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「夜にしがみついて、朝で溶かして」レヴュー的ライナーノーツ。

改めて、アルバムの発売おめでとうございます。
私は、このタイミングでクリープハイプの音楽に出会えたことをとても嬉しく思います。
これは単純に、私がこのアルバムを聴いて感じたことを滔々と綴っていく記事になりますので、各々の解釈や感触に齟齬が生じると思います。そして何より、私は「クリープハイプ」というバンドを知り、聴き始めてから今日まで日が浅い新参者です。長く応援されている皆さんにおかれましては、私のレヴューなど浅薄に見えてしまうやもしれませんが、聴き続けてなお今温めている言葉や思いは、120%こちらにしたためております。読んでくださると嬉しいです。MVがある曲に関しては小見出しから飛べるようにリンクを貼らせていただいてます。
ちなみに写真は錦糸町で撮影したイルミネーションです。イルミネーションって夜にしがみついてる感じがしませんか?

さて、前置きはこのくらいにして。

#1 料理

そばにいてくれたら それで腹が膨れる
眠くなってすぐに 2人で横になった

クリープハイプ/料理

さっそく身の上話で申し訳ないのですが、実は私はお付き合いをしている方がいまして、早いもので今月で1年を超えたところです。
互いのことで言えば、住んでいるところが遠かったり、仕事で忙しくスケジュールが合わなかったり。
向こうはどう思っているのかを与り知る訳でないのですが、個人的なことで言えば、会ってない期間や忙しくしている最中に、見たり聞いたり思い出したり、急に不安になったり、蟠りを我慢していたり、そうしている間にどうでもよくなってしまったりして。
コロナ禍のこともあり、元々少なかったものの会う頻度が減り、スケジュールの確認はおろか、連絡さえしなくなってしまいました。

ちょうどその時に友人にクリープハイプの曲をいくつか教えていただいて、そのタイミングでたまたま「料理」が先行で公開されて、聴いてからずっとこの曲が頭から離れなくて、気づいたら太客になっていました。そんなことは置いといて…(話が脱線しがち)

会えないことが悲しいのか、連絡さえ取ってないことが悲しいのか。
何も変わらないままで私の気持ちなど知ってか知らずか平気な顔して普段の日常を送る恋人が小憎たらしくて悲しいのか、あんなに好きだったのにどうでもよくなったと言いますか冷めてきた自分の感情が浅ましくて悲しいのか。
でもこんなに、悲しくて、理由がわからず悲しくて、苦しいから食べたいものは出てこないのにそれでもやっぱりお腹が空くんですよね。
やっぱり生きていれば食べなければ命を保つことは出来ませんし、嫌よ嫌よも好きのうちと言いますが、いつの間にか、関するものを見れば顔が浮かぶし、少しジェラシーだって抱いてしまう。

このままじゃいけないから、もう別れてしまおうか。将来を考えた時に現実的でないことは分かっているから別れてしまった方がいいのではないだろうか。でもきっと会って話したらそんな事はどうでもよくなって、このまま2人でいることを許して、別れ話を延ばしてしまう自分は絶対そこにいるんだな──ということを、この曲は痛いほど教えてくれました。

もちろん、尾崎さんの言葉遊びをふんだんに使った歌詞も、大変に熟読玩味しまして、舌鼓を打つばかりでございました。美味しゅうございました、なんておあとがよろしいようで。

とにかく恋人には勝手にこんなこと言ってごめんなさい、の気持ちです。この場を借りて言うのも違う気がしますが。 もう少し自分の気持ちを整理させて、様子を見てみようと思います。 私たちの料理も涙でしょっぱくならないように。


#2 ポリコ

優しくされたいだけなのに されない 消えない
溝にこびりついた汚れ

クリープハイプ/ポリコ

イントロのベースラインが好きです。
先日MVも公開されましたね…つなぎ姿の4人が黙々とお掃除する姿がなんとなく愛らしく見えてしまいました。しかしお弁当の唐揚げを勝手に食べるシーン、私が中学生の時にカラスにお弁当の唐揚げを食べられてしまったのを思い出して胸が切なくなってしまいました。

