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【負けヒロインが多すぎる!】普通のラブソングを失恋ソングへと解釈させるハイセンス極まるカバー選曲の頂

愛がどこからやってくるのか知っているか?

答えは私にも分からない。
しかしなぜ分からないかの答えへ辿り着くためのヒントは持っている。

そう、【負けヒロインが多すぎる!】のEDにこそ答えを紐解く鍵はあるのだ。

【負けヒロインが多すぎる!】のEDは圧倒的なクオリティを誇っている。
選曲がだ。あまりにも選曲の妙が光り輝き本編を彩っている。

なによりも特筆すべきは歌詞の解釈を負けヒロイン色に染めている点にある。

元々は恋愛の歌でないとしても全て片想いであり失恋の歌になっていることだ。
当然歌詞の改編などされていない。
「誰が歌っているか」ただその1点だけで曲の性質を失恋ソングへと染め上げている

ここにカバー曲ならではの深みが生まれている。
元々失恋の曲として作られたオリジナルでは滲み出ることのない要素だ。既存の歌詞に当てはめることでより強調される負けヒロインらしさが抽出されている。

この本編理解度が高すぎるEDの選曲に脳を震わされ私は今ここにいる。
これはもはや公式がお出しするイメージソングと言っても過言ではない。

元来オタクという生物はみな一様にイメソンが好きだ。
好きなキャラやらなんやらに似合いそうな既存の曲を探してこの歌詞がさあ!!!! と暴れ狂う性質を有している。

そういった面でどのED曲もなるほどそうくるかとなるほどこの歌詞をこう解釈させてくるのかの両面で殴りかかってきている。
よくぞこんなにも失恋すれすれのさっぱり片想い曲を見つけて当てはめてくれたと感服するばかりである。

だからこれから答えを探しに行かないか。
愛がどこからやってくるのか。その答えを。


「こんなハズじゃなかった」

愛はどこからやってくるのでしょう

LOVE2000/八奈見杏菜(遠野ひかる)

【LOVE2000】とはそもそも恋愛を歌ったラブソングではない。
原曲について言えば歌詞の恋愛要素は薄い。
だが八奈見杏菜の歌うこの曲は間違いなくラブソングだ。それも失恋の。
それこそがこのカバー曲に宿る神威。

愛はどこからやってくるのでしょう

八奈見杏菜に最も当てはまるのはこの一節に他ならない。
いつの間にか「負けていた」女にとって【愛はどこからやってくるのでしょう】という言葉は魂の叫びに等しい。

「いつの間にか惚れていた」
「いつの間にか好きな人に好きな人ができていた」

どちらも等しく愛のありかを探している。それは【どこからやってきたのでしょう】という一言に内包されている。

いつ草介は華恋を好きになっていたのか。
草介と杏菜の間にあると思われていた愛は一体どこへ行ってしまったのか。そもそも果たして双方に間にそれはあったのか。
そして、いつか勝手に他の誰かを好きになるその日はいつやってくるのか。

愛はどこからくるのか。我々は何者でどこからやってきてどこへ行かんとしているのか。問いかけはやまない。

そもそもが前述した通り【LOVE2000】なる曲は歌詞からあまり全面的に振っただの振られただのと恋愛面を出していない。
だからこそ思考を走らせる必要がある、歌詞を読み解くことこそが必要である。なぜわざわざこの曲が選ばれているのかという真意を。

答えは簡単。
失恋感を、負けヒロイン感を強調させるためだ

曲はこんなにも明るい。なのに本編になぞり歌詞の意味を捉えると全体的に悲壮感に満ちた世界が繰り広げられる。
これである。前述した片想いの歌詞が失恋へと変容していることの最たる例は。

恋愛の渦中ではない。どこか達観して過ぎたことのように世界の移ろいにフォーカスする歌詞は失恋後の世界であると解釈することで光を増す。
だからこそ【愛はどこからやってくるのでしょう】という歌詞のハマリ具合が凄まじいという話だ。

