見出し画像

朝木 海④終【実験的小説】


 あらすじ

 そろそろあらすじ書いた方が分かりやすいんじゃないかと思って。
 ええっと、主人公はおてんば女子高生、朝木海。頭よし。性格普通。コミュ力強し。
 彼女は、なんだかドキドキするような恋を欲しがっている! 作者である私は、彼女にふさわしい男性を用意しなくてはならないのだが……つまり、ピンチ!


「ねぇりっちゃん。いい男の条件って何?」
「いい男の条件? そもそもそういう話じゃなくない?」
「ええっと……」
「海は、自分の想像を軽く超えていくようなイカれた男を望んでる」
「あのさ、漫画とかでよく出てくるクズ系とか、エロ漫画で出てくる頭じゃなくて男性器が本体みたいな人とかは、さすがに海ちゃんの想像力の内側だよね?」
「どう考えても内側。あの子、漫画もアニメも小説も何でも読むから、これまで一般に知られてるような男性像は、全部想像力の内側ってことになっちゃいそうだね」
「あのさ、海ちゃんにとっての想像力の範囲と、私にとっての想像力の範囲ってどれくらい差があるの?」
「まぁ、架空の人物であるという設定上、海の想像力がふうちゃんの想像力を超えることはあり得ないね。で、海がふうちゃんにとってどれくらい想像力豊かであるかというのは……まぁ裁量に委ねられるとしか」
「海ちゃんは想像力豊かな人格だから、自分の書きやすさのためにそれを損ねたくはない。だから、できる限り私自身でも想像できないような男性を書きたい。ありえないような、男性を書きたい」
「ありえない、ねぇ」
「私が今まで妄想したことないような、すごい男性を書きたい」
「船見君レベルですら、現実では滅多にいないと思うけどね」
「逆に言えば、船見を明らかに超えていればオッケーってことだから、意外といけそう」
「がんばれ。応援してる」

 とは言うものの、ここまで登場した人物は全員一年以上前から私の中で意識して育ててきた人格で、ぱっと出の新参ごときが彼らを驚かせられるような気はしないんだよね。んー。新キャラ……あ、昔書いてたファンタジー世界から誰か引っ張ってくる? なんか暇してる男性キャラクターいたかなぁ? みんな誰かしらとくっついちゃってるからなぁ。小中学生の妄想あるあるだよね。とりあえず、イケメンは誰かとくっつけたくなっちゃう。うん。
 でもあいつら結構個性的だから、そこらへんをうまいこと混ぜ混ぜしてなんとかならんかなぁ。

 狂った男性……海ちゃんが好きになれそうという条件を満たしたまま、できる限り狂った存在……

 殺人鬼とかどう? 私、殺人鬼キャラ作ったことない。でも、現実に近い世界観にそういうキャラ出すと、なんつーか……雰囲気がぶち壊れるというか、いや、でも勇気をもってやってみよう。ダメならダメで仕方ない!

 ドンドン、と乱暴に扉をたたく音が響いた。海はちょっとびっくりしながら「来たか」とつぶやいた。
「どうぞ」
「よぉ」
 丸刈り。顔は整っている。どちらかと言えば、真面目そう。目がすわっていて、何をしでかすか分からない感じがして、海は本能的な恐怖心を抱いた。
「どうも」
「あのよ、なんつーか……この導入あんまりよくないよな? 不自然というか」
「私に言われても困るんですが。とりあえず名乗ってくださいよ。私、朝木海です」
「うん。えっと……うがあ! 無理だ!」
 びりびり、と皮を破って中から女の子が飛び出てくる。
「もともと私はそんなに男性的な性格じゃないんだよ。無理だよ。船見みたいなナヨナヨしたやつしか演じられない。私には無理だ……私には、海ちゃんを満足させられるようなイケてる男が書けない……許してくれ! 才能のない私を許してくれ!」
 海は半笑い。どう反応していいものか困っている。
「あのさ、海ちゃん。私さ、私自身はさ、そういう願望全然ないっていうか、別にそういう趣味じゃないんだけど……」
「何?」
「百合でもいいですか? 女の子なら、イカれたやついくらでも書けます」
「ん? じゃあオネエキャラなら行けるんじゃない?」
「天才か?」
「海ちゃんですから」
「よし、じゃあ私一回部屋出て皮被ってくるから、よろしくね」
「そういう言い方だとさぁ……」
「何? なんか文句ある? しょせんフィクションなんて、どんなキャラクターも作者が皮を被ってるんだぜ? かわいい萌えキャラの中身は、くせぇおっさんが入ってるんだぜ? 何もかもが今更だぜ?」
「はいはい……やっぱりあんたが一番イカれてるよ」