昨今ではいろいろな表現に後ろ指がさされて、自分の言いたいことはもちろん、表面では見えない内に秘めたる美しさまで、相応しくないと思えば忽ち水を得た魚が如く、切り取って詳細を確かめもせずに揚げ足を取って非難して、あっという間に磔にされてしまうのは、些かコンプラがすぎると言いますか、なんにも知らないくせに、いちいちそんなところにまで気を遣いたくないなぁ。第一、お前誰??
と、世を憂いたり毒づいたりすることもしばしばですが、キレイなものばかりがキレイなんてそんなことなくて、実は「汚い」とされるものが人間の本質であったりして。それが私は人間臭くて好きだったりします。

才色兼備に見える人ほど欠点は良くも悪くも目立ってしまって、それさえ可愛らしかったりするものですが、それは本当に「白いシャツにハンバーグのソースが付いて取れなくなってしまった」が如く、まっさらで、キレイであるほど、汚れで息苦しくなってしまう。
汚い場所の汚いものはそれが当たり前かのように目立たない、しかしあんなに強く逞しく見えるのは、それを乗り越えようと変えようと努める姿のなんと人の感動を呼ぶものか、どうしてですかね。

かくいう私も他人には言えないくらいの汚らしさを抱いているのですが、汚れを完璧にキレイにしても新品には戻れないんだな、とココ最近は日を経る毎に考えたりしてしまいがちです。

この前、「愛されたい、優しくされたい、と思うのにされないのは、時分がしないからで、そう思うなら自分がそうするべきだ(意訳)」という話を聞いて、やはりこの世は潜在的等価交換だな、と思いました。

でも馬鹿だから忘れちゃうんですよね。ないものねだりで、こびりついていて、しかし棚に上げて貪り尽くしてしまう。

そもそもフィクションの世界に現実を持ち込む、他人の作品に自分の感情をぶち込む、というのはよっぽど図々しいんですけどね。一線を画すとか敷居って大事ですね。玄関に勝手に上がり込んで素っ頓狂な悪口を言われるのは誰だって嫌じゃないんですかねぇ。

この曲を聴いて書いていたらこんな風になってしまいました。
最後に私の好きな本の一説を紹介します。

けれどもこの広い世の中、聖人君子などはほんの一握り、残るは腐れ外道かド阿呆か、そうでなければ腐れ外道でありかつド阿呆です。

森見登美彦/夜は短し歩けよ乙女


#3 二人の間

あぁ確かに で それから どうした
うん でもそれなら どうする

クリープハイプ/二人の間

私はラジオを聴くのが好きです。
最近は片手間に聴くことが多いのですが、昔は好きな番組のレポを聴きながら毎週、逐一、紙に書いてまとめて、1人で内容思い出しておさらいしたり、友だちに見せて情報を共有したりしていました。懐かしいな。元々音楽を聴くのが好きだったり、人の話を聞くのが好きなので、あまり苦じゃなくて、耳を傾けることで伝わる、音と言葉は、とても魅力的です。

歌もそうですが、「話す」ことにおいて「間」ってとても重要で、それによって感情も左右されて、上手ければ上手いほど話の面白さも比例するように重複します。漫才や落語、ラジオに司会など…話芸に長けた人たちは「間」や「空気」の扱いやワザも一流そのものです。私はというと他人との会話はあまり得意ではないので、本当に尊敬します。

この曲は詞の節々に指示語や相槌、接続語が頻繁に登場します。

向こう側に「誰か」が、前に「何か」がいなければ成立しない言葉は意味の無い音と同じで、つまりこの曲は「会話」のようだなと感じました。言葉のキャッチボールって言いますもんね。

ダイアンさんのラジオはこの機会に聴き始めました。新たなキッカケをありがとうございます。お2人が歌っているのを後から聴いたのですが、違う人が歌うとやはり違う印象で聞こえてくるのがまた新鮮で、どちらも好きです。

途中のピアノの音の「間」が抜群にいいのと、お客さんの笑い声をサンプリングしたというスクラッチのような音が、軽やかに跳ねていくようで聴いていて楽しい曲だな、と思いました。

読書感想文みたいな終わり方になってしまいましたね…(笑)