一般的に見てもラブソング要素は薄い。
でも八奈見杏菜が歌うと失恋ソングになる。

ここが最も重要な部分だ。だから何度も言っている。本当に選曲の妙が光っていると。
冒頭たった一節で八奈見杏菜の失恋、その全てが表現されている。これがカバー曲なのだからすごいという話なわけだ。

分かるか? 愛がどこからやってくるのか。
分からない。分かるはずがない。それが答えだ。
どこからともなくやってきていた愛に負けた女が一番その答えを知りたいはずだ。

こんなにも爽やかな曲でこんな悲壮感が出せるものなのか。
出るんだ。それが選曲の力である。

そして私たちは期待して待つばかりである。
いつの日にか愛が見つかる日を。

八奈見杏菜が今を乗り越えた未来で【あなたをずっと探してた】と言える世界を。

「駆け引きなんてできなくって」

ねえ明日こそは言えるかな
きっとそのためならば私
ちょっとずるい子にだってなりそう

CRAZY FOR YOU/焼塩檸檬(若山詩音)

まっすぐで疾走感溢れる曲調が焼塩に合わないはずがない。無限に湧き出る爽やかさから滲み出る悲壮感は彼女にしか出すことができない。

会いたいけど会えない。伝えたいけど伝えられない。
こんなに爆発しそうなほどに想っていたのに何も本心を伝えられていない。そのもどかしさと普段の元気さのギャップが焼塩を負けヒロインたらしめている。

【CRAZY FOR YOU】は【LOVE2000】と違い歌詞からしてストレートにラブソングである。
それも等身大でまっすぐでいじらしい年相応の恋愛観が綴られている。何よりも、この曲は確実に片思いをしている者の曲だ。

これが何を意味しているか分かるか。そう、八奈見の時と同じだ。
普通の片思いではない。フラれたあとの心情が綴られているラブソングへと変容している

焼塩も八奈見と同じで気がつけば負けていた側のヒロインだ。

しかし物心付く前からのちゃちな約束と過ごした時間に慢心して負けた八奈見とは違う。焼塩はずっと想い続けていたが伝えられなかったがために負けていたヒロインだ。
その真髄は一時的には確実に綾野と両思いであり、なんなら今でもワンチャンスは全然あるという点にある。

だからこそ、光の道を選び自ら身を引き2人の幸せを願った焼塩にこそ【CRAZY FOR YOU】はマッチする。
誰かを憎まず妬まず敵などどこにもいない。ただ自分の中のやりきれない衝動に身を任すこの曲のスタイルはあまりにも焼塩に合っている。

【夜空は君への滑走路】というフレーズもまた非常に解像度が高い。むしろ本編関係ない曲からよくぞこれを引っ張ってきたのかという事実に震えるばかりだ。
焼塩はよく夜に走っている。あの負けていたと知った日のグラウンドも、おばあちゃん家の神社で走っていた時もだ。
ただ走っているのではない、自分のやりきれない気持ちを無理矢理精算するために走っていた。

陸上競技という自分の走るラインが記された世界、道は選ぼうと思えば無限に選べる。でもまっすぐ走るしかない。進む方は一つしかない。
そんなまっすぐで不器用で一途な片思いが「滑走路」と称されている。

高く飛ぶために存在する滑走路も、自分の気持ちに精算して次の恋に行くために走る行為にも違いはない。
夜空の下で走る焼塩は確実に一歩ずつでも未来への滑走路を走っている。
歌詞を読めば読むほどに光の片思い曲であることが分かる。

だからこそ、これが失恋した後のものだと想いながら読むとより美しい
失恋してもあんなにも光側でいられることは焼塩檸檬という女が元来持っている人間的光の象徴に他ならない。

