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看護師、魔の3年目。

働くというのは辛いことである。
天職という言葉もあって、仕事が好きで、楽しく働けたり、強いやりがいを感じられたり、自分に合っていると思える仕事に就けている人もいるだろう。

天職とまでは思えなくても、頑張ろう!と前向きに思える仕事に就けている人もいる。

私自身は小さい頃から憧れていた看護師になって、やりがいもある程度感じられる仕事であることは間違いない。
だがしかし、働いていて『楽しい』と思った瞬間は正直1秒もなかった。
それは全てがマイナスな意味というわけではない。私が何か重大なミスを犯した場合、目の前の人は『簡単に命を落とす可能性がある』という命を預かるという意味での強い緊張感が常にあったことも関与している。一種の助産師としての責任感を持って働けていたわけだ。

そして働いていて嫌な面は沢山ある。

忙しい時間が多い。人手不足。
勤務中はずっと歩行。百均の万歩計は日勤帯1日で10kmを示していた。
受け持たされる患者の数が多く、効率重視ばかり上から言われて自分の思うような看護ができない。
せっかくの出産という貴重な瞬間に立ち会っているのに『作業』感が拭えなくなってしまった。

1人お産を取らせていただいた後、
即時入院してきた患者さんが「やばい!子宮の出口全部開いてる!」という状況に陥り、挨拶もろくにできず、さっきのお産のたった5分後にお産を取らせていただいたことがあった。

本当に出産されるご家族には申し訳ない。
正直お産を取らせてもらった患者様の顔も名前もあまり思い出せない。(世の助産師全員がこうではない!!!明らかに少数派です。私だけかもしれません…)そんな自分に嫌気がさした。

こういった嫌なことが積み重なっていき、辛さが爆発してしまう時期が3年目くらいだと私は思う。

1、2年目は出来ないことも多く、沢山勉強が必要で、目の前の課題をクリアしていくことに必死だった。当たり前に辛いは辛いけれど、『できないから辛いんだ、慣れれば楽になれる。』という淡い期待を抱いて頑張れた。

3年目になってどうだろうか。
慣れてきたのに、とてもとてもとても辛い。辛いことに気づき始めてしまった。
転職を考え始める同期も多くなってくる。私はこのままでいいのだろうか?やりたいことはあるのか?この病院に骨を埋めることはないだろうけど、自分はどうなるの?と必要以上に将来を考えてしまった。
プリセプターとして後輩を指導しなければならなくなる。
チームリーダーとして病棟全体をまとめなければならなくなる。
こなせてるように見えて、正直何も分かってない自覚はあるのに、とにかく責任が増える。

これらが辛さのきっかけになった。

同期や先輩に話を聞いても同じような気持ちを抱え、辛く思った方々がいらっしゃった。
1年目は当たり前に辛く、二度と戻りたくない。だが私は正直3年目の方が辛かった。

これを題名の通り『看護師、魔の3年目』と呼ぶことにした。

しかしそこで私が学んだことがある。
『適材適所』ということだ。
たとえその部署で辛くても、うまくいかなくても、他の部署では楽しく働ける可能性がある。私はそれに該当した。

部署異動だけではなく、
退職、転職も一つの方法だと思う。

看護師界ではまず病棟に配属されるケースがほとんどのため、病棟でうまくやれないと『逃げた』とか『看護師の王道ルートから外れた』とかそういう目で見られることが多い気がする。だけど、病棟看護師が1番偉いのか?病棟やめたらダメなやつなのか?と言われたら絶対違う。

病棟勤務が向いてる人も、向いてない人もいる。
外来勤務が向いてる人も、向いてない人もいる。
夜勤が向いてる人も、向いてない人もいる。
日勤が向いてる人も、向いてない人もいる。

様々な働き方があるこの世の中で、
自分にあった仕事を見つけられたらいいなと心から思う。

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