【櫻坂46】I want tomorrow to come感想とか解釈とか



櫻坂46の『I want tomorrow to come』のMV見てきました。

日本語訳で、『明日が来てほしい』という意味。



正直、明日なんてまたいつもと同じことをするだけで変わらない。何かと出会う期待なんてしていないし、別にいつ明日が来なくなってもいいなどと考えていた。

だから曲のタイトルが公開された時はとても希望に満ちた曲なのだろうと、眩しくて胸が痛んだ。 

でも曲を聴いて、希望に満ちた曲という一言では終わらせられないことに気が付いた。



むしろ、『僕』は暗闇を恐れ、臆病な自分を痛いほど知っている。
抱えきれない孤独の中にいる『僕』。


人はいつかこの世を去るなんて分かっている。けれど今はこの孤独の中に生きていても明日を迎えたい


こんなにも生きることを望むのは、誰かにそばにいてほしいから。孤独じゃないと知りたい


そんな『僕』の手をそっと握りたくなったのは、私も『僕』と同じだからなのか。


絶望の明日に生きる意味を見出せない。
時間は自分など無視して過ぎる。

でも知らなかった、不幸せとは自分を呪うことだなんて。これまで自分など要らないと呟いていたから。


だから『僕』が救われるのはやはり誰かがそばにいることで。
独りじゃないと教えてくれるかのように、メンバー同士が寄り添い合うところ(3分52秒〜)で、人は人の温もりなしでは生きられないと感じた。


この曲とMVを通して、温かい何かに触れたような気がした。
それはきっと生きることをこれほどまでに渇望している『僕』に小さな希望が見えたからだと思う。


明日は誰かのために。『僕』はそばにいる誰かを思いながら今日も瞼を閉じる。











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