不登校と「いい人」

『ねぇ○○、相談事あるんだけど後で話せる?』
 休日の朝、携帯を付けたらある友人から連絡が来ていた。私はそもそも電話が苦手だ。相手が考えていることが全然分からないし、間も取りづらい。何を言えばいいのかいつも以上に分からなくなるし、相手が何を言っているのかも、何を伝えたいのかも、よく分からなくなる。
『長話になるなら、会って話したほうがいい気がする。私、電話苦手だから』
『あー……それじゃあ○○の家に行ってもいい? 何時ごろ?』
『いつでもいいよ』
『じゃあ……』

 その子は可愛らしい顔つきをしていて、短髪。ズボンばかり履いているモテるタイプのボーイッシュな子だった。すぐ悩みこむし、すぐ同情する。口癖は「いいなぁ」と「たしかに」。
 自分から何かを話し始めることはないし、相手の話に興味を持つこともあまりない。ただ、自分が興味を持っている話を相手がし始めると、待ってましたとばかりに話し始める。引っ込み思案で人見知り。でも人間嫌いというわけではなく、ただ臆病なだけ。そのくせ結構頑固で、謎の自分ルールがある。
 私はその子に対して少し厳しい。理由は単純、彼女が可愛らしいからだ。彼女が、私より男性の気を惹く術を無意識的に心得ているからだ。
 演じているつもりはなくても、彼女の無意識が彼女をそうさせているのだと、私は分かっている。だからこそ、何となく本能的に苛立つのだ。かわい子ぶりやがって、と。
「おじゃましまーす」
「クッキー焼いたんだけど、食べる?」
「え、いいの? やったぁ」
「――が嫌いなチョコ入れといたから」
 一瞬だけその子は悲しそうな顔をするが、すぐハッと気づいて笑顔を取り戻す。彼女が前に私に「チョコ大好き」と言ったことを、自分自身で思い出したのと、私自身のちょっと歪んだ好意をちゃんと解釈できたからだろう。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 きっと彼女も、私に小さな敵意を持っている。嫉妬を表に出すような子じゃないけれど、小さな仕草や声色が、私の言動に対して不快を覚えていることを示している。たとえばそう、私がリビングのドアを開いて手を離すまで、ドアに触れようとしなかったところとか。普段潔癖症じゃないし、他の中のいい友達が同じことをした時は、そんな距離を感じさせるような間の取り方はしないのに。
「○○の家、やっぱり広くて綺麗だよね」
 何と答えればいいのだろう? こういう、会話の先を読まないところが、いちいち私を苛立たせる。
「親が金持ちだからね」
「いいなぁ」
 その言葉で私が喜ぶとでも思っているのだろうか? うんざりだ。
「それで、相談事って何?」
「あのね、親戚の男の子が中学生なんだけど、不登校になっちゃって。しかもなんかうつ? か何かの病気になっちゃったみたいで。それで私にできること何かないかなぁと思って」
「なるほどね。不登校のことを聞くには、実際に不登校の人から聞いた方がいいだろうってことね」
 頷く。彼女は恥じらいも礼儀も分かっていない。それが自分らしさだと思っているし、可愛らしい外見と態度から、それが許されることも分かっている。
 やはり私は彼女が気に入らない。
「もし私の場合どうかって話なら、放っておいてほしいかな。――はきっとさ、自分が辛い時は誰かに気にかけてほしいとか、話を聞いてほしいって思うんでしょ?」
「うん」
「でもね、本当に苦しい時って、全部邪魔なんだよ。疲れ切ってて、一番ムカツクのは馬鹿にしてくる人。二番目は、お節介な人。三番目は、遠くから同情してくる人」
「うん」
 真っすぐ見つめてくる。目を潤ませているが、それは自分自身への怒りや反省の意からではなく、私への同情からだ。つまり「そんなに苦しんでるなんて、かわいそう」と、まったく内省していないのだ。自分に問題があることなど、少しも考えてない。
「もししてほしいことがあるとすると、ぶん殴ってくれること。ぶん殴って『お前なんて知るか!』って言って帰って、あとで『ごめん。言い過ぎたし、殴ったのも悪かった。許してほしい』と手紙を送ってくれること。それくらいかな」
