③菅田将暉似のファミマ店員にひとめぼれのちアタックしまくって付き合えたことある。(転)

①②まだ読んでない方はぜひ。

【前回までのあらすじ】奇跡の連絡先交換以降、ほとんど毎日のように夜散歩を重ねるむつみと菅田将暉似の店員(以後、菅田将暉)。ある夜二人は河川敷に来ていた。神はいた。

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夜の河川敷は静寂に包まれていた。時折風に吹かれた草木のさらさらと囁く響きが心地よく、夜の緊張をやわらかく包んでいた。わたしと菅田将暉は土手に腰かけいつものようにとめどない話をしていた。菅田将暉はお酒を飲みながら話していて、会話中たびたび河川敷の公衆トイレに行っていた。その都度わたしもちょこちょことついていき外で待っていた。公衆トイレには電気がついてなく、真っ暗の中で虫にビビり散らす菅田将暉を不憫に思い、「一緒にトイレ入ってあげようか?」と親切心で声をかけると、「俺が小便してるの見ていいのは俺の彼女になる人だけだから!」とピシャリと断られた。でもわたしも引かない。そういうことならばと「じゃあ小便してるとこ見たい」と最悪の申し出を試みた。さすがの菅田将暉もたじたじである。「ねえ小便してるとこみたいんだけど!」押しのもう一声をかけてみる。直訳すると「彼女になりたいんだけど」。全く史上最低の語彙変換だ、なんてことを思いながら菅田将暉のリアクションを待っていた。そうしてしばらくやけに静かな時間が流れたあと、「まあ」と菅田将暉が切り出した。「まあ、おまえがそんなに見たいんなら、別に俺はいいんだけど」。言い終わるか終わらないかのうちにわたしはもう男子トイレに駆け込んでいた。「ねえそれってさあ、そういうことで、いいんだよね?」。今まさに用を足そうとしている菅田将暉の背中にぶつける。菅田将暉は少し笑いながら「おまえの好きなようにすればいいんじゃね?」と背中で答える。「じゃあそうする!絶対そうする!絶対そうするもん!」。菅田将暉に言っているのか自分に言い聞かせているのか最早わからなかったが、ムードもなんにもない公衆トイレの中でわたしは今起こった奇跡を必死に肯定しながら、笑いながら小便器に向かう菅田将暉の後ろ姿を目に焼き付けていた。


その日からは本当に幸せだった。菅田将暉は実家のため、デートは散歩から菅田将暉の仕事終わりにわたしの家に寄ることに変わり、いつのまにか泊まりになり、それがほぼ毎日になった。ある日大荷物で家に現れ、「もう俺ここに住むから服とか全部持ってきちゃった」と笑顔で言われたときは、嬉しすぎて幸せすぎて家のなかを飛び跳ね回った。菅田将暉の仕事は、早くに家を出て遅くに帰ってきてろくに休みもない忙しいものだった。だからどこかに遊びにいくだとか、ふたりで夜更かしして朝だらだら起きるなんてことは一切できなかったけどわたしは幸せだった。朝は一緒に家を出て、ただいまーと廃棄の弁当片手に帰ってきて、その廃棄をつまみに軽くお酒を飲みながらおしゃべりして寝る。充分だった。毎日それの繰り返しなのに、毎日が新鮮だった。それぐらい菅田将暉が大好きだった。菅田将暉もわたしのことを好きでいてくれた。ずっとこんな毎日でありますように。何度も願った。願うことは誰でもできる。だけどそれが叶うのはまた別の問題だ。少しずつ、少しずつ、菅田将暉が家に帰らなくなった。

ただでさえ忙しい仕事のなか、いくら好きでもわたしと一緒にいるのはやはりどこか力を使ってしまう、だからたまには実家に帰ってゆっくりしたい、という理由だった。今ならわかる。疲弊した彼が、わたしとの関係を最大限幸せに、円滑に、できるだけ長続きさせるために考えた、彼なりのわたしに対する優しい提案だということが。でも当時のわたしは全く理解ができなかった。「好き同士なのになぜお互い別の場所にいなければいけないのか、一緒にいて疲れることなんてあるはずがない、好きなら仕事も頑張れるはず」。身勝手な考え方である。彼の立場を自分に置き換えることができず、「会いたい、会いたい」と自分の主張だけを彼に浴びさせていた。菅田将暉が家に帰ってくることは、ほとんどなくなっていた。

連絡をしても返ってくることすら少なくなり、それでもわたしは自分の身勝手さに気づくことができず、来る日も来る日も菅田将暉がふらりと帰ってくるのを家でじっと待っていた。いつか菅田将暉が笑顔で置いていった荷物だけが心の支えだった。

ある夜思いきって菅田将暉に電話をかけてみた。出なくてもよかった。ただわたしが待っているということを知ってほしかった。何度目かのコール音で電話をきろうとしたその時、「もしもし?」大好きな懐かしい声が聞こえた。

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書いてるといろんなこと思い出しますね。

次で最終回。


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