#4 四季

忘れてたら 忘れてた分だけ 思い出せるのが好き
やっぱり さわやかじゃないけど

クリープハイプ/四季

時間帯や季節、天気などによって、聴く曲を変えたりするのですが、この曲は休みの日の昼下がりによく聴いています。「四季」というタイトルだからか、どのシチュエーションで聴いてもピッタリだと思っているのですが、休みの日の昼下がりに少しフィルターがかかる感覚があっていつもこのタイミングで流してしまいがちです。

「少しエロい春の思い出」、「この季節になるとなぜかいつも無性に聴きたくなるバンド/全然さわやかじゃないけど」という一節が「おお〜クリープハイプだ〜!」という気持ちになります。寒い日は人肌恋しいとはいうものの、エロに振り切るのはいつも温かいを超えて暑くなる時ですよね。高揚してるからですかね?

曲を聴いて、忘れかけてたことを思い出したり、懐かしむように浸ってみたり、たまにふとそういう時があって、もう年の瀬だからか、この前ふと流れていたテレビで見かけた「冬のベストソング」みたいな番組を流し見ていたら、高校の時に流行った冬の曲が流れてきて、まさに「忘れてたら忘れてた分だけ思い出す」体験をしました。歌ってる人はどうであれ、その音に、言葉に、何らかの思い出やエピソードがあって、もしくはそれを呼び起こすようなフレーズがあって、そうするといつの間にか自分が大人になったことを痛感して、恥ずかしいやら切ないやら。100%自分のことではないのに、どこか寄り添ってくれるような気がしていて、故にさまざまな感情が歌によって想起されるのかもしれないですね。私にとってのクリープハイプもそうです。
ところで話は変わりますが、この一説も好きなので載せておきます。ホワイト・クリスマスなんて言葉がありますが、首都圏在住だからか私は経験したことがありません。普通の平日のすごく寒い朝にチラッと降っては、公共交通機関をマヒさせ、通勤通学に急ぐ人々をイラつかせ、明日のことはとても考えられる状況でなくなることに定評のある雪ですが、クリスマスに降ったらさぞかしロマンチックで恋人各位が踊り出すのだろうと思います。あくまで想像の範疇を超えませんが。でもふと、こういうどうでもいい時に「生きててよかった」と思えるその小さなことをコツコツ積み重ねていけるような人生を送ってみたいものです。

息が見えるくらいに 寒くて暗い帰り道
どうでもいい時に限って降る雪
その時なんか急に無性に 生きてて良かったと思って
意味なんて無いけど涙が出た

クリープハイプ/四季

春、夏、秋、冬と歌詞は流れていきますが、どこを取っても好きなフレーズがあるんですよね。ひとつひとつの言葉がじわっと染み込んでいく感覚が心地よくて、そして最後の「少しエロい春の思い出」という歌詞に自然と笑みがこぼれるような終わり方が好きです。

あと私もよく謝ってしまいがちです。つい、口をついてしまうんですよね、「ごめんね」という言葉…


#5 愛す

もう元に戻してあげられなくなるんだな
自分でその手を離したくせに

クリープハイプ/愛す

「愛す」と書いて「ぶす」と読むんですね。

私も高校の時は散々部員から「ブス」だのなんだのイジられたものです。あの時はなんてことないように振る舞って、「ハイハイわかった知ってますよー」なんて態度でいましたが、なんだかんだ傷ついてるんですよね。おかげで自己肯定感はだだ下がり、性格のひん曲がったメンヘラ女と化してしまいましたが、そんなことは置いといて。

小さい頃、やたら好きな女の子に意地悪をして泣かせては、先生に怒られている男の子いませんでした?幼心ながら「バカだなぁ」と思っていました。

それとは裏腹に、好きな人に自分の気持ちを悟られたくなくてつい素っ気ない態度を取ってしまったり。

大学では心理学を勉強していたもので、いま例に挙げたような「自分の感情や考えが受け入れ難いために、反対の行動を取ってしまう」ことを、「反動形成」という──と、習いました。嫌いな人にやたら丁寧に接してしまうのもその一つだったりします。

この曲を聴いてると、自分の感情を素直に伝えられなかったり、裏腹な態度を取ってしまったり、大切な言葉さえ、いざと言う時に言えないもどかしさだったり……私も何度も同じことをして後悔をしたことがたくさんあります。そんなことを思い出して恥ずかしくなってしまうんです。なんであの時ああ言えなかったんだろう。もし言えていたら、今とは少し違う道を歩んでいたのかな。意味のない"たられば"を並べ立てて、この煮え切らない歪んだ愛情にどうにか言い訳をして逃げている、もどかしさ。

