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3週間ヨーロッパ女子一人旅 第1章パリ

また私の悪い癖が出てしまった。
前回の更新から1年も経ってしまっていた。絶望である。

2021年の8月から1年しか経っていないことにも、今ちょっと驚いている。
個人的に公私ともに変化が多すぎた。住んでいる都道府県すら違う。
流石に1年間で詰め込みすぎだろと我ながら思う。激動。まじで何?

さて本題に入る。

前回はヨーロッパ女子一人旅の0章で、今回は第1章のパリ編。

まず、前回も書いたがコロナの影響による飛行機欠航で、私はモスクワ経由でパリへ行った。インド経由とも悩んでいたような気がするが、結果的にロシアの方が貴重な経験になったので正解だった。2020年なんてめちゃくちゃ最近なのに、ロシア経由なんてもう今じゃ絶対にあり得ないことだ。

「2年前に普通に行っていた場所に行けなくなるなんて、現代でもそんなことあるのかぁ…。」
「教科書とか映画でしかみないレベルの話がてんこ盛りのここ数年、冷静に怖いな…。」
みたいな、政治学を専攻していたとはとても思えないペラペラの感想を抱いてしまう。

いつだったかに読んだ、歴史学者の言葉を今ふと思い出した。

「歴史のターニングポイントの認識は非常に難しい。
‘今がその時だ!’と人々が気づくことはできない。
‘あの時がその時だったのか!’と後から気づく。五・一五事件がいい例だ。」

私たちのターニングポイントは、一体いつだったのだろうか?

話を戻す。

モスクワの空港に無事着いた。

そんなにこの空港の滞在時間は長くなく、割とすぐに次の飛行機に乗ったような気がする。
 
ここでは特筆すべき面白いことはなかったと思うのだが、
プーチンの推しグッズが売られていたのは正直かなりウケた。


ついにパリに着いた。向こうの時間で深夜0時とかだったと思う。やっと到着したと心が躍ったが、ここで大問題が発生した。私を迎えに来るはずの人とコンタクトが取れない。事前にお迎えカーを予約をしていたが、まじで一生電話に出てもらえない。非常にまずい。まず過ぎる、何がまずいって、日本じゃありえないが海外の空港はまあまあ治安が悪いのだ。夜の空港では、最悪の場合、強姦事件等の被害にあうという事前情報も得ていた。とりあえず物理的に強そうな男性旅行客の横に座りつつ焦っていた。怖くてお手洗いにも行けない。
 
徐々に落ち着きを取り戻した。相手の電話番号はわかっていたので、優しそうな現地のおばさんに、電話代払うのでこの番号に電話かけてもらっていいですかね?とお願いしたりした。しかし尚、繋がらない。
 
そうこうしているうちに、私のヨーロッパSIM入りのスマホに相手から着信があった。30分ぐらい約束から遅れているし、かなり腹立たしい気持ちになったが、何故か相手がブチギレていた。しかも途中からフランス語を話せ!とキレていた。後にも先にもこれほど理不尽な理由でキレられたことがない。
 
埒が明かないので、横にいたフランス人に私のスマホを手渡してフランス語を話してもらって英語に通訳してもらった。とりあえずその場にいて動くな、待ってろ、と言っているらしい。普通、そんなことでキレますかね?全国のモラハラ彼氏たちもびっくりのキレ方だ。
 
そこから更に10分ぐらい待ったらモラハラドライバーが到着した。文句の一つでも言ってやろうと思ったが、風貌が怖すぎて何も言えなかった。それに加え、車を運転しているモラハラが言いがちなセリフとして有名な「はぁ?じゃあお前ここで降りろよ!!!」が発動したら流石に怖すぎるので、おとなしく車でホテルまで運ばれた。
 
↓モラハラドライバーに駐車場に連れていかれる際の動画
 


そんなこんなでホテルについた。
夜に着いたことにより、普通に夜寝て朝起きるということができたので特に時差ボケにはならなかった。
 
正直何日目にどこに行ったかとかは詳しく思い出せないのだが、ルーブル美術館等のベタな場所は大体行ったと思う。でもやはり一番印象に残っているのはヴェルサイユ宮殿だった。
 
なぜなら、私は7歳からのベルサイユのばら(通称:ベルばら)オタだからである。初恋の人はオスカル様、そう自信をもって答えられるほどにベルばらを愛している。。ヴェルサイユ宮殿なんて、聖地巡礼以外なにものでもなかった。
 

ベルばらはざっくり言うと、フランス革命あたりの史実をもとにした恋愛フィクション漫画。
 

「千のちかいがいるか 万のちかいがほしいか おれのことばは ただひとつだ」

という言葉の美しさにうっとりし続けていたら気づけば26歳になってしまっていた。18歳ぐらいまでは、こういうセリフをいつか素敵な誰かに言ってもらえると本気で信じていた私、ピュア過ぎて本当にかわいい。(勿論言われたことはない)
 
オタク特有のキモテンションでヴェルサイユの中を歩いていたら、売店があったので寄ってみた。
 
そこの店員さんがかなり変わってて、彼は多分バイトだろうし多分そんな権限もないと思うのだが、色々無料にしてくれた。たしかヌテラクレープとチョコとコーヒーを貰ったような気がする。最後に何故かツーショットを撮った。海外旅行あるあるの「今考えると結局あれ何やったん?」の謎イベである。「僕と結婚してくれたら、王妃の暮らしができるよ!」と言われ、フランスのお笑いのレベルを悟った。


また、中国人ファミリーとも仲良くなった。小学生の娘さんとご両親だったが、所謂彼女はABC(American born Chinese)だった。実家がNYってなんやねん。
お母さまの方が、日本に少し住んでいたこともあるようで結構長時間盛り上がった。
 
色々まわったが、やはりヴェルサイユの印象が圧倒的に強い。
本当に行けてよかった。

「いやぁ~、ここ数日で致死量の美しいものをみちゃいましたなぁw」、という気持ちで私はパリを去った。さて次はロンドンである。ここからは第2章で。アデュー!
 
 


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