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健康だけが取り柄だったのに③

無事一泊二日の抗がん剤1回目が終わって、帰宅後の3日間は順調だった。
違和感を感じたのは3日目から。

一時間おきに起きて、吐き気に耐えて、氷舐めながら寝落ちを繰り返す。
足が異常に太くなり、トイレの回数が減る。
一人で起き上がる事ができず、口内炎がひどくなり食事もまともに取れず、お風呂も入れない状態が現れた。

この時点で「おやおや?副作用ってこんなもんなのか?」と余裕な考えの自分をぶん殴りたい。

主治医の先生から熱はない?と連絡をもらったその日の夜から発熱。
なんとか解熱剤を飲んでやり過ごしてたが、退院から6日後、とうとう水を一口飲むと吐いてしまう状態まで悪化していた。

熱が40度を超え、喉まで口内炎は広がり声を発することすら難しくなっていたのだ。
抗がん剤の副作用がここまで出るとは知らず、「次の治療で病院行く日は何食べよう」と考えていた自分は逆にすごいな…

自分で電話する体力はなく、母に病院に電話してもらい症状を伝えてもらう。
主治医から取り急ぎ外来で見てもらえるように手配してもらい、状況によってはそのまま入院とのこと。
父に午後会社を休んでもらい、急いで病院へ。

この時すでに38度超えなので、コロナではないかどうか確認が必要だった。
一人で立ってられないため、車椅子に乗せられて、採血からレントゲンまで押してもらう。さらに声が出ないから、氏名確認ができず母に代理で口頭確認という…

外来待合室ではグッタリ車椅子に座っていたからか、他の患者さんから奇妙な目で見られていた。
そりゃそうだ、病院にいる殆どの患者は親世代か祖父母の年の人が多くて、同世代を探すのが難しいくらいだ。
それくらい、若年性乳がんは発症率が低いのだろうか。

看護師さんに心配されつつ、処置室で横になるが「こんなになるまで耐えて、可哀想に」と口々に言われた。
この時、顔は真っ赤に変色し吹き出物が所狭しとできていた。マスクをするのも辛く痛い、痒い、熱いと唸っていたのを覚えてる。

点滴を打つために血管を見てもらうが、看護師さんが口を揃えて「ポートつくってないの!?」と言っていた。
ごめんなさい、血管見つからないっすよね…

抗がん剤打った時にライン確保してくれた先生が来てくれて、利き手の甲から点滴を打ってくれた。
そう、また利き手からラインを取られていた。

吐き気止めも間に合わず、マーライオン状態で主治医の到着を待っていたが、採血の結果は栄養状態が「最悪」にあわせて、白血球の数値が限界値まで下がっていた。
数倍にも腫れ上がっていた肝臓で薬が処理しきれず、体内で堂々巡りした結果、副作用が異常に出ていたのだ。

脱水症状に加え、栄養不足、白血球低下となり緊急入院が決まった。
退院して6日後に、再入院をしたのだ。

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