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問題点や課題がそのまま「伸びしろ」になると気づいていない人、意外と多いのでしょうか?

創作活動においても、実生活においても、時々感じることなのですが…

物事の「問題点」や「負の側面」「ネガティブな部分」を極端に避ける方、意外と多くないでしょうか?

「暗い話」は最初から聞きたくないと、その話題に触れもしない方、多くないでしょうか?

もちろん、そういうマイナス方面の話は、聞くだけでストレスになることもあります。

なので、精神安定のために「頭(心)に取り入れる情報量をセーブする」というのは、理解できるのですが…

一切、全く触れないまま…いつまで経っても触れないままだと、結局「問題は放置されたまま」で、何も解決しません

ひょっとすると「問題点を洗い出して、改善策を立てられたなら、今ある問題が無くなる」という事実に、気づいていない方が多いのでしょうか?

あるいは「問題点をいくら知ったところで、改善策なんて見つからないから…」と、最初から諦めている方が多いのでしょうか?

はたまた「わざわざ嫌なことを知らなくても、そのうち誰かが何とかしてくれる」と、いつか勝手に問題が解決するのを待っている方が多いのでしょうか?

けれど、そんな嫌な「問題点」や「課題」は、実はそのまま「伸びしろ」になるのです。

問題点や課題が山ほどあるということは、そこを改善していけば、まだまだ成長する余地があるということです。

つまり、ネガティブはポジティブの材料ということです。

なので自分は、そんな問題点や課題を探し出していくことが、決して嫌ではありません。

むしろ、そこを知らずに、どうやって現状の「生きづらさ」「やりづらさ」を打破していけるだろう、と思っています。

サイトにしろ会社にしろ、法律にしろ国にしろ、人間の作ったシステムというものは、完璧ではありえません

必ずどこかに不備があり、必ずどこかで「そのシステムに合わずに苦しむ人」を生み出します。

その「システムが完璧でないがゆえの生きづらさ」を、そのまま受け入れ苦しむ必要なんて、無いのです。

システムに問題や不具合があるなら、その問題や不具合を直していけば良いだけです。

革命や暴動のように「システム自体をぶっ壊す」なんてやらなくても、問題解決する方法は、どこかにきっとあるはずです。

もちろん「問題を解決する手段を考える」ことは、とても難しく、知識や思考力が無ければできないことかも知れません。

しかし「今は解決策を思いつけない」としても、頭の片隅にその問題を置いておけば、ある時ふと、解決法をひらめくこともあります。

新しい本を読んで、新しい知識を得た時などに、パズルのピースがはまったかのように「この知識を使えば、あの問題が解決できるんじゃ…?」と、ひらめきが走ることがあるのです。

それに、たとえ「自分にはどうしても解決できない」ことだったとしても、問題点を挙げていくことには意味があります

なぜなら、そこで問題に気づいた「頭の良い誰か」が、解決策を見つけ出してくれるかも知れないからです。

たとえ1人の知識では足りなくても、ネットの海の中には、その足りない知識を補ってくれる「誰か」がいるはずです。

必要なのは「どんな問題点があるのか」なるべく多くの人で共有すること、そして知識や知恵を出し合うことです。

…他人との接触が苦手な現代人ですと、その「共有」「議論」の時点で「苦手」という人も多いので、なかなか一筋縄ではいかない部分もあるでしょうが…。

(自分もコミュニケーションは苦手な方ですし…。)

(↑自分で情報発信するだけでなく、他の方の問題提起etcもソーシャルブクマで集めています。時間に余裕のある時しか収集できないため、まだそれほど数は無いのですが…。)



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