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有言実行

書きたいと思うことが頭の中で大渋滞を起こしている今日この頃。
それとはまるで対照的に、自由に使える時間はどんどん限られていく。

ライトなアウトプットができるようになりたい。サクッと。
と言いながら今日はまた別の観点からアウトプットの話をする。

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noteでは基本的に自分が実際に体験した出来事から考えたことを拡げて書いているつもりで、まあつまり"大公開日記"とでも名付ければいいのかもしれない(…ダサいな?)。

一番難なくできると言えば難なくできる。何も出来事がなかった日でも、「最近これが気になってる」、何も考えなかった日でも「とりあえず散歩したら花が咲いてた(写真つき)」。そう書いても自分の中の公序良俗には違反しない。別に違反しても罰則はないが(なんだ、何を書いてもタイムリーに見えて困ったものである)。



ただ、そのタイプのアウトプット以外も日常的にやりたくなってしまうような欲張りな人間らしい。

先日「noteでの写真投稿」に目覚めた(…と言いつつ最近は散歩すら自粛し始めたので実行できていない)ときに公言したが、手書きのアウトプットを始めた。

そしてその初日、手書きで何を書こうかと考えた。

日記(考えた内容というより行動記録)はすでに書いているし、考えたことはnoteで書いているし、何を書こうか。

それでふと思いついたのが、与えられたテーマに対して自分の考えを書いていく、というものだった。
その日あった出来事に関連したテーマなどではなく、完全に独立したテーマを自分で立てて、1ページだけ書く、という。

決して誤解しないでいただきたいが、一昨日は希死念慮という言葉について書いた。
もし万が一そのノートが家族に発掘でもされてしまったときに備えて念入りに注意書きをしたためたうえで紡いだ言葉だったが。なぜ初期からそんな言葉を選んだんだ、自分。

話は元に戻って、その日のテーマを「与えられたもの」にするにあたっては身近ないろんな文字がヒントになる。今隣にひらりと置いてあるファストフードのチラシでも、可愛らしく並ぶ柑橘でも、なんでもいい。

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noteで多少自分の暮らしを見つめ直す機会が増えたとはいえ、自分が日頃あまり気に留めないことについて書くというのは難しい。

誰にも見せるものではないからそこそこ自由に書けるし、1ページを全部埋める必要も毎日書く必要もないのだが、それにしても「…何を書く?」と一瞬考えることが多い。
そういう時はだいたいまずその言葉の意味をネットで調べるわけだが。そうすると少しだけ筆も思考も進んでいく。

いつの間にかサラサラと書いて、ページの余白が残り半分くらいになったあたりでお決まりなのが、やはり自分自身の体験記。我ながら些細なことまで実は覚えているものだな、と思う。
完全に可用性ヒューリスティック。過剰なバイアスはよくないぞ。

もっと関係の薄い言葉にでもしたらいいのだろうか。それでも終わり方がいつも似ているようならば、もうそれは一種の才能なのかもしれない。それはそれでいいか。笑



1年前の自分には到底信じられないくらいの量・質のアウトプットをしている。同じ分だけ、いやそれ以上でもいい、インプットの量も増えていたらいいのだけれど。実際はどうだろうか?

サイクルが一度できたら早いものなのだろうが、最初の壁というのはどうにも届きそうで届かない。
その努力が丁寧にできるのはきっと今だけだ。タイムリミットを意識しろ、自分。