 トントン。
「どうぞー」
「あの……失礼します」
 長髪美少女。どう見てもオネエキャラじゃない。
「ええっと、男?」
「一応、生えてます」
「オネエじゃなくて、男の娘じゃん」
「ダメですか?」
「うーん。趣味じゃない。チェンジで。さすがに、自分と同じくらいの身長の子は厳しいわ」
「海ちゃん、身長とか気にするタイプの人なんですか?」
「正直ぐだぐだ過ぎて何もかもがどうでもよくなってる。やっぱ私には恋とか無理なんじゃないかと思って」
「うん。私もそう思う」
「身も蓋もねー!」

 また振り出しに戻ったわけですが。
「でも、一応、情報は増えてるよ」
 りっちゃんは、私を励ましてくれる。
「恋物語はダメ。姉妹を出すとギャグになる。長谷川さんと父親をうまく使う作戦もまだ残ってる。うん。順調に絞れてると思うよ、私は」
「りっちゃんは優しいなぁ。ただりっちゃんとイチャイチャしてるだけの話を書きたい」
「海の話書くんでしょ?」
「うーみーはーひろいーなー……」
「現実逃避してないで」
「正直、前の回で船見と海ちゃんの間に意外な共通性があったのを見つけたのは、面白かった。私自身、驚く部分もあった。はじめてだもん、それに気づいたのは」
「読み手からしたらそんなこと知ったこっちゃないと思うけどね」
「私だって読み手が何を思うかなんて知ったこっちゃないもん(口をとがらせて)」
「んで、次はどうする?」
「異世界飛ばしてもいい?」
「ふうちゃんが異世界もの書いてもなんだか現実的になっちゃうからなぁ。なんか妙に体系化された魔術理論とか構築し始めて、ご都合主義できないように設定ガチガチにしちゃうからなぁ」
「モンスターの生態とか、国家間のバランスとか、そもそもその大地がどういうシステムで魔力を循環させてるかとか……矛盾ないように考えていくの楽しすぎて、気づいたら『資源、技術、文化』重視の世界観になってて、転移者みたいなのが活躍する要素がないというか、『不思議理不尽パワー』でそういう元々世界にある整った秩序あるシステムをぶち壊しにすることができなくなっちゃったというか……」
「多分一定数の小説書きは同じ壁にぶつかってると思うよ」
「それはそれで面白いと思うんですけどね。好きな人が読めば。まぁでも、大多数からしたら意味不明でしょうし、ロマンもあんまりないですから、ウケませんよね。楽しいからずっと書いてましたが」
「現実逃避したくて異世界もの書いたり読んだりするのに、異世界でも現実と同じくらい悲惨で不都合なこと起こりまくって、現実並みに登場人物みんな悩みながらもがいて足掻いて生活してるんだもんね。メンタル強くないと読めない」

 あんまりにも話が行き詰ったのでネットでボードゲーム三時間くらいプレイした結果、いいアイデアが湧いてきた。
 私は最初に「成長物語は書かないし、書けない」と語ったが、よくよく考えてみると、海ちゃんは現在、成長を望んでいる。だから、恋がしたいと言ったのは、私の提示したものの中から、成長できる可能性のある選択肢がそれしかなかったからなのだ。
 私自身がそれを書けるかどうかは分からないけれど、海ちゃん自身は、自分を変えたいと思っている。でも、自分の想像力の範囲内にある自己像は、海ちゃんにとってあまり魅力的ではないみたいだ。
 一言で言えば、海ちゃんの望みは「自分じゃない自分を見つけたい」ということ。