ぽっと出の女に幼馴染を取られたという共通点を持ちながら八奈見と焼塩は光と闇と形容してもいいほどに対照的だ。
しかしどちらも正しく、間違いはない。
負の感情もまた人間らしさの象徴であり、正しく歩むことは正道ではあるが魂の救済とは遠い。

ありのままの感情をさらけ出す様も、それでもと光を全面に出す様はどちらも等しく美しい。

焼塩はちゃんとフラれてお互いの気持ちにケリを付けた。
綾野とも朝雲とも友人であり続けることを選んだ。

だからこそ、な。だからこそだ。
【CRAZY FOR YOU】つまり「あなたに狂っている」という曲名が染み渡るのだ。
2人の幸せを願っている。友人として愛している。そのうえでいまだあなたに狂っているのだと。いつだって隙あらば「今すぐ会いたい」わけだ。

ここである。失恋も片思いも表裏一体で限りなく同一の状態。しかし明確に違う。
片思い中の【CRAZY FOR YOU】と失恋後の【CRAZY FOR YOU】では同じ「あなたに狂っている」でも内包される意味合いが全く変わる

これが素晴らしいというお話の国である。

一人でいると焼塩も苦しかった。
狂っているのだからずるいことだって考えてしまう。
でもそれに打ち克つ光を備えていることは勝ち負け関係なしに誇られるべき焼塩檸檬という人間が持つ人よかくあるべき美しさといっても過言ではない。

いまだ癒えぬ想いに狂っていたのだから。だから走るしかなかった。いつだって走り続ける以外に自分を救うすべも忘れ方も知らなかったのだ。

だが私は信じているし知っている。
走り続ける彼女の道が、飛び立つための滑走路であるということを。

「何度も繰り返す どうか行かないで」

そうもがきながらも
きっとこのまま歩いていける

feel my soul/小鞠知花(寺澤百花)

小鞠、お前YUIなんて聴くのか。マジで言ってんの。許せねえよ俺。
そんなまるで恋する女の子みたいな……恋する女の子だったわ。

【feel my soul】に関してはかなり趣旨にあった選曲となっている。
なぜならば歌詞を読めば読むほどいやこれ普通にシンプルな失恋ソングじゃんとなるからだ。

実態として歌詞"だけ"を見たらかなりふんわりとしており一言に失恋ソングとは言い難い。
泣き疲れるほど辛いこともあったが目の前に道はあるし「君」は優しい言葉をかけてくれるしでまた歩き出そうというのが要約だ。

ふんわりとしているからこそ、特定の人物を想い歌詞に目を向けるとその印象に引っ張られる。
つまり小鞠の顔を思い浮かべて聴くこの曲はフラれてもがんばって前を向こうとしている彼女の曲にしかならない

フラれようがなんだろうが死なない限り人生は続く。
部長との関わりは今後減っていくだろうし彼の中からも小鞠という一人の後輩は徐々に影を薄くしていくだろう。

しかし小鞠の中には永遠がある。
一緒に過ごした時間であり楽しかったという記憶である。なによりも一瞬でも月之木先輩に勝った瞬間があるということ。
それらは誰もがずっと探す偶然や偽りの愛なんかではない、彼女が見つけた「たったひとつ」に他ならない。

あるいはあと一歩、踏み込んでいなかったらその時間は続いていたかもしれない。そう苦悶する時もあった。
しかしあのおどおどキャラに反して小鞠は止まらない女なので小説も新しいものをばんばん書くし決別のための文化祭準備も一人で完遂する。
誰が何と言おうと結局は自分で決めて戦っていた。それが基本的には裏目に出るのが負けヒロインたる所以なのかは別として。

確かに小鞠は戦う前から負けていた。しかし彼女はちゃんと戦って負けている。八奈見や焼塩と決定的に違うところはここだ。
自分の中で抑えられない想いがあり今の安寧と引き換えになっても得たいものがあり、そのために戦った。結果としては負けたが彼女は自分の戦いを完遂した。人は戦わなければ負け犬にすらなれやしないのだから。

