足踏み



分からないことは分からないし
誰かの悩んでいることは私は知らない
それなら分からないのならば、分からないままで、
ぶつかって壊れて、また新しく始められたらいいのに

生活が続いていくのに飽きたらまた新しく始める?それは怠慢?


言葉は綺麗なほうがいい、って思っているけれど、
つるつるした言葉は耳にも届かない

どの不安になら耐えれる?
どの不安に耐えるのなら耐えれる?

また真面目になってしまった、また言葉が出てこなかった
どこからなら明るくなれる?


夜を引き延ばしていると
新聞配達の音が聞こえる
バイクの音が通り過ぎていく
音はただ朝に向かっている
私は今日の夜を一旦終わらせて明日に向かわなくてはいけない
それがわずらわしく、
一日で区切りが付いてしまう思考
簡単に忘れてしまうこと
無理に立ち止まろうとしている


---

悲しいと感じていることをわざわざ思い出しても、不安な気持ちになったり上手くいかなかったことや失敗したなと思うことを考えて暗い気持ちになっても、
散歩をしたり、寝て次の日になれば気分は切り替わっている。
それでも悲しいという感情とか、そういうものがひっそりと、一人でいる時にまたやってくる。
無理に追い出そうとせず、そのままにしておく。

ただ、悲しさや寂しさで、人を集めたくはないとも思う。それは甘えというよりももっと暴力的なものに感じる。
どうしたら適当に(=ちょうど程よく)気持ちを伝えることができるんだろう。
こちらの感情を言葉にして伝える、ということには、いくらかの暴力性があるように思える。そのことに自分が耐えられない。
それはただ、相手にどう思われるかを気にし過ぎているということなのだろうか。自分がこれ以上傷つきたくないというだけのことなのだろうか。



できれば希望のような明るい方向に自分の気持ちや行動が向いていけばいいのかもしれないけれど、別に暗いままでもそのまま、幼いな〜という自分の未熟さに恥ずかしくなりながらもそのまま、
すぐに書き換えたり作り直したりできない毎日の中に戻っていき、足踏みをしたりつまずいたりしながらゴロゴロと転がっていく。
たまにスキップとか。