 そうなってくると、知らない人との出会いであれば、その相手が誰であるかは重要じゃない。人は自分と異なるタイプの人間と親交を深めるだけで、自然と変化し、成長していくものだ。
 だが、やはり平凡な成長物語は嫌いだ。
 「お年寄りと仲良くなったけど、その人が死んじゃって、死とは何か深く考えるようになった」とか「前科を持っているいい人と出会ったせいで、罪と罰というものについて深く考えさせられた」とか、そういうのは嫌いだ。説教臭いし、浅い。誰が見ても「いい話」になってしまうような物語は、結局誰の胸にも刺さらない。しょせん作り話でしかないし、見せかけの感動を演出するだけで終わってしまう。
 ……あまり認めたくないことだが、自殺未遂者と関わらせるのも、そうだ。私自身の経験をもとに物語を作ること自体は悪いことではないが、自分のもっとも強烈な体験を使い回すのは、あまりよくない。それで人の心を深く突き刺すことができたとしても……その物語自体に、未来がない。何度もやってきたことだし、今回、そういう作品を書くつもりはない。

「結局、君はどんな話が書きたいの?」
 書きたい話なんてなかった。ただ、朝木海という人物をもっと深めたかっただけなんだ。彼女は、船見と同じで、すごく頭が良くて優秀なのに、どこか薄っぺらな印象を人に与える。いろいろな知識を持っているし、機転を利かせて場の問題を解決することもある。存在感はある。馬鹿でもない。なのに、人間としてどこか薄っぺらい。どこか、雑に生きている感じがする。
 私はそれを、どうにかしたい。

 りっちゃんはそうじゃない。人生を真剣に生きている。自分の肉体と精神をかけて、自分自身を演じ続けている。私だって、毎日真剣に生きている。自分らしく生きようとしている。私は自分のことを薄っぺらい人間だとは思わない。全部の重い過去を背負って、自分の運命に従って生きようと欲している。そう考えられるようになるまで、たくさんの夜を超えてきた。私は、海ちゃんや船見君にもそうなって欲しい。あぁ! 私はそういう話が書きたい!
「はじめから、成長物語が書きたかったんだね。今、やっと気づいたというわけか」
 それはある意味、私自身の、物書きとしての成長物語になるかもしれない。この書き方は、書き手としての私の現実と、書かれたものという虚構の物語が、相互に関係しあっている形式だから。ここで書かれたものが、私という人間に強く影響していくし、私という書き手が変化すれば、ここに書かれるものも変化していく。その過程、その様子が、読み手にもわかるように、この作品は書かれている。この形式は……決して、くだらないものじゃない。これは、心を描くのに適した形式だ。
(本当にそうだろうか)
 その疑いも、受け入れて書き進めよう。私は私の全てを、ここに投げ出す。

 私が今朝見た夢を、朝木海が見たことにしてしまう。そうだ。私にはそれができる。これは、朝木海の独白である。

 いやな夢を見た。

 私を含めて四人くらいで、巨大な商業施設を歩いている。一応友達である、という認識を互いに持っているようだ。

 あるひとりの私より背の低い女の子が、どんな話の流れだったかは覚えていなかったが、こんな疑問を口にした。
「凪ってどういう意味か知ってます?」
 別のひとりがすかさず答える。
「立ってるやつを押し倒すことだろ」
 私は、何と勘違いしているんだろうと不思議に思って、考え込む。薙ぎ? それとも……
「朝木さんは?」
 私に話が振られたので、正直に答える。
「海の上で、風がなくなることだよ。無風状態を、凪っていう」
「あーじゃあ平和ってことなんだ。確かにそういうイメージあった」
 それは勘違いだ、と首を振る。
「帆船の場合はそうじゃなくて……帆船っていうのは、オールとかモーターとかのついてない、帆だけの船のことなんだけど、そういうのは風だけを推進力にするから、凪が長く続くとまったく動けなくて大変なんだ。広い海の中、どこにも行けなくなっちゃう」
「へー。それじゃあずっとそうだと、船の上で餓死する人とかいるんかな。調べてみよう」
 そう言って、三人はそれぞれスマホをいじり始める。
「うわぁ結構死んでるなぁ!」
「ほんとだすごーい!」
 私は驚いた。そんなことは、現代においてはほぼないはずだが……
「現代って帆船でそんな広くて風が長く止まるような海に出るようなバカなことする人あんまりいないと思うし、遭難したら遭難したで救助が来ると思うんだけど……」
 三人は私に耳を貸さない。
「船の上で死ぬくらいなら泳げばいいのに」
「馬鹿、それだとサメに食われるだろ」
「あ、そっか」
「それに、海って青水がおおいからね」
「やー。青水は怖いな」
「赤水ならきっと助かってたんだろうな」
 私は寂しくなった。サメは人を滅多なことでは食わない。そもそも青水赤水ってなんだ? 赤潮とか、そういうことの話だろうか……いやしかし、そういう風には聞こえない。青水……海の水が青く見えるのは、普通じゃないか? いやそんな。きっと何か理由が……でも彼らは愚かだ。
「お腹空いたからご飯食べよー!」
 私たち三人は賛成し、一番近い場所にあった寿司屋に入った。入口の看板に書いてある値段を見てびっくりした。一貫千円以上するものばかりだったのだ。私は自分の財布に二千円くらいしか入ってこないことに気づいて、どうしようかとあたりを見渡す。残りの三人は、何事もなさそうに店に入っていく。
「ごめん、私今日あんまりお金持ってきてないから、帰るね?」
「えー。じゃあ、ばいばい」
「うん。ばいばい」
「何食べよっかなぁ」
 そんなもんだ、と私はため息をついた。店を出ると、両親が待っていた。
「どうしたんだ? 友達は?」
「んー。晩御飯食べるんだって。私はもう疲れたから帰ろうと思って」
「お前も食べてから帰ればいいのに。お金が足りないのか? 出すぞ?」
「ううん。いい。帰ろう。私、疲れた」
 目が覚める。涙がこぼれそうだが、泣くと余計疲れるので、堪える。腰が痛い。寝具があまり合っていないのかもしれない。
 朝っぱらからこんなつらい気分になってしまうなんて。そういうえば鬱病の条件に、朝からずっと気分が悪い、というものがあったな。いやいや、私は元気だ。大したことじゃない。

