善悪の木
「心の貧しい人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。」
マタイによる福音書 5:3
この言葉は毒である。
この言葉は悪魔の言葉である。
この言葉は善悪の木である
なぜか。それはエバが証言していることから明らかである
「でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
創世記 3:3
エバは「園の中央にある木は一本である」 と証している
では、なぜ、善悪の木と命の木があるのか。
それは預言者ダニエルによって説明済みである
「彼はいと高き方に敵対して語り いと高き方の聖者らを悩ます。 彼は時と法を変えようとたくらむ。 聖者らは彼の手に渡され 一時期、二時期、半時期がたつ。」
ダニエル書 7:25
命の木はさたんによって善悪の木と改変させられたのである。
つまり、命の木である「天の国はその人たちのものである。」
という言葉は
善悪の木に改変させられ、人々は天国へ飛びたとうとするようになった。
ちょうど、御使いが地上に下り、地上の女と結ばれたように
そういうわけですから
「天の国はその人たちのものである。」
という言葉は毒であり、食べると死んでしまう善悪の木なのである。
われわれは常に誘惑から守ってくださるように祈らなければ
デフォルトでは善悪の木をたべるような環境設定に定められている。
常に目を覚ましていなければならない
誘惑にあわせないでくださいと懇願しなければ
善悪の木から食べることは避けられないのである
「心の貧しい人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。」
この言葉を読んで御心が理解できるなどと、思い高ぶってはいけない
まずはこの言葉は毒であると考えた方が神の目から見て正しい。
人間の立場をわきまえている。土から生まれた人間としてのまずもっての義となる
御言葉に触れる前に、まず祈らなければいけないのである。
「わたしたちを誘惑に遭わせず、 悪い者から救ってください。』」
マタイによる福音書 6:13
神の言葉に触れる前に、まずこう祈らなければならない
これは人間の本分である
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