をして、何とか終わって、打ち上げのご飯には一切手をつけられずに帰った。申し訳ない気がして、それから部活に顔を出せなくなった。流行り病のせいで部活はおろか大学に行けなくなった。ギターは学校に借りてるものだから、部室に置いていた。触れなくなって退屈してたら、オーディションでお世話になってた人がアコギを貸してくれた。今も部屋に置いてある。返さなきゃと思って2年が経ってしまった。返すのはいつでもいいと言っていたけれど、さすがにまずい。
そんな思い出を経て、今、私はベースを買おうとしている。どういう風の吹き回しだ。元はと言えば、本当はコードを弾きたかった。低音パートをやりたかった。一度「ギタロン」を弾いたことがある。大学2年生の時に、エド・シーランの「Shape of you」を弾いた折、先輩が「やってみないか」と声をかけてくれた。すごく楽しかった。身体の底に内臓をも打ち付けるような低音が響くのが心地よくて、翌年試しに担当を名乗り出てみたら友だちに却下された。その時の伏線を回収しているのかもしれない。ライヴに行ったら低音が好きだと思った、イヤホンも重低音重視で買っている。

ギターの話になってしまった!いかんいかん。

とにかく私は歌を書いている。小さい頃から歌うのはそれなりに好きで、恥ずかしがりのクセにカラオケは比較的ノリノリだった。中高生のときは休みの日によく1人でカラオケに行っていた。歌を歌って生きてみたかった。
今、なんとなくそれが叶っている。嬉しいことでもあるけれど、まだ足りない。正直に言うと、自分の曲がほしい。どんな形であれ、自分だけの曲が欲しい。もうすぐ叶いそうだけど、本当にその時を待ち望んでいる。
歌を書いているのは趣味でもあり仕事でもある。本当はラップを書かないといけないのに、浮かんでくるのは違うものばかりだ。進捗ダメです。ありがとうございました。でも書くのは楽しい。感情を言葉で発するのが苦手な分、歌詞にすればキレイに織れる。言葉というツルハシをお借りしてマイクラしてる、プラス感情を上乗せする、感じ。文脈や言い回し、意味も気にしながら、よく朝が来るまで書いてしまう。今日も少し進めました。ラップはダメです!ごめん。
私はコミュニケーションが苦手で、よく人に誤解されてきた。気がする。伝えるべきことを伝え忘れたり、伝えすぎて回りくどくなったり、会話というのは非常に難しい。人の話を聞くのはいいが、自分が話すとなるとてんでダメ。自分でも何が言いたいかよくわからなくなってくる。会話だってマルチタスクだよな。
言いたいことや好きな言葉、頭に浮かぶ景色をいつも歌詞にしてきた。小学二年生の時から、ずっとそうしてきた。今それが纏まっているファイルを開いて見ると本当に恥ずかしい。特に言葉を間違って使っているのが恥ずかしい。でも今の今まで続けている。今は意味もわかって書いている。今日も勝手に歌詞にする。自分にも分からない自分のこと。君のこと。今日のこと。明日のこと。パラレルワールドのこと。ファンタジーのこと。アイロニーでロマンチックで、脈絡もないこと。そうやって生きている。凌いでいる、なんとか。
言葉というのは難しい。言葉尻が刺々しい人が苦手だ。そうならないように努めて話しているけれど、現代人なので荒かったら指摘してください。友達が少なかった小学生時代、学級文庫を読み尽くして国語辞典を読んでいたことがある。言葉が好きだ。日本語が好き。だからそういうキレイな日本語で歌詞を書く。言いたいことや感じたことは歌詞にする。そうやって生きている。凌いでいる、擬態している、何となく。
私は歌詞を書いている。いつかこの歌が形になってくれるように。
それだけが私の夢だ。
私は歌詞を書いている。いつかこの思いがきちんと伝えられるように。
それだけが私の願いだ。
私は歌詞を書いている。明日もこの物語が少しだけ進むように。
仕事をしながら。集中します!すみません!
私は歌詞を書いている。

情けなくて、後悔ばかりで、社会に向いていなくて、自分に対して天邪鬼で鈍感な、人間に近い何か(つまり、私)が、日本語を使ってキレイな言葉をメロディーに載せられるといい。



はー!書いた書いた。こういうのを徒然草みたいに逡巡してます。

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