私のお兄ちゃん


私のお兄ちゃん。

2歳違いのたった1人の兄弟。

昔からマイペースで、臆病で慎重で。
優しくて、私に声をあらげたことも、手をあげたこともない。
お転婆な私の一方的なわがままをいつも無口に受け入れてくれた。

小さな頃から喘息持ちで、いつも息をするのが苦しそうだった。

母と父は海風が良いと聞き、空気の綺麗な場所が良いと知り、
夏は海でキャンプ、冬は雪山へ、春と秋は山や高原に出かけた。

それでもあまり良くならなかったけど、
お兄ちゃんはちゃんと自分の限界を知っているようだった。

一度だけ夜中に救急車が来て運ばれたことがあった。
私は幼いながらに不安になったことを覚えている。


私のお兄ちゃん。

小さな頃、同じ部屋の2段ベッドで作り話を聞かせてくれた。
モグラの話だった。

おばあちゃんの家にあった唐辛子を興味本位で私に食べさせた。
私は痛くて大泣きした。

水が苦手だったお兄ちゃん。
水が大好きだった私。

川や海で泳ぐ時も私が先に入ってお兄ちゃんを呼んだ。

習い事もほとんど一緒だった。
硬筆、水泳、剣道、そろばん。
ピアノだけは違ったね。

私のお兄ちゃん。

本を読むのが好きで物知りで、ギターが上手かった。
好きになるととことんじっくり向き合う人だった。

高校生なると部屋からあまり出てこなくなって、
誰とも口をきかない時もあった。

だけど時々はギターを弾いてくれて一緒に歌をうたった。
音楽の趣味はよく合った。

私はお兄ちゃんが学校でいじめられていないか不安だった。
同じ高校で目立つグループにいた私は、
お兄ちゃんが不良たちに絡まれていないか確認もした。

親の期待もあって家庭教師をつけて一生懸命に勉強していたけど、
国立大学の受験に失敗した。
お兄ちゃんは本当は受けたくなかったんじゃないかなって思っいていた。

ギターも日増しにうまくなっていったし、文章を書くのも上手だった。
器用だったから、専門職にいけばいいのにって私は勝手に思っていた。


私のお兄ちゃん。

県外の私立大学に行くことになり家を出た。
少し寂しかった。

年に1度は家族とお兄ちゃんのいる場所に遊びに行った。

高校生の頃はあまり口もきいてくれなかったけど、
遊びに行くとだいたい音楽かサッカーの話で盛り上がった。

大学の卒業式でお兄ちゃんが入っていた軽音楽部の演奏会を観に行った。
初めて人前で歌うお兄ちゃんを見て誇らしかった。
仲間に囲まれて楽しそうにしているお兄ちゃんを見て嬉しかった。

卒業後、就職は氷河期でいきたい企業にいけず、
1~2年はバイト生活をしていた。

お父さんはお兄ちゃんのところに行き、
音楽をやりたいならやったらいいと言った。
歌う場所は見つけてやると言った。
でもお兄ちゃんはいつもの調子、軽い返事しかなかった。

その後、スーパーの仕入れの仕事についた。
朝も早く休みも少ない仕事だけど、真面目に10年もその仕事をした。

4年前、付き合っていた彼女を初めて家に連れてきた。
カメラを向けると嬉しそうに2人ではしゃぐ姿を見て、
あ、お兄ちゃんってこんな人だったんだって思った。

その彼女とは同棲までしたけど別れてしまった。

その後、父の会社も継ぐことにして地元に帰ってきたお兄ちゃん。
お父さんは嬉しかったはずだ。


私のお兄ちゃん。
必要以上に何も言わない。
いつもじっくりとゆっくりとマイペース。

だけど誰よりもきっと色んな事を分かっていた。
単純な私とは真逆に性格で、気難しいとこもあるけど。

今も昔も変わらない空気感。
くすっと笑わせるユーモアさ。
こだわりが強いとこも。

私はきっとお兄ちゃんのこと知らないことの方が多い。
兄弟って不思議だけど、そんなものかな。

誕生日に何かくれたりもなかったし、
可愛がられたような記憶はないけれど、
私が東京に出ていく日には得意のパスタを作ってくれた。


私のお兄ちゃん。

今月、お嫁さんをもらった。

故郷に戻って見つけた人。

母は素敵な子でしっかりしてる子だと言った。
父は化粧が上手でスタイルもよく綺麗な子であいつがんばったなって。

よかった、よかったよ。


私のお兄ちゃん。

昔から大好きだった。

今もこれからも大好きだ。

きっと、必ず、幸せになって。

私のたった1人のお兄ちゃん。





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