自分の中で後悔のないように戦い、けじめもつけた小鞠だからこそ【もう振り向かない】と歌えるわけで【きっとこのままずっと歩いてゆける】わけなのだ。

小鞠が最後に出した答えは「好きになって良かった」だから。

この話はここへ帰結する。苦しみもがきながらも前に進む、ちゃんとした「失恋後」を生きる歌としてこれ以上マッチしているものはない。

小鞠編は合宿も学際も本当に各ヒロインの中で最もヒロイックで闘う者であった。
負けたヒロインでも誰でも平等に時間は進む。そんな当たり前のことをまざまざと感じさせられた。
結局のところ自分の魂は自分で救うしかないという小鞠のスタンスは実に好感が持てた。

居場所や友情を壊してでも得たい愛があり、実際に失っても人生は終わらない。
でも自分の戦いを否定しないし好きになった心の躍動も全部受け入れてもがきながらも前へ進む。いや、万人に等しく訪れる時間の進みにより進まされる。

そんな想いを抱えて行き着いた共感の果てが【feel my soul】だ。
やはりあの小鞠がYUIなんか聴くのかそして歌うのかという想いばかりが万感に積もる。
しかしそれはオタクであることよりも恋心の方が勝っていることの証明である。オタクはタイアップ以外の邦楽を聴かないので。

もっとオタクオタクしいラインナップで来られたほうが小鞠らしい。だが真に本質へと触れられるものはYUIでありだ。
この選曲は完全なる答えへ到達していると言わざるを得ない。

あの小鞠の歌う【もがきながらもきっとこのまま歩いていける】という歌詞の重み、その美しさだけが胸を震わせる。

きっといつかはいつかはハッピーエンド

そりゃそうよ。
純粋な歌詞の質の高さや本編リンクを考えたらカバー曲というものはオリジナルよりも一歩劣る。
当たり前の話だ。オーダーメイドされた歌詞のほうが当然解像度は純度高くなる。

だからこそカバー曲で叩き出される純度高い解像度というものは圧倒的に貴重であるという話だ。

しかしまだ私はこの作品の答えを手にしていない。
そう、宇宙で一番かわいい妹である佳樹の【プレパレード】へと至っていない。結局のところ二人称「お兄様」とはジョーカーなのだ。これを切られたら勝てる由もない。

確かに実妹という属性は王道の負け要素でしかない。私は来るべく佳樹編についても肉体と魂を高めておかねばならない。

昨今この手のラブコメ作品における邦楽カバーという企みは珍しいものではない。
特に現代ラブコメの覇にして祖でもある【からかい上手の高木さん】などアニメ3期に渡ってEDはカバー曲と徹底している。

しかしそんな激戦区であるラブコメアニメ邦楽カバーバトル界隈において、圧倒的な歌詞のマッチ具合で負けヒロインは頭角を現している。
やはり【LOVE2000】による歌詞解像度の高さと声に合ったシンプルな神曲具合に度肝を抜かれたところは非常に大きい。

その後のラインナップも最初に負けずかなり精巧に練られた選曲の程を伺えて唸るばかりだ。
無難にシンプルな邦楽で置きにいくのではない。名曲の中からより解像度の高いものを選ぶという攻めのカバー曲というスタイルは本当に好感が持てる。

彼女たちにとってどんな形での着地がハッピーエンドなのか私には分からない。

敗者は強い。時として、勝者よりも。
しかし強いことが幸福かと言えば一概にそうではない。人は負けなければ強くなれないのだから。

一度弱さと敗北を知った「負けヒロイン」だからこその幸福の魅せ方、そして真の「勝利」とはなんなのか。それを見届けるまで終わりはこない。

その答えの出る時にこそ真に理解することができるはずだ。

「愛」がどこからやって"きた"のか、を。

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