 寂しい。枕元においたスマートフォンで、SNSを開く。通知はゼロ。寂しい。結局私は、他の人間と大して変わらない。自分の言葉が誰かに届いていないと不安になる。ずっとひとりでいることを受け入れられない、弱い人間。結局他の人の反応に一喜一憂して、自分の気分を偶然に委ねてしまっている。
 そう思うと、悔しさと寂しさで胸が苦しくなった。起きよう。起きたら気分はよくなる。寝たままぼーっとしてると気分の悪いことばかり考えてしまう。その理由は、私の体が精神に「さっさと起きろ」と合図をしているからなのだ。私の脳は、私の体と比べてエンジンがかかるのが遅いから……

 顔を洗って歯磨きをして、着替えてご飯を食べて、パソコンの前に座ってこれを書いている。私の夢は、奇妙だ。夢なのに、いつも現実っぽさが含まれている。夢の中でも私は私という人間のまま、何かしら考えている。

「海姉!」
 空の元気のいい声が部屋の外から聞こえてくる。ノックもせずに、入ってくる。私はテキストファイルを保存して、振り返る。
「海姉、何やってた?」
「夢日記付けてた」
「あーそれ狂うやつでしょ? 大丈夫? 海姉、狂う?」
「狂わないかなぁ。そんなやわな精神していないし」
「だよねー。それでさ、今日日曜だし、どっか出かけない? 長谷川さんにどっか連れてってもらおうよ」
「外出自粛じゃない?」
「えーつまんないよ。みんな自粛で誰もいないって」
「日曜は人、いると思う。平日ならまだしも、さすがに控えた方がいい気がする」
「海姉真面目すぎ。クソつまんな。海姉が反対すると、月も絶対反対するし、あークソつまんねー!」
「前みたいに公園とかで寸劇して遊ぶとかなら別にいいけど」
「んー。そういう気分じゃないなぁ。映画とか見に行きたかった。あと、おいしいご飯! 寿司とか食べたい!」
 夢のことを思い出して、ちょっと気分が悪くなった。
「それなら、出前とる? 長谷川さんに、高いやつ奢ってもらおう」
「さすが海姉。それなら私も満足だ。じゃ、連絡よろしく」
 私はベッドに放り投げたスマホを拾って、長谷川さんに連絡を取る。
「もしもし。海です」
「長谷川です」
「長谷川さん、今日のお昼暇ですか? よければ家で昼食、ご一緒しません?」
「あーごめん海ちゃん。俺、今日はやることあるんだ。夜もいけない。ごめんね?」
「あちゃー。残念です。また連絡しますね」
「うん。ごめんね」
「いえ。こちらこそ無理言ってごめんなさい。いつもお世話になってます。では」
「うん。切るねー」