本音を気を遣わずに言い合える仲って、確かに大事だと思うんですけど、長ければ長いほど、それは忘れがちで、意外と出来なかったりするんですよね。
せめていい自分でいようと、取り繕って誤魔化してしまったり、傷つけたくないのに傷つけてしまったり、ちゃんと言えないからどんどん拗れていって、いつの間にかどうでもよくなってることに気づいて、離れて初めて今更ながら素直な自分の気持ちに気づく。終わってからじゃ遅いのに、もう後戻りは出来ないのに、ごめんね、好きだよ、愛してたよ。きつく当たっていたのは嫌いだからじゃなくて、嫌になってる自分が受け入れ難かったから、好きだと言えない自分が受け入れ難かったから。だけど、もう元に戻してあげられない。

自分が今その3歩後ろにいるからこそ、蕎麦を食い残さないように、胡麻をかけずに、黄身とよく絡めていただきたいと思います。


#6 しょうもな

今は世間じゃなくて あんたに お前にてめーに用がある

クリープハイプ/しょうもな

第一印象としましては、歌詞が、蛇口を思いっきりひねった時のシャワーみたいに降り注ぐ、とっても気持ちのいい曲だと思いました。
テンポとも相まって、聴いていて楽しい気持ちになってきます。

でもその歌詞をよくよく見てみると、強いメッセージが浮き彫りになってくるのに、同じスピードで意味を追うといくつも取りこぼしてしまってる気がして、正解はきっとないと思うのですが、尾崎さんの書いたこの詞を、私が120%きちんと受け取ることが出来ないのが悔しくて仕方ありません。ごめんなさい。でもきっと読んでくださる…であろうことを願って、私がこれを聴いて感じたことを、せめて書かせていただきたく思います。

人間のみならず、動物はなんかしらの形でコミュニケーションを取っていて、人間は特に知性のある動物なので、声での会話や文字でメッセージを送ってコミュニケーションをとることも出来ますが、こうして「表現」という形でコミュニケーションをとる方式も存在します。日本では古来より、短歌や俳句などで感情や情景を綴っていく文化もありました。しかし、こういった歌詞ひとつ取っても、表面上の意味合いは掴めど、聴いて考えて背景を繋げて、何より言葉を知らないと、その中に存在する「本当の意味」は見えないように思います。だから言葉はあくまでも「遊び」であり、「言わないと何も伝わらない」のに、真に意味を伝えることは、人の心を読み取ることと同じくらい難しいことだと、短い生涯ながら感じることも多いです。
この曲は前曲の「愛す」がキッカケで書いたと尾崎さんは言っていました。そんな表現はもう古い、と言われたことがある、と。
表現に古いも何もあるのかしらん、流行ってなどいなくてもいいものはいいじゃないか、と私は思ってしまうのですが、それはやや早計でしょうか。すみません。
ただ上っ面だけキラキラした無味乾燥した空虚な言葉より、表面はもちろん、きちんと読み取れば中身もしっかり詰まっている方がいいのに、けっこう世間の人って上澄みだけの曲解をしがちで辟易する、というのはポリコの欄にも書いているのですが、ならば世間じゃなくて好きだと思う人に届けばそれで充分な気もするものの、それって実はある種の思考停止な気もしていて、抗ってきちんと言い返して証明することがカロリーは使うけど、一番の解決策なのかもしれません。そしてそれをしっかりやってのけるのが、とても素敵です。私もそうでありたい。

前にも同じことを書いていますが、言葉遊びがとにかく豊富で、韻や回文、似たような言葉がたくさん並んでいて、それを疾走感のあるメロディで駆け抜けていくのがただただ気持ちいい。けど走るだけじゃ足りないからこうして書き留めておきたくなる。
聴いている私に用があるなら、私はしかとそれを受け止めます。

個人的になんですがなんとなく「ただの砂場だ ガタガタ言うな/カサカサ鳴らす ただの枯れ葉だよ」をクリープハイプさんの他の曲で聴いたことがあるような気がしていて、探してみたんですが無かったので気のせいですかね…めちゃくちゃ気のせいかもしれないです。ごめんなさい。気のせいです。


