お気に入りの力

着るものには比較的無頓着な方で、高校時代は遠足や修学旅行の度に駅前の洋服屋に駆け込んで店員さんに服を見立ててもらうような人間だった。

そんな女子高生も今や大学3年生、当然のことながら私服で通うわけで(まあ最近は外に出ない分ゆるりと決めてはいるが)。大学生になったとき、ああこれから私は毎日私服を着るんだ…と3年ずつ着古した2着の制服に手を合わせたものだ。


しかし、やはり根本的なところでおしゃれはしたいものらしい。
特に私はアクセサリーが好きだ。机の横のタンスの上には、ヘアピンからネックレスまでずらりと並ぶケースがある。

好きだから、色々買う。何度ケースを新調したことか。
そういう意味では飽いていたのかもしれない。
大学1年生の暮れあたりまでそんな飽食を続け、私は豊かになったというわけではなかった。

それに気がついたのは昨年のことだ。
唯一懇意にしていると言っても過言ではない大学の友人に、誕生日にネックレスを貰った。

今まで私が舐め回すように見ていたショップのネックレスなど比にならないくらい自分の好みだった。

その次に、時間潰しに眺めていた通販サイトで偶然見つけたイヤリングも、すごく気に入った。服飾品を通販で買ったことはなかったけれど、そんなことさえ忘れていた。

気に入ってしまって、他のものが一切要らないような気がした。

「お気に入り」のもつ力はすごい。
それさえあれば他は何も要らない、とまで思わせるその不思議な魅力。

それまであまりにも気に入るものが見つからなかった(見つけようとしなかった)ために、きっとあれほどに飽いていたのだろうと実感する。

一瞬で惹かれるようなあの感覚を知ってしまったので、私はなかなか物を買えなくなった。
今でもお店の中を見て回るのは好きだけれど、多少のときめきでは物欲センサーは反応しない。かなりときめいたとしても、じっと考えて結局買わないことばかりが増えた。

それはアクセサリーに限った話ではなく、洋服もだ。着心地に、色に、デザインに。洗濯表示まで本気で気にかけようとすると、「買わない方」に選別されることが多い。でも、そのくらいの方がいい。

なんだかんだ物で溢れている私の部屋にとっては、適切な感性だと思う。
いや、これが一般的な感覚なのかもしれないけれど。



ちなみに、今年の誕生日にもその友人がブレスレットを贈ってくれて、お気に入りが増えた。きっとこれこそが「豊か」なのだろうなと感じている。
なるほど、「自分の気分を上げるために」というのも心から納得できる。