 その時初めてその子は苦悶の表情を浮かべた。その子は、私の言ったことが実行可能か考えていたのだ。しかもそれを……無邪気にも、実際に行動しようとしている。
「でもそれは多分私の場合だけだから」
「うん。分かってる。ただ……たとえばそれが正解だったとして、私にそれができるかなって考えてた」
「私はやりかねないと思ったよ。いや、――ならやる。でもね、それが心からやっていることか、演技でやっているかなんて、丸わかりなんだよ」
「でも、私が本当にその子のことを大事にしてるってことが分かれば十分でしょ? その子がしてほしいことをしてるってことが分かれば……」
 こいつは本当に何も分かっていない。そうじゃないのだ。ただ私は、「対等な人間として扱ってほしい」ということをたとえ話として言ったに過ぎない。「助ける」「助けられる」とか「大事にする」「大事にされる」とか、そういうくだらない関係ではなくて、単純にお互い自分勝手でありながら、自分勝手に相手を必要としているという関係が……
「そういうのが、重荷なんだよ」
「え?」
「だからね……重荷なんだよ。押しつけがましいんだよ。誰かを助けたいならさ、そもそも自分に中身がないといけないんだよ。――にはそれがない。つまりね、――は不幸な人の気持ちが分からないんだよ。痛みが分からないんだよ。憎しみも、悲しみも、全部足りないんだよ」
 彼女は黙った。考えているふりだ、と思った。だってこの子には……
「ごめん」
「いや、○○ちゃんは正しいよ。正しいと思う。たしかに私ってよく変わってるって言われるし、なんか皆から変な目で見られることも多いから。私って多分ちょっとズレてて、無自覚に人を傷つけてしまうんだろうね」
「そうだね」
「でも何もしないでいるの、嫌なんだ。あとで『あのときあぁしてたら』って思うの嫌だから」
「知ってるよ。行動しとけば、後悔はしない。その代わりに憎しみが残る。あなたへのね」
「それでもいいよ。私は憎まれてでも、誰かの役に立ちたい」
 私は唇を噛んだ。その強さと鈍感さが心底羨ましかった。何も気づかずにいられるということの幸せが、眩しかった。私は確かに……嫉妬していた。
「私、――のこと嫌い」
「私は○○のこと好きだよ」
 いやな子だ、本当に。純粋で、素直で、綺麗で、何も知らない。いつか私じゃない誰かがこの子を穢すのかと思うと、胸がちりりと痛む。そしてこれはきっと……この子と関わった他の子たちも感じることなのだ。
「好きにしたらいいと思うよ。ただ私としては、不登校の子に対しては待ってあげることが大事だと思う。無理に焦らせたり、逆に放っておきすぎるのもよくない。自分が話したいときに話して、その子が話したそうにしているときに、話させてあげる。普通の友達みたいに接してあげるといい。不登校とか、気にしないで関わってあげて」
「ありがとう。ちょっとメモとっていい?」
 私は思わず吹き出してしまう。本当にこの子は……やっぱりそれでも憎めないのだ。彼女は私にとっても魅力的で、否定したくても否定できない。拒みたくても、拒みきれない。いやな子だけど、素敵な子なのだ。
「いいよ。でも、ちゃんと私以外の人からの意見も聞いておくんだよ」
「うん。でも私多分、○○の言うことが一番正しい気がする」
「そらそうだよ、私不登校だもん」



「それじゃあ今日はありがとう。またね。あと、学校に来てくれたら嬉しいな」
「行きたくなったら行くよ」
「うん。ありがとう。いつもありがとうね」
「こちらこそ、ありがとう。楽しかったよ」
 手を振る。彼女は背を向ける。堂々と去っていく。姿が見えなくなる前に、私はドアを閉める。疲労がどっと襲ってくる。頭の中がぐちゃぐちゃになる。あの子は……もうあの子のことは、忘れよう。ゆっくりお風呂にでも入って……理想の恋人と色んなことをする妄想でもして現実逃避しよう。

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