#7 一生に一度愛してるよ

バンドと恋人が逆だったらな いいな
死ぬまで一生愛されてると思ってたよ

クリープハイプ/一生に一度愛してるよ

最初のカウントが小さく聞こえるのが好きです。

この前、クリープハイプのMVをいくつも流しながら遅めのお昼ご飯を食べていたんですが、昔の曲を見れば必ずと言っていいほどあるコメントが「この頃のクリープが一番好き」「久々に聴いたけどやっぱりこれが神曲」「ファーストの構成が何より最高」エトセトラ。
それから仕事で「最近クリープハイプが好きになった」ことを話したところ「懐かしい〜昔よく聴いてた!」と言われました。今は聴いてないのか…と思い、寂しくなりました。そんなものなんですかね…?
私は言うまでもなく、今のクリープハイプしか知らないので、「昔が云々」と言われても伝聞で留まってしまうので「今もいちばんステキなのにな…」と思ってしまいます。あと、たまに「もう少し早く知っていればもっと魅力を深堀りできたのに…」と、悔しいというか先に立たない無い物ねだりというか、そういうヤキモチはたまに抱いてしまいます。年の瀬ですし、餅を焼いたら食べてしまいましょうね。

この曲にも「相変わらず今もファーストばかり聴いてる」という歌詞がありますが、ちょっと過激で尖ってる方が「言いたくても言えないことを代弁してくれる」とか「独特の世界観」とかで人気があったりしますよね。私も以前の曲、好きです。実際、友人が最初に教えてくれたのは「ラブホテル」「憂、燦々」「SHE IS FINE」とかでした。
しかし人間というものは良くも悪くも変化する生きもので、諸行無常という言葉がありますが、永遠に同じものって実はなかったりして、それは恋愛も同じだったりします。

最初はあんなに優しかったのに、長くいると不満や欠点が見えてきて、だんだん一緒にいることに慣れてきてしまって飽きてきたり、寂しい気持ちになったり、素っ気なくなったりして。

最初はあんなにかっこよかったのに、年が経つごとにリリースする曲がちょっと丸くなって落ち着いてきて、一番好きだった頃の曲ばかり聞いてしまったり、面倒だからファンクラブやメルマガは退会しないけど、初回じゃなくて通常やサブスクで満足したりして。

ずっと刺激的でいたいのに。
私が好きなままだったらいいのに。
変わらないことがいちばん安心するから。

あーあ。バンドと恋人が逆だったらいいのに。

いじらしいですね、でも変化は誰にだってあるものです。
そこを受け入れてなお、それこそが愛だったりするんですかね。


#8 ニガツノナミダ

ならしばられるな もうしばられるな
でも「しばられるな」に しばられてる

クリープハイプ/ニガツノナミダ

褒められて伸びるタイプなのでほんの少しのことだけでも褒めてほしいんですが、もうオトナなので、あんまり甘えたことは言えなくてつい自分へのご褒美をしてしまいがちです。

「Wi-Fiスポットを探して ここはどこ」という歌詞、かわいらしくて好きです。

この曲はコマーシャルの曲とのことで、YouTubeで拝見しました。それから改めて楽曲を聴いていたのですが、確かにコンセプトに沿っているものの、しかし確実に自分にも他人にもアイロニーが含まれた歌詞になっているなぁと思いました。しかしきっとそういうちょっとした不自由がいちばん自由なのかもしれないですね。ある程度枠組みやテーマが決まってると歌詞が書きやすいのはよく分かります。

ところで、私は毎年バレンタインは手作りなのですが、高校生だった時分、運動部かつ男子部のマネージャーをしていたので、半ば強制的に120人分のチョコレートを作るのが仕事になっていて必死に作っていたのを毎年近づくと思い出します。嫌だったな〜
今年は友だちが「生チョコを食べたい」というので作って持っていってあげたいと思います。不恰好ではありますけどね。


#9 ナイトオンザプラネット

夜にしがみついて 朝で溶かして
何かを引きずって それも忘れて

クリープハイプ/ナイトオンザプラネット

アルバムのタイトルにもなってるこの曲。歌詞には同名の映画を基にした場面や、深夜に感じる独特の時間の流れを彷彿とさせます。
ラップにも似たAメロの歌い節も特徴的で、早口になるところもハッキリと発音されていて流石だな…と感服しました。
私はこの映画はお恥ずかしながら見たことがなく、きちんと履修しようと心に留めた次第です。

