壁に貼り付く


自分は頑固で意地っ張りだと思う。
ノリが悪いと思う。
人が集まって盛り上がっているところを見て、ふつうに楽しく盛り上がれるのすごいな、みたいな気持ちになる。

それで小さい頃のことを思い返すと、小さい時から変わってないかもしれないな、と思った。
なんか上手く流れに馴染めないな、という感じになった時のことを思い出してみる。何かに反抗した日を思い出してみる。



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保育園の年中くらいのとき、室内で輪っかが連なったトンネルみたいな遊具があって、それで遊びましょう、みたいな日があった。
10人くらいか15人くらいの他の子は順々に遊んでいる。なぜか私は絶対にその中に入りたくない気分で、たしか一番仲の良かった子と二人で壁にひっついていた。
そしたら先生が来て、楽しいよ、遊ぼうよ、みたいなことを言ってきたのだと思う。横にいた友だちは、けっきょくそのトンネルみたいな輪っかのほうへ行って、他の子たちに紛れていった。
私は結局ずっと遊びに行かずに壁に張り付いていたと思う。
(ずっと後になって、保育園の連絡ノートを見ると、ちゃんとその日のことが書いてあって親にも報告されていたようだった。)

なんで先生の言うことを聞かなかったのか、遊びたくなかったのか、分からないけど、絶対みんなの中に入っていくもんか、と思っていたのは今もなんとなく覚えている。

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小学生のとき、いくつかの場面でなぜかすごく神経質になっていたのを覚えている。

小学生3年生くらいから行っていた塾は、家から歩いて15分くらいかかる距離だった。
子供用の携帯電話を首から下げて歩いていた。

塾にあった時計はどれも時間が少し進んでいて、授業で使う教室にあった時計が例えば8分進んでいるとしたら、その時計の時間に合わせて授業が始まる、というパワー系というかそんな感じで、私はその教室の時計で10分前に到着する、みたいなことを決めていて、道中に携帯電話の画面に映る時刻をとても細かくチェックしながら歩いていた。

哲学者のカントは毎日同じ時間に散歩をしていて、近所の人はカントが通るのに合わせて時計を直した、みたいな話があるけれど、似たような感じかもしれない。
私はチェックポイントごとに携帯で時間を確認していただけだけど。
このパン屋さんを通り過ぎるのが、17:38、ここの角を曲がるのが17:45、みたいな感じだった。
めちゃくちゃ細かいし、いつもきっちり誰よりも早く教室に着いていた。

(この3、4年で、待ち合わせに時間より少し早く着く、という力は失われていったのか、色々気にしなくなったのか、だいぶいい加減になった。
ぎりぎり慌てて家を飛び出すことばかりになった。)

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5年生くらいから自転車で塾に通うようになったけれど、そうなったらそうなったで神経質な私の前に次に現れた試練が、雨が降りそうなときに自転車で行くか、折り畳み傘で行くか、長傘で行くか、というものだった。

夕方のニュース番組の天気予報が唯一見ていたものだったけれど、そこで天気を見て微妙だった時に、自転車で行くか、歩きで傘を持って行くか、よく悩んでいたのを覚えている。
半泣きになって仕事中の母に電話をかけてどうしたらいいか聞いたことも一度ではないと思う。

なぜそんなに悩んでいたかというと、帰りに雨が降って濡れること自体がいやだったわけではなく、塾の先生に「今日自転車で来たの?雨降るかもよ?」みたいなことを言われたことがあって、それが恥ずかしかったからだと思う。

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中学生のときは部活の顧問の先生のことを嫌っていた、というかいつも反抗的な気持ちを持っていた。

中学1年生の冬休みの部活があった日、5、6人くらいで部室に立てこもり、練習が始まる時間を過ぎても出ていかなかったことがあった。なぜそこまでしたか覚えてないけど、ちょっと楽しかったというか、反抗することを楽しんでいたような感じだったのかもしれない。

その部活の顧問の先生は地理の先生で、授業中は先生がギャグを言うと、他のクラスメイトは、そんなのぜんぜん面白くないとかそういう態度を取りつつ寒い感じを逆に笑ってる、みたいな感じで、
でも私はその先生の授業ではぜったいに笑わないと決めていて、ずっと真顔でいる、というのをしていた。もはや、一人で睨みつけていたかもしれない。
今思い出すと子どもっぽくて恥ずかしい。

