独りよがりぐるぐる、いつの間にか晩夏


傷つきたくないわけではない。
悲しかったな、というわけでもない。
ただ、気がつくととても後悔していた。一つの言動に対してというより、少しずつ、ひしひしと徐々に、でもとても後悔している。
今まであまり後悔したことなかったんだけどなぁ。これが大人になったということなんだろうか。

ただ、焦らなければよかった、と何回も思うので、やっぱり焦らなければよかったな、と思う。
いつまでも待つことができていれば、と思う。

悔しさがある、というと、何か自分の外に向かって怒りの感情や不満の感情があるような感じもするけれど、
悔いがある、というと、自分のおぼつかなさへの、もしくは失ったものへの、成就しなかったことがらへの、到達しなかった気持ちが心の底に沈澱しているような、感じがある。

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少し前に書いていたメモを見返していたけど、
今は後悔みたいな感情がほとんどなくなってしまって、もうその感情をあまり思い出せない。
やっぱり自分は、後悔する、というのがあまりないのかもしれない。というか長く後悔し続けることがないということなのかもしれない。

真夏に流行り病にかかり、今さらだけど自分は初めてのことだったので色々と消耗した。しばらく経ってようやく普通くらいの体調に戻った。

生活が穏やかさを取り戻して、気持ちもおっとりまったりしてしまって、ぼーっとしている。
ただ、ぼーっとする時間は確実に必要だし、気持ちが焦っている時や不安な時はスマホから手を離せず、もしくは何かしらの音を聞いてないと落ち着かない、みたいな感じなので、何も聞かずにぼーっとしたり本を読んだりする時間を持てていることは良いことのように思う。


最近はイタリア語の勉強も始めた、というか再開した。外国語を学ぶこと自体がけっこう好きで、時間があれば台湾語とかフランス語もやりたいし、ギリシャ語とかフィンランド語を勉強するのも面白そうだなとずっと細々と思っている。
今まで何回も勉強し始めては三日坊主の繰り返しだったけれど、なんとなく、今回は文法の勉強を楽しむ気持ちを持ったまま続けられている気がする。

今は1日30分もできてないくらいだし、使う予定もないけれど、引き続き外国語の勉強は続けたい。イタリア語を2冊くらい文法書を終わらせたら次の言語に移ろうかな、とか考えているだけで楽しい。
何か手を動かしてないと落ち着かない、というのもあるけど。


好きだったはずのことでも気が乗らなくなることもある。なぜか、どうにもこうにも手が動かないこととか、やらなきゃと思ってるけどできないこととか。
そういう時は思い切って休む、一旦やらない、それで半年とか経ってまたやりたくなったら再開すればいい、というようなことを松浦弥太郎の本で読んだのをたまに思い出す。

一旦中断、もし思い出したら、また会いたくなったら会えるよ、と思ったり。
もし思い出さなかったとしても、それは自分の中のどこかに記憶として思い出として残ってる、それでいいや、と思った。
だから、全然大丈夫、何も無理しなくていいんだ、と自分に声をかけるように頭の中で考えたりした。
人間関係は、必ず自分が思った通りになる、ということはなく、不確実で曖昧で私にはよく分からない。でも、まだ人と関わっていきたいと思うし、私は人が好きだと、いつの間にかちゃんと思うようになっていた。


涼しくなんてならないんじゃないかと思っていても、結局秋は来る。
まだ、考えたい。私は色んなことを考えることをあきらめたくないな、もっと考えたい、と思う。

去年の夏に書いていた小説の断片を読み返していたら、その時感情のままに残した言葉がそこにあって、何となくエネルギーをもらったので、それをつなげることができるか分からないけど、小説を書き切ってみたい。もう少し涼しくなったら書き進めようと思う、ほとんど自分のためだけど、またいつかの自分を助けられるならそれでいい。


ちょっと派手なワンピースを買った。
少し変な服を着たい気持ちがいつもどこかに少しあって、少し変な服を着ていると気分が単純に上がる。

兄の結婚式があったときも、結婚式に行く時ってみんな同じような服だ、と思って、頑なに同じような服は着たくなくて、レースはいやだ!と、半ば苛立ちながら着ていく服を探した。自分は頑固だなと思う。
でも、探しているなかでsaharaというお店を知って、とっても好きなワンピースを見つけることができたのでよかった。
普段なかなか着るタイミングがないけど、この前ただ一人で買い物に行くときに着て行ったら楽しい気分になった。

今回は行ってみたかった古着屋さんに行った。ワンピースを買う、というのは私にとって、何か生活を前に進めているような、そんな感じがある。


最近音楽を全然聞けなくなってしまって、でも外を歩いてるときに虫の鳴く音が聞こえたり、木が風で揺れてる音が聞こえたりして、それを新鮮に思ったりして、
なんか騒音を大きな音でかき消しているようなこともあるな、と思って、何も音がないのもそれはそれでいいな、とやっぱり思った。

他の人と同じことをしてもしょうがないな、というか、同じ場所で戦ってもどうしようもないし、戦わないといけないなら私は負けでいいから自分で考えて他の場所へ行く。

人と比べるということがどんどん無くなっていて、するすると、他人の情報が流れていって、飲み込まれなくなったように思う。(強がりも少し含まれている。)
人と自分との境界というか、自分の輪郭というか、そういうものがはっきりしてきたのかもしれないし、ただふわふわと風に吹かれているだけなのかもしれない。
いいのか悪いのか、そういうのはよく分からないけど、やっぱり、無理しなくていいんだ、と色んなことに思えていることは、自分にとって今は心地がいいような気がする。