一番は昔のこと、二番は今のことを歌っていて、
「ブラは外すけどアレは付けるから全部預けて」、「空は飛べないけどアレは飛べる/愛とヘイトバイト 明日もう休もう 二人で一緒にいたい」の歌詞は、私ももう社会人なので「若いなぁ〜!」となってしまいました。

昔はいいと思っていたものも、改めて見てみるとやっぱりよかったりすることもほとんどですが、「あれ?」となんか違和感があったり、なんで好きだったのかわからなくなることもあって、そうすると少し自分も大人になったのか、それとも世間を知りすぎてしまってピュアに見れなくなってしまったのか、どちらにせよ少し寂しく思えることもあります。二番を聴いて、そう思いました。

私も仕事が夕方からだったり、終わって作業に移ることが多いので、基本的に夜がな夜っぴて書き物を1人ですることが多く、まさに自分の時間を「夜にしがみついて、朝で溶かして」いるわけですが、シャワーを浴びると血流が良くなってアイデアが浮かんだりするんですよね。それで熱中して作業して結局深夜…早朝…みたいになることもしばしばです。早く寝ないといけないのはわかってるんだけどな。なのでアイデアを考えてる時間は「苦くて 結局こうやって 何か待ってる」のかもしれないな、と自分とも少し重なったりしました。


#10 しらす

今日も食べるんだ美味しいごはん
食べて眠れるありがたさ

クリープハイプ/しらす

しらす(°∀。)

ごめんなさい、ネットミームです。

最初に聴いた時、「みんなのうた」かと思いました。
穏やかで優しくて神秘的で、星がキラキラ光ってて、しらすがカワイイお目々でこちらも見ているスケッチが脳裏に浮かびます。

冬は何かと落ち込みがちです。そういう風になぜか出来てるんですよね。ホルモンとか気温とかが関係しているみたいです。
冬眠したい。
でも人間は働かねばなりません。生きてればお腹だって空きます。
疲れたら無理せず休んで、美味しいご飯をたくさん食べて、温かい布団で寝れば、自然と回復して長生きできる…そんなふうに生きてみたいです。社畜を先ずはやめなければ…?

ラジオでカオナシさんが「しらす」についてお話されてる場面があって、それを聴いていたのですが、なんて優しいのかと、感動してしまいました。

天の川は血液のメタファーでしょうか。キレイな喩えですね。ステキだな。
米粒に神を宿らせたり、五分の魂の大切さだったり、すこし日本の神道に通ずる考え方も個人的に好きです。年の瀬ですし、なんとなくピッタリですね。
いつも仕事が終わる時間が遅い時、帰ってきたら家族が寝静まっていて1人でご飯食べねばならない時に聴いています。明日もがんばろう、と自然に気持ちが前を向く気がしています。ありがとうございます。

しらす( 。∀ ゚)(ネットミーム)(こら)(すみません)


#11 なんか出てきちゃってる

偶然ネジが 偶然ネジが
偶然ネジが ゆるんじゃって

クリープハイプ/なんか出てきちゃってる

たったこれだけの短い歌詞と、尾崎さんの語りが組み合わさったなんともインパクトのある不思議な一曲。それでいて、メロディもすごく耳に残る…いわゆる中毒性のある曲だと感じます。
ツイートとイラストにもしたので、リンクを貼っておきますね。

たった2行の歌詞をリフレインすることで、より異質さが際立つと言いますか。頭の中をグルグルと駆け巡る「ネジが緩んだ」という情報。

尾崎さんの語りパートも内容が独特で、こちらが訊いたことに答えているような語り方になっています。
特に「今『お前』って言っちゃいけないんだけどさ、(中略)俺とお前の関係性があるんだから、そりゃあ許されるよな?」が好きです。
関係性によったら、普通であれば噤んでしまいそうな冗談も軽く言って笑って許すことだって、それはありますよね。
そういう関係性ってちょっと羨ましいです。なんでも言い合える仲…とまではいかないかもしれませんが、気楽に人をイジれる関係って実はいなかったりするものです。

