「戦争画論争」から見えるもの⑤感情的な怒りをぶつける松本峻介~戦争画よ!教室でよみがえれ⑱
戦時中に描かれた日本の「戦争画」はその出自のため未だに「のけ者」扱いされ、その価値を語ることを憚られている。ならば、歴史教育の場から私が語ろうではないか。じつは「戦争画」は〝戦争〟を学ぶための教材の宝庫なのである。これは教室から「戦争画」をよみがえらせる取り組みである。
目次
(1)戦争画とは何か?
(2)わたしが戦争画を語るわけ
(3)戦争画の鑑賞法
(4)戦争画を使った「戦争」の授業案
(5)「戦争画論争」から見えるもの
(6)戦争画による「戦争」の教材研究
(7)藤田嗣治とレオナール・フジタ
(5)「戦争画論争」から見えるもの⑤ー感情的な怒りをぶつける松本峻介
<松本竣介「芸術家の良心」(1945年10月 掲載されず)>
論争の最後に紹介するのは松本竣介。ただし、以下に紹介する松本の文章は新聞紙上に載らなかった。その理由は不明である。だが、美術評論の世界ではこの松本の文章を持ち上げたがる人が多いことを申し添えておく。
「目糞が鼻糞を笑ふとは今日に始つたことではあるまいが」
―松本は冒頭をこの文から始めている。つまり、ここまで紹介してきた宮田、藤田、鶴田(ちなみにこの論争にはもう一人小説家・石川達三も入るが、ここでは割愛)の3人すべてに物申すというスタンスである。
松本氏はよほど腹に据えかねるものがあったのか、感情が先走っていて論旨がつかみにくい文章になっている。ゆえに、推測も含めてということになるが氏の言いたいことをできるだけ正確につかむ努力をしたいと思う。
まず松本氏は終戦前に「指導的立場に立つた人達」「文化の先頭を切つた人達」が「日本の敗戦は自分の責任ではない等と言ふことを、われわれ若い時代の者は拒絶する」と言う。
ちょっと気を付けなければいけないのは、松本氏は「戦争責任」と言っているのではない。「敗戦責任」を問うているのである。これは大きな違いだ。私たち戦後の人間はすぐに「戦争責任」という言葉に反応するが、当時の人たちは戦争をしたことではなく負けたことを問題としていることがよくわかる。
その後に藤田の論に対する物言いが続く。藤田がいう「一億国民」が戦争に協力したのであって画家はその中の一人として「国民的義務」を遂行したのだ、という説明に対して松本は次のように反論する。
松本は、他の国民はある機構に属する「一つの歯車」にすぎないのに「個人的」な責任も「加へられてゐる」、ゆえにもともと「個人的」な栄誉を与えられる芸術家は「敗戦責任」からは逃れることはできない、と言うのである。さらに「それを徴用工や復員兵士同等である言ふ至つては言語道断である」と言っている。つまり、歯車でさえ個人的責任を負うのだから、もともと個人的な芸術家はもっと個人的責任を負うものだ、と言いたいようなのである。
と、私はこのわかりにくい松本の論をこう読みとったのだが、どうも松本は藤田の主張を正確に読みとれていないようだ。
この反論は藤田の主張に整合していない。藤田は「軍国主義者」という宮田氏の付けたレッテルに対して自分がしたことを「軍国主義」と呼ぶのは間違っている。そうではなく、他の一般国民と同じく国民として義務を果たしただけだ、と言っているにすぎない。これに対して、松本は国民の誰もが「敗戦責任」を負っているという主張なのだ。
じつは二人は同じことを言っている。つまり、日本人に軍国主義者などいない、今の日本人に必要なのは「敗因を正視」(藤田)することである。それこそが「敗戦の責任」(松本)というものでもあり、それは国民すべてが負うことだ、と。
次に、松本は藤田に対して宮田は「軍国主義者」なんて言葉は使っていない、と断ってから「戦争画を描く画家は、ミリタリストだと言ふ程日本人の常識は低劣ではあるまい」「戦争画は非芸術的だと言ふことは勿論あり得ない」「アメリカ人日本人も共に感激させる位芸術的に成功した戦争画をつくることだ」と戦争画そのものを肯定している。ただし、「時流は歓迎してはくれまい」とその後の戦争画の運命を予言しているのだが・・・。
なお、松本は宮田の「便乗」「御茶坊主」という言葉を使うことに対して世界の恥だと言っている(ただし松本はここでも「宮田氏との間でなされた言葉」と誤読している。藤田はこのような言葉は使っていない。むしろ「恥ずかしさ禁じえなかった」と松本氏と同じ感想を述べている)。
最後は「信用できぬ先輩の後塵を拝することなくわれわれは一人一人が自ら責任をもつて立ち上がることだ」と結んでいる。松本は美術界の先輩らが低レベルの議論をしていることに苛立ちを感じているようだ。ただし、ここでも松本はまたまた勘違いしている。低レベルの議論をふっかけたのは宮田である。対する藤田氏は誠意をもって回答している。
私はこの松本の文章をあまり評価しない。そもそも誤読ばかりで他論者の論旨を正確につかめていない。エッセイであろうとまずは批判する相手の論を正確につかむのは文章を書く人間のたしなみだろう。しかも、ただ自分の怒りを一方的にぶつけているだけで感情的なだけの文章である。
しかし、不思議なことに美術評論家たちはこの松本の文章に対して好意的だ。さらにヒドイのは、この松本を戦中も軍国主義に抵抗した平和主義の画家に祭り上げていることだ。松本も「立派」な戦争画を描いているのにである。
下に紹介したのは松本が1941年に描いた『航空兵群』である。いよいよ決戦の時へと向かう兵士たちの緊張感のある顔、強い意志が見えるその表情が素晴らしい。
もう一つ、松本の代表作『立てる像』(1942年)も紹介しておこう。
凛とした青年の姿が清々しい。強い意志と未来のへのエネルギーが感じられ、上の『航空兵群』と相通ずるものがある。ところがこの絵は反戦思想を表している、と論ずる人がいる。絵の鑑賞は人それぞれの主観でいいとは思うがどこを見るとそういう解釈になるだろうか?