 さて、どうしたものかと頭を抱える。小遣いから出してもいいが……うん。そうしよう。最近は別に欲しいものはないし、欲しいものができたら父にでもねだればいい。

 昼まで暇だな、と思った。まだ朝九時。友達を呼ぶか、と思った。うん。それがいい。財布には……五千円。寿司の出前の値段は……うーん。一番近いところだと、一人前で千二百円から、か。三人で四千円弱。これじゃあ友達呼べないな。空も月もお寿司好きだから、それぞれ十貫程度じゃ足りないだろうし。
 ピザとかに変えれば、まぁ何人か呼んで小さなパーティーみたいにはできるけれど……なんだか考えるのがだるいな。それなら普通に自分で何か作った方がいい。
 空を呼んで、そもそも一日の計画を変えないと……あーでもめんどくさい! 長谷川さんが用事で来れないってこと伝えるだけで、一苦労だ。今日は家でずっとごろごろしていたい……明日は学校あるし。だるい!

 目をぎゅっとつぶって、現実から逃げたい衝動を抑える。時々、何もかも投げ出したくなる時がある。こういう時は、何もしないでじっと待っているだけでいい。目をつぶって、何も考えず……
「やぁ海ちゃん」
「あ……」
「調子悪そうだね」
「文香さん、だっけ」
「そう。あなたの、分身。正確に言えば、あなたが、私の分身。これは私の物語だからね」
「何を言っているのかよく分からないけれど、何か伝えたいことでもあるの?」
「ドキドキするようなこと、欲しい?」
「今はいらない。疲れてるから。今は、ただ明日からの憂鬱な日々に耐えるため、精神を整えないといけないから」
「全部やめちゃえば? 私みたいに。私、もう学校行くのやめたよ」
「どうして?」
「行く理由がなかったから。どうでもいいじゃん。学業なんて。なんのためにそんなことをするの? 全部無駄じゃん」
「……まぁ、一度でも学校に行くのをやめたら、そういう風に思うようになるんだろうなぁって、それは分かるよ。でも私は学校をやめたことはないし、そもそも周りからのイメージもある。私はおちゃらけだけど、根は真面目だし、病んでるわけでもない。三人姉妹の長女で、年の割に大人びてる。道化じみてる部分はあるけど、まぁそれは性格だから、さ。ストレス発散にもなるし」
「それが、学校に行き続ける理由?」
「どっちかっていうと、行かない理由がない。勉強は負担だけど、そういう負担が人を成長させるのは事実だし、学校に行かなくなったら家族も心配する。まぁ心配しないかもしれないけど、わざわざしんどい方の道選ぶ必要もないからね。だってそうでしょ? 文香さん、しんどいでしょ? 学校行ってないと。皆から意味もなく心配されるし、将来のことも不安になるし。レールの上を歩いてた方が、その先外れるにしてもそうじゃないにしても、選択肢が広くて楽でしょ? 私はそう思うな」
「なんか、みんな同じこと言うんだよね。本当につまらないと思う。私さ、今は海ちゃんに『なんで学校行くの?』って私から聞いたけど、普段はそうじゃなくて、相手が勝手に話しはじめるんだ。相手が『なんで○○は学校行かなくなったの? 今も行かないままなの?』って勝手に聞いてきて、私が『行く理由がないから』って答えたら、相手が勝手に自分が学校に行く理由の正当性を私に主張しはじめる。退屈だし、くだらない。みんな同じことを言う。そんなのは分かり切ってるし、正直どうでもいい。好きにしたら、としか言いようがない」
「それは私のセリフだよ、文香さん。今回は、文香さんの方から私にそれを聞いてきて、私がそれに正直に答えたら、勝手に文香さんが自分の正当性を私に押し付けてきてる。そんなの、知ったこっちゃないよ。知ったこっちゃないのはこっちのセリフだよ」
「どうして苛立ってるの?」
「……どうしてだろう」
「海ちゃんは、人と同じであることが嫌いなんだ。今気づいたことなんだけどさ、船見が苦しんでる理由を、前に海ちゃんに話したときのこと覚えてる? 彼が『他の人間より優れていないということだけで、幸福を感じられなくなる人がいる』ということに気づいたせいで苦しんだという話をしたの覚えてる? それってさ……」
「私のことだって言いたいんでしょ。分かってるよ、それくらい。あれから、ちょっとは私だって考えてた。でも私はそれで後ろめたさなんて感じてない。彼が馬鹿だったってだけのことだし、私だってこの感情を、この欲望を、自分の意思でどうにかできるわけじゃない! 私だって好きで傲慢な人間に産まれたわけじゃないんだ。それを責められたって、知ったこっちゃない」
「あんまりさ、こういうことは言いたくないけどさ……海ちゃん、ちょっとかわいそうなんだよ」
「同情? 同情してくれるの? 私は同情なんてされたくない! される筋合いもない!」
「誰もが苦しんでる。誰もが、簡単には解決されない悩みを抱えてる。意味もなく同情するくらいなら、知らないままでいたかった。でも理解しようと思えば思うほど、私はその人のことを好きになれなくなる。好きになりたいから、その人を理解しようとしたのに、知れば知るほど、その人自身の消えない苦しみが見えてくる。同情してしまう。同情に意味なんてないと分かってるのに。無責任な同情は、人を苦しめるだけだと分かっているのに」
「演技じみてる。そんなこと思ってもないくせに」
「思ってはいるよ。それで苦しんでいたこともあった。でも今はそうじゃない。だから今のは、確かに海ちゃんの言った通り、演技だよ。昔の自分を演じてみただけだ。今の私は、これを楽しんでる。普段絶対に怒らない、いつもニヤニヤ笑ってる海ちゃんを怒らせることができて、私は嬉しく思ってる」
「ムカつく。すごくムカつく。結局、優位に立ちたいだけじゃん。自分が優れていることを、私に対して示したいだけじゃん。気分が悪い。帰ってほしい。私には私の生活がある。もうこれ以上、私の領域に入ってこないで。邪魔しないで」
「分かった」