ところで何度も語りパートに出てくる「アレ」、なんなのでしょうか。
脳みそ?血液?それとも別の生命体?
否、今ちょうど考えていたこと?本音?それとも──
多くの解釈を付けて自分なりに楽しむことが出来るのも一興。

抜いた後、果たしてどうなってしまうのか?
頭のネジが外れたら、私たちはどうなってしまうのでしょう。
考えれば考えるほど深く陥ってしまいそうに見えて、実はもうハマってしまっているような、宙ぶらりんでいて、曖昧でいて、ただ確実に不安でクセになる。しかしそれがいい。

このアルバムの中で私は1番この曲が好きかも知れません。


#12 キケンナアソビ

この道をまっすぐ行けば帰れるから
これからも末永くお幸せに

クリープハイプ/キケンナアソビ

クリープハイプの、それこそ1stアルバムに収録されている「イノチミジカシコイセヨオトメ」という曲がありますが、その中に「札束三枚数えては 独りでつぶやく スキキライスキ」というフレーズがあります。
この曲を聴くとふと、それを思い出してしまうのです。

これは大人の、いわゆる身体の関係の曲で、妖しさはもちろん危うさと、その場しのぎで形だけの愛を操っているようで実は自分が翻弄される心情を実にリアルに描写しているな、と感じました。

なぜそう思うのかは経験したことがあるからではあるんですけれども、私の話になってしまいがちなので割愛しておきます。
とは言っても、揺れる夜に邯鄲の夢を見ようと、その先に残るのは空虚だけで、何もいいことは無いんですけれどね。
昔、身体だけの関係だった好きな人に「もっと自分を大切にしな?」と言われたのを今思い出しました。お前が言うな。

簡単に関係を持ってしまったときって、チャンスだと思ってるのか、現状打破に拘っているのか、遊びなのに本気の恋まがいになってしまうこともあると思うんですけど(普通はないかもしれない)、冷静になって考えるとどっちもおかしくて、それこそ「馬鹿みたい」ですよね。もどかしくなるほど不純な切なさは、傍から見れば汚らしいかもしれませんが、経験があれば2回縦に頷けるほど本当によく分かります。これを聴くとそんな頃を思い出して、胸がざわつきます。

際どく扇情的な歌詞と、和を思わせるようなテイストの音がこれもまたいいですよね。
MVの女優さんは「全裸監督」にも出ていた女優さんなのだとか。後半の表情や動きが一貫してあどけなくもセクシーで、流石…と感服しました。


#13 モノマネ

あたしのこと全然見てないじゃん って不貞腐れてたけど
見てないのは もしかしたら ひょっとしたらひょっとした

クリープハイプ/モノマネ

「料理」から始まり、いくつかの曲で私の今の恋愛事情になんとなく沿うような曲があったりしたんですが、「料理」と並んで、特に考えさせられたのはこの曲でした。

この曲は同棲している2人のことを歌っているので、同じという訳では無いのですが、引用させていただいた歌詞のこの一節が刺さって抜けませんでした。

こんなに毎日がんばってるのに、連絡が無いのを心配する割に向こうは自分のことなんて見てくれなくて、なんで私ばっかりこんなに尽くしてるんだろう、形式上では遠慮するのもやめてしまいたいのに、そんなことさえできないくらいに何もなくて、どこに行っても同じで、私の誕生日だって忘れてるのに、本当は、本当に見れてなかったのは自分だったりするのだろうか。期待してたのとフィルターがかかってたからなのか、結局本当のことは言えなくて、笑ってたから私も笑い返してみたりして、そうしたら楽しいままだから、まだ知らないようにしておく。

一緒にいるはずなのに、一緒にいる感覚がなくて、どこに行ってもなんとなく楽しくなかったりして、ふざけているその瞬間は笑えているのになんとなく冷めている自分もいる。同じ人間は一人もいないから違うところや感性や味覚やその他もろもろを許すことは出来ても、長くいることによる、どことなく出来てしまった溝はあり続ける。何も言い出して変わることが出来ないまま、今日までもどこにでもある二人の毎日をなんとなく続けてしまったりしてます。

