演技することについて

 人間は多面的な生き物であり、演技的な生き物でもある。どのように過ごしていても、人は他者と関わる限り、意識的にせよ無意識的にせよ、演技せずにいられない。

 考えてみるといい。あなたがひとりきりでいる時だけが、あなた自身であり、誰かと一緒にいるときのあなたは、あくまで人と付き合うために創り出された「あなた」だとしたら。
 
 恐ろしい事だろうか? いや、しかしそれもひとつの正当な観点なのだ。

 ただこの観点で重要なのは「皆が演じている」とか「誰も本音で話していない」なんていうつまらない結論ではなくて、もっと意外性のあること。


「私には演じられない役が存在している」ということだ。
「あなたには演じられない役が存在している」ということだ。
 つまり私にもあなたにも、演じられる分には限界があって、それが自己自身の境界、つまり「自分らしさ」を発見する手掛かりになる。

 もしあなたがどんなに努力しても悪人のふりをすることができないなら、それがあなたの善良さの証かもしれない。
 もしあなたがどんなに努力しても約束事を守れないのならば、それがあなたの気まぐれな性格の証かもしれない。

 人は確かに皆演技しているが、はっきり言おう、演技しきれていないのだ! 仮面の裏の顔が常にチラチラと見えている状態で、皆演じている。人によっては、仮面を被らない人もいる。被れない人もいる。(そういう人は大体下品だ。人間の本性が下品でないことは滅多にないことだから、仕方がない)

 下手な演技は、見てて気分が悪い。自分に不向きな演技をしている人を見ると、もっと役を選べばいいのに、と思う。
 自分らしさの正体とは「自分に無理なく演じられる自分であること」なのだ。だから別に、無理して自分自身であろうとしなくていい。色々試してみればいい。
 そのために「イメチェン」なんて言葉が存在するんだ。うまく利用していこう。

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