なぜ書くの?

最初はまっさらだったから戸惑いはなかった、何度も書き直しながらずっとドキドキしていたけれど。漠然と書きたい気持ちはあったものの、記事を書いて、しかもTwitterで公開するとは今まで想像もしていなかったことだったし、文を書くことでこれから私は新しく生まれ変わるような気がしたから。大袈裟かしら。

だけど、いざ読み手の皆さんがいて、何かを書くとなるとすごく戸惑っている自分がいた。どうせなら面白いと思って欲しいとか、心が動いてくれたら嬉しいとか、じゃあそのためにはどうすればいいのか、とかとか。見栄っ張りな自分が顔を出して、なんか手が止まっちゃってた。あのワクワクはどこに行ったの?ワクワクいなくなるの早すぎない??

いやいやちょっと待って、と。
私が”文章を書くこと”によって、本当に得たいものってなんだろう?「分からないままで書くと決めた」みたいなことを少々かっこつけて最初の記事で言っちゃったけども。

本屋さんの一角で見た「バズる文章の書き方」を身につけてバズることが目的なわけではなくて、ただ、これ。








「自分のために、書きたい」








というのも、私はこんなことを思ってる。

ひとつめ。文章を書くのは、雑然とした頭の中から必要なピースを集めて、繋ぎ合わせる作業。どの言葉を使うか選択の連続。そうして、漠然として曖昧なものを明確にしていく。

言葉にするのって、ただ自由に漂ってたものを、せまい箱に押し込めてしまうようなことで、不自由なことかもしれない。でも、私は自分で選びとった不自由さが欲しい。自分が何者なのか分からなくて、贅沢にも、自由であることに不自由さを感じるから。不自由さによって開ける道があり、得られる真の自由があると思うから。


ふたつめ。文章には、言葉には、必ず受け取り手がいる。ひとりごとでも自分が受け取っているし、誰かに渡したり、公開するものは当然相手がいる。特定の人でなくても。

文章を推敲するなかで、私は人に寄り添いたい。人に敬意を払いたい。人に対する想像力を養いたい。人と関わる力を伸ばしたい。


みっつめ。ひとつめとふたつめを求めることは、私にとって、とってもとっても楽しいこと!


たぶん、大袈裟じゃなくて、

私は、また新しく生まれた。



うんうん悩んでいた時に本屋でみつけた、田中泰延さんの「読みたいことを、書けばいい。一人生が変わるシンプルな文章術一」は、最高でした。まさに私のもやもやを解決し、本当に求めていることを探し当ててくれました。ありがとうございました。

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