雨の音、心のハグ

強い雨の音で目が覚めた。
アラームが鳴るまで、2時間はなかったと思うけれど、早く起きてしまった。雨が強そうなので、慌てて窓を閉める。

ホットケーキを焼こうと思って、ぼんやりしていたらお昼ご飯みたいな時間になってしまったけれど、今日はのんびりすると決めているので、気にしない。ほかの家事は17時くらいからすればいいや、と決めて、豆乳とバナナを入れたホットケーキを作る。
本を読み始めてしまって、火加減も強かったみたいで、すぐに焦げてしまった。でも、おいしかった。

料理をするときにお腹が減っていると作る気分にならないから、軽く食べたりしてから作ればいいのだと思った。今日のホットケーキは3回に分けて焼いたけど、それも、食べたり本を読んだりしながら作った。

---

言葉がこわかったり、考えることを忘れることもこわいけれど、
私は変わっているのだろうか、それが良いことなのかもよく分からない。

高校生のとき、中間テストと期末テストの一週間前は部活が休みになるので、いつも、中学校のときに部活が同じだった友だちと一緒に、放課後にテスト勉強をしていたことを思い出す。

高校ではちがう部活に入っていて、学校は一緒だけどクラスが同じになることはなかったから、テスト前だけが唯一話したりできる時間だった。

基本は勉強をしているし、たくさんのことを話したわけではないけれど、普段過ごす教室の友だちとは、自分が思ったことを話せる感じではなかったから、気楽に話せるその友だちといる時間がいい感じに元気になる時間だったことは確かだ。

教室に居心地の悪さを感じたか、何か悲しい気持ちになることがあって、泣きそうになりながら学校を出ようとしたらちょうど帰るところのその子に会って、一緒に帰った日のことも思い出した。いつも通りであることが、救われる日だった。

呼び名があやふやで、いつも少し気まずそうに少し照れくさそうに名前を呼んでいたような気がするけれど、それも、何とも言えない小さな優しさの重なりみたいなものを感じて、思い出すとしゅわしゅわした気分になる。

去年会ったときは、久しぶりだったから、久しぶりの緊張というか気まずさがなかなかほどけず、あとは、勢いよく就活の話をするのを聞きながら少し疲れてしまって、そういえばそこから会っていない。

元気にしているかしら、元気でいてほしいな、みたいな遠くを思う気持ちみたいな気持ちしか出てこない。それが少し寂しかったりするけれど、また会える時もあるかもしれないから、その時はまた、お互い新しくなった一人の人間同士みたいな感じで会えたらいいな、と思う。

---

スマホの中の写真を整理していたら、金木犀の写真が出てきて、秋が恋しい。
2020年の秋に撮った写真で、去年その木をもう一度見に行ったら、ほとんど切られてしまっていて、もうその場所でたくさん咲く金木犀を見ることはできないのか、と思い、少し悲しい。

この前引っ越してしまったけれど、前に住んでいたところは、ぼんやり散歩するにはちょうど良かったので、また住みたい。もしくは次に住むとしたら、同じようにぼんやり散歩できるところに住みたい。

---

お店のnoteの記事を読んでいて、2020年の5月の記事を読むと、改めて大変な時期だったと思い返す。
私も気持ち的にすっかり参っていたな、と振り返るけれど、私が知らない人たちも、その時期を過ごしていて、その大変さを今見ると、何とも言えない悲しさを持つ。


今日読み始めたエッセイの本には2011年の5月の日記があり、少し涙が出る。私はその時は小さかったから、その時期に思考的に何か強く影響を受けたことはたぶん小さいと思う。だからこそ、今の思考でまた考えるということも、大事なのだとなんとなく思った。遠くになってからではないと考えられないこともある。

---

何を言ってもしっくりこなかったり、自信が無くなってしまうときがある。

ぼんやりする時間や、ぼーっと考えごとをする時間は、入ってくる情報が多すぎて疲れた脳を休ませるのは良いらしい。文章を書くという時間も、脳が処理する情報の量が、何かを読んだり見たりする時よりも少ないらしいので、頭が疲れているときは良いらしい。

徒然なるままに書くしかないのだ。これは自分のための、自分が休むための時間なのだ、と思ってしまえば気は楽になるかもしれない。

---

たぶん、そんなに悩まなくて大丈夫なのだ、と人には言えるし、自分に対して思うときもあるけれど、思えないときもある。

でも、思わずしてしまったことや、思いがけずしてしまったことは、素直で、美しいのだとも思う。

直感は、今までの思考の積み重ねで、今までの自分が考えてきたことでとっさに思ったことだから、けっこう自分の気持ちに沿っていて、ちゃんと判断もできている、みたいなことを読んだことがある気がする。

それでいいよ~大丈夫だよ~と思うようにする。同じようなことは前に書いたかもしれない、たぶん自分に言い聞かせているだけかもしれない。


悲しそうな人や、楽しそうな人、今何を考えているか分からないけれど、その悲しさや嬉しい気持ちに対して、気持ちを寄せていられる自分でありたい。小さく、心でハグしている気持ちになったりしている。余計なお世話やおせっかいをしているだけかもしれないと思うときもあるけど、それでもいい。


悲しいときや疲れているときに、それでも残っている優しさを見せてくれてありがとう、嬉しいときに、素敵なことをたくさん教えてくれてありがとう、の気持ちかもしれない。