 拒絶されるのには慣れている。自分自身の一部から拒絶されることにも慣れている。もっといえば、自分自身を拒絶するのにも慣れている。私は、私の内側から私を否定する言葉がやってくることを知っているし、それが他でもない自分自身であることをも知っている。
 今更それに悩んだりはしない。重要なのは、この先どうするか、ということだ。

 朝木海という人物が、私に似ているのは元々分かっていた。でも投影はしていなかった。似ているが、自分とは違う存在としてずっと扱ってきた。その根本的な原因は何かと言えば、朝木海には、私の持っている根本的な本質が欠けているからだ。それは何か。無謀さだ。彼女には無謀さが欠けている。そして不安も、絶望も、憎しみも、悲しみも、あらゆるネガティブな感情が、小さすぎる。彼女の心は、明るすぎる。違う。明るいわけではない。暗さが足りないのだ。明るさが足りないから、影の濃さが足りないのだ。彼女はどこまでも中途半端なのだ。

 私は知っている。彼女が、完全に私にとって同情すべきでない存在になるためには……彼女が一番恐れていることが、実際に起こらなくてはならない。家族が死ぬこと。友達から裏切られること。誰かから暴行を受けること。自分のプライドがズタボロに傷つくこと。しかし彼女はそうなる前に、手を打ってしまう。冷静に、賢明に、予防策を講じてしまう。それが私との根本的な違いだった。私は、私の身を守らなかった。だから、学校をやめた。自分の意思で死にかけることもできた。私の方が、彼女よりずっと無謀で、愚かだったのだ。

 彼女が無謀になって、愚かになったら、それはもう彼女じゃない。そこにいるのは私自身になってしまう。だからこそ彼女は必然的に、どうあがいても安定で、空しくて、薄っぺらいのだ。

 朝木海は、私の可能性のひとつだったのかもしれない。もし私が、もっと賢ければ、もっと自分自身や自分の身の回りのことを大切にしていたら、彼女のように生きていたのかもしれない。

 だが、彼女のような人生は、私にとってうんざりでしかない。くだらないし、つまらないし、馬鹿げてる。

 彼女は間違いなく、今私が書いているような物語を書くことができない。
 面白おかしい話を書いたり、人が喜ぶような話を書くことはできるかもしれない。学問の世界で何か成果を残すことも、できるかもしれない。誰もが羨むような、スペックの高い伴侶を獲得することができるかもしれない。

 全部、私が捨てた未来だ。

 変化し続けることを選んだ私が捨てた未来、つまり、変化しないことを選んだ私自身。それが朝木海であったのならば、彼女はやはり、変化できない存在なのだ。

 これ以上は無駄だろう。こんな気分の悪い形で物語を締めるのは不本意だが、仕方あるまい。
 ここが、必然的な終着点なのだ。

 おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?