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ティファレト【序章】

プロローグ

 生きるためなら、殺すことも許される。私もそう思う。動物の肉を食べるのはもちろんのこと……より安くものを扱うために、弱い立場の人たちに厳しい労働を強いるのも、私たちは……

 彼女の話をしよう。彼女は人間とは少し違う生き物だ。遺伝子のつぎはぎとして生まれた彼女は、ある人々の理想を体現した存在であった。

 フランケンシュタインの話を具体的に知っている人がどれくらいいるだろうか。今私たちがよく聞くのはかなり捻じ曲げられた話ばかりなのだが、元々の話は、フランケンシュタイン博士が作った化け物が、博士の手に負えなくなって、博士の人生を破滅に追い込む物語だ。だが……本当の意味で同情すべきは怪物の方だったのではないか、という感想を持つ人間は少なくない。私も、そのうちのひとりだ。

 私は別にその物語を意識してこの物語を構想したわけじゃない。少しだけ、物語の構造が似ているので、手っ取り早く説明できるのではないかと思ったのだ。だがよくよく考えてみれば、皆が知っている「フランケンシュタイン」と、私の知っている「フランケンシュタイン」がずれている可能性は高く、もしそうであるならば、説明として適切とは言えないかもしれない。

 まぁいい。
 彼女は、フランケンシュタインの怪物に近い存在であった。しかし、かの怪物との相違点がいくつかあり……そのひとつは、彼女の容姿は奇怪でこそあったが、誰が見ても美しいと思わずにいられないようなものだったという点だ。
 青い宝石のような瞳。シミひとつない白い肌。ピンク色の厚く情熱的な唇に、丸みを帯びた、少女の愛らしさそのものと言えるような頬。それでいて精巧につくられた人形が持つような不気味さはなく、人間らしいほどよい「ざらっとした感じ」まで完璧に表現されていた。(再現、ではなく、表現、である)
 髪は生えていないが、最高級のウィッグを数種類持っており、出かけるときはいつもそれで着飾っていた。
 足は、動物の足だった。ガゼルに近い種の、世にも美しいすらっとした長い四本の足。やわらかく短い毛が薄い皮膚を覆っていて、優しくなでると彼女は小さな快感にほほ笑む。
 背中からは真っ白な翼が生えていたが、目立ち過ぎるので、いつも服の下で折りたたまれていた。
 生殖器はついておらず、腰の後ろ側からはチューブ状の排泄器官が伸びており、それは普段、腰に巻き付いている。
 片手にちょうど収まるかどうかくらいの形のよい胸と、赤い小さな果実のような乳首は、甘い分泌液を出す。
 手は鋼鉄製で、四本ある。普段は二本のみを服の外に出し、残り日本は服の中に隠している。長袖と手袋をしているため、人間の腕と見分けがつかないが、その腕は人間よりも固く強く、機械的機能美だけでなく、メタリックな美しさと……言語では表現しづらいが、完璧な機械の持つ、あの……欠点のない造形美が実現されていた。複雑であるにも関わらず、無駄な部分は一切ない。一部が欠損しても、他の部分が補うことのできるように作られている。四本の腕は、すべてが大まかなシルエットこそ同じであるが、それぞれが別の機能と造形美を備えている。普段外に出す方の右腕は、力強さと繊細を兼ね備えたバランスのいい腕。左腕は、太さや長さは右腕とは変わらないが、女性的な流線美が描き出されている。隠されている方の右は、人間のものとは違う、太く、ゴツゴツしている、兵器のような機械腕。左は、タコの触手のような、ぬるっとした動きをする先端が分かれた異形の腕。彼女の四本の腕の美しさと機能性は、筆舌に尽くしがたい。
 声は小鳥がさえずるようなかわいらしく小さな声で、よく響きはするものの、何を言っているかは聞き取りづらい。照れ屋な彼女の性格によく似合っている。
 知性も素晴らしく、世界中に現存する言語のほぼ全てを解し、人の心を正確に読み取る心理的な技能すら持っている。それもそうだ。彼女は……おぞましいことだが、彼女を作るのに苦心した、五十三名の研究者の脳の複製、縮小したものを体中に散りばめているからだ。なぜそんなことになったのかは、あまりに長くなってしまうので、ここでは説明しない。ただその脳の複製は、人格性を排除され、彼女自身の人格と、メインとなる機械的な脳構造の下部組織として機能していた。彼女の精神はあくまで独立しており、彼女の体中に散らばった天才たちの脳の破片は、彼女の体の一部として「使われる」ものでしかないことをここに言い添えておこう。