1番が終わるとすぐまたサビに入る少し変わった構成も好きです。


#14 幽霊失格

成仏して消えるくらいなら いつまでも恨んでて
なんて言わせる 君は幽霊失格

クリープハイプ/幽霊失格

この曲はかわいいな、って思うところが多くて、幽霊だから悲しいはずなのに、どことなくあったかくなるラブソングだな、と思います。「そんな夜」から始まる曲なんですが、指示語で始まるものってそうそうないから、そういった面でも印象深いです。
また、「怖いどころか心配だよ」「さすが幽霊」「ちゃんと伝わる そんな霊感」といった、幽霊に愛を感じる言葉がキュンと来ます。幽霊になっても心配するような優しさや、クセを見ては思い出してクスリと笑えるようなある種の「仕方ないなぁ」が愛ですね。

君の幽霊が居れば、触れられなくても見えなくなっても、一緒にいるから寂しくない──だから成仏なんてして目の前から消えるなら、たとえ悪霊になって私のことを怨んででもずっとそこにいてほしい、のかな…と考えたところで、いじらしい愛を感じました。

私も歩いてる時に振り向くクセがあって(学生のころ不審者に追いかけられたことがあるのでその名残)、誰もいないのは分かってるけどなんとなく気配がして振り向く、夜道の得体の知れない怖さはなんとなくわかる気がします。

幽霊になっても化けて出てきては、思い出させてきたり、可愛いと思えたりするって、ちょっと羨ましいです。かわいい。


#15 こんなに悲しいのに腹が減る

こんなに悲しいのに腹が鳴る
食べたい 食べたい なんか食べたい

クリープハイプ/こんなに悲しいのに腹が減る

個人的にはこのアルバムのテーマは「人間そのもの」なのではないか?と感じています。食べて、寝て、排泄して、恋をして、コミュニケーションをとって、泣いて笑って怒って、季節は巡って夜が来て朝が来る──そうやって私たちは生きている。なんかそんなことを全体的に言ってるんじゃないのかな、と思っています。

すごく怖いくらいに綺麗にまとまったコンセプトだと、聞けば聞くほど思います。このアルバムを作るために、この曲たちを出してきたのかと思うくらい、ひとつひとつの曲のテイストやスタイルは違っても、総合するとハッキリしている。
曲順にもそれが表れていて、最初と最後で「料理」の「悲しいのに腹が減る」という表現をもう一度使うことによる伏線回収のような構成がとても好きなんですよね。
どんなに苦しくて悲しくてやってられなくても、生きてるからお腹が空く、そんなことが小憎たらしくなんとなく悔しく思いながら、ご飯を食べられて明日も生きられることを実感してみる。

この前これをカラオケで歌ったんですが、なんか河原で座ってニコニコしてたり、カフェでコーヒー?紅茶?を啜ってみたり、スケッチがアップで映ってた(気がする)りして、あぁ〜こういうテイストになってしまうか〜となんとなく残念に思いながら歌っていました。

Aメロで「クソッタレ」という強い言葉を使うのも清々しいです。「二度漬け禁止の秘伝のタレ」とかけていたりなど、言葉遊びの豊かさも健在で、やはり聴いたあとにおかわりしたくなってしまう反面、満足感もしっかりある。言葉と音をしっかり調理してこんなに美味しいアルバムを3年かけて作ってくださったのかな、と思うと、自然と頭が下がる思いです。どこを取ってもひとつひとつ最高の曲たちが並ぶ、本当に構成含めて素晴らしいアルバムです。


─最後に。


たくさん言葉を書いてしまったものの、やはり力不足を痛感しました。もっと言葉を知りたいです。自分の気持ちを書くってとても難しくて、いつも借りたり妥協してると感じてしまうので、より励まねばなりませんね。ですが、とても楽しかったです!より深く楽曲に寄り添うことで、どうしてか自分の悩みにも少し光や糸口が見えてきました。何事も対話ですね。人間らしくいることが実は何より素晴らしかったりして…年の瀬なので、自分含め、楽曲に落ち着いてしっかり向き合えて嬉しく思います。

これからも単純に、自分の好きな音楽のレヴューをぽろぽろと此処に綴っていこうと思います。
あまり頻度は高くありませんが、読んでいただければ幸いです。
長くなりましたが、最後まで読んで下さりありがとうございました。

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