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高校生のとき、クラスで遊ぶ時間が週に一時間あって、体育館を使えるのが順番に回ってくるような感じだった。
体育館が使える日だからクラスでチーム分けをして運動会みたいなことをしよう、みたいなことが企画されていた日があって、あまりにも出たくなくて、風邪を引いたことにしたか何かで早退したのを覚えている。

フルーツバスケットのような、なんでもバスケットという遊びがあって、それもとても苦手だった。
椅子を丸く内側に向けて並べて、わーーっと一斉にクラス中の人が行き交う。
椅子に座れなかったら真ん中で何か言わなければならない。そういうのを、なんで楽しく遊んでいられるのか、分からなかった。
椅子取りゲームは椅子に座るのを失敗したことにすれば自分でゲームをやめられるのでまだ気楽だった。

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高校3年生のとき、クラスで仲の良かった子と色々あって、私が距離を取っていたらその子がヒートアップというか、なんで??という感じになったらしく、朝教室に入ると、机の中に手紙が入っていて、話がしたい、みたいなことが書いてあったけれど、話す気になれず、そのままにしてしまった。

放課後になって、私はなんとも思ってません、みたいな感じで帰ってしばらく歩いていると、別の子から電話が掛かってきて、それも出なかった。
結局卒業までその子とちゃんと話すことはできなかった。

それと似たようなことを大学一年生のときに仲良くなった子にもしてしまい、疎遠になってしまった。

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母が仕事で単身赴任となり、兄も仕事で家を離れたので父と二人暮らしになった。
煮詰まり、一人暮らしをすることを決めたけれど父には言わなかった。
前日か二日前くらいに、部屋に溢れる段ボール箱を見られ、さすがにバレる。ひどい言い合いになった。
引っ越す当日は朝早く、飛び出るくらいの勢いで家を出た。勢いよく雨が降っていた。

2年後、父が仕事で単身赴任になり、母は単身赴任が終わったタイミングでなし崩し的に別居のような感じで別のところに家を借り始め、私は実家に戻って一人暮らしをした。

父の単身赴任が一年で終わることになり、また二人暮らしをして、一年後くらいにお金が貯まったらまた一人暮らしをしようか〜、と悠長に思っていたら、再び父と派手に言い合いになる。
次の日には部屋を探し始め、また家を出た。そのときの引越しの日も雨が降っていた。


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思い起こされるのは、負けるもんか、と口をきゅっと閉め、黙り込んでいる自分の姿だ。
肩にも力が入っているかもしれない。

別に気にしなくてもいいところが気になってしまう。意地を張って何かと戦ってしまうのかもしれない。

人になんやかんや言われるのが嫌なのかもしれない。
「ぶじゅんでやるの!」(自分でやるの!)が、小さい頃の口癖だったらしい。

頑固で負けず嫌いで、でも(だから)気が小さくて自信がなくて余計に意地を張る。
大勢でわいわいしてるところの波に乗れないし、乗るもんか、と、強がっている。

でもどこかでは、ほんとは人とちゃんと言葉を交わしたいし、コミュニケーションを取りたい、と思っているからこそ、いくつかの場面が頭に残っているのだろうと思う。

自分を守ろうとして黙るのか、黙ることでしか自分を守れないのか、よく分からない。

言葉を持ちたい。言葉を人に届けることができるようになりたい。
嫌だと思ったとき、悲しいときにも、それを言葉にして伝えられるようになりたい。黙って逃げることしかできないのではないか、ということに悲しくなってしまう。

言葉が自分の口から出るまで時間がかかっているうちにどんどん物事は進んでいってしまう。

時計通りに歩いていれば毎日同じ時刻に同じ場所を通れるけれど、日々自分の周りに起きることは自分ではコントロールできないことばかりだ。

なんとか立ち向かおうとして、あ〜無理だ、とか思ってるのかもしれない。

自分にはユーモアが足りないのかな、シリアスすぎかな、もうちょっと寛容でリラックスできていたらいいのかな、と思ったりする。
でもしょうがない!そういう性格なんだから!と開き直ったりもする。

何年後かの自分はこれを読んだら何を思うんだろう。変わってるか変わってないか、変わったほうがいいのか、変わらないほうがいいのか、よく分からない。

よく分からない、がどんどん増える。
自分はどこにいるんだろう、と全く分からないくらいの気持ちになったりする。
大丈夫かな〜、大丈夫だよ、と言い聞かせる。

「考えすぎで言葉に詰まる 自分の不器用さが嫌い でも妙に器用に立ち振舞う自分はそれ以上に嫌い」
というHANABIの歌詞を思い出して、なんとなく大丈夫な気持ちになろうとしている。