 人間の悪意の結果か、それとも偶然のいたずらか。彼女にはひとつの必然的な呪いがかけられていた。それは……彼女の体を維持するためには「新鮮な人間をそのまま食べなくてはならない」という生物的な生存条件。彼女の高度な肉体を維持するには、単純なエネルギー源だけでなく、複雑な情報体、異なる、彼女と同形式の遺伝的情報が必要だったのだ。
 彼女を作った人間にとって、それは彼女の欠点にはなりえなかった。いや、言い換えよう……彼女が美しく、高度な怪物になりえた理由は……そのように、自分と同程度の複雑性を持つ存在を「食らい続けた」結果であった。彼女はより美しく、より高度になり続けなくては生きていけない存在として生まれ、そして……彼女を作った人間たちは、喜んで彼女に肉体を捧げたのだ。

 なぜそんなことが可能だったのか。簡単に言えば、世界は人間によって腐敗しきっていたのだ。
 科学技術は発達していた。だがその科学技術ですることと言えば、ただ興味本位で新しい道具を産み出すことばかり。人間の主体的生活は変わらないどころか、その便利になった道具のせいで猿同然のものになっていた。起きて、食べて、セックスして、寝る。ただそれだけの生き物になっていた。働く理由はない。全ては機械がやってくれている。他者と関わる必要もない。だって、自分に都合のいい人型の機械がどんなわがままも力の限りかなえてくれる。
 そういう生活を退屈だと思ったならば、外に出て自分と似たような存在と出会う。だが互いの醜さに驚き、結局は憎みあい、そして殺し合う。人と関わらず育った現代人は、他者を他者と認識することができず、ただ自分のための機械のように他者を解釈し、それだけでなく、他者からそのように扱われるだけで激昂し、友情を育むなど夢のまた夢のようなものだった。
 もちろん、そういう人間たちばかりだったというわけではない。知的なものに惹かれる性質を持つ人間は自主的に古典的な書物を読み、己と対等である他者と積極的に関わることを望むので、従来通りの人間的生活を営むことも可能であった。だが……当然そのような人間は、自分たち以外の猿のような人間を見下すし、自分以上に優れた知能を持つ人間に嫉妬し、彼らをいかにして自らの足元にひれ伏せさせるか、そのよくできた頭を駆使してはかりごとばかり企てる。結局、高い階級の人間はさらなる権力争いに終始し、低い階級の人間は、ほとんど意味のない家畜同然の生活を満面の笑みで送っている。その中間は低い方を激しく見下し、高い方を激しく憎悪した。彼らは両方の悪い部分をしっかり己の内に含んでいることを自覚せず棚に上げている。
 人類の現状は、悲惨そのものだった。どの階級の精神も、人という種から逃れたくて仕方がなくなっていた。
 倫理観なんてものは、もうどこにも残っていない。あまりにも自由すぎるディストピア。誰もが己の望むものを手に入れることができるが、己自身から逃れることだけはできない。満たせども満たせども、そこにあるのは空しさばかり。

 そんな世界で、彼女は生まれた。
 美しき化け物。

 その名は……ティファレト。

 この物語は、人工的に創られた怪物であるティファレトが、あるひとりの人間の少女と出会うだけの物語だ。その先で、彼女がどのようになるかは、私にはわからない。私が用意したのは、舞台と、人物だけだ。彼女らがここでどんな踊りを踊るのかは、作者である私にもまだわからない。


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