イエスの父とは誰か
それはイスラエルのことである
「悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」
ルカによる福音書 3:8
「だから、こう祈りなさい。 『天におられるわたしたちの父よ、 御名が崇められますように。 御国が来ますように。 御心が行われますように、 天におけるように地の上にも。」
マタイによる福音書 6:9-10
「天におられるわたしたちの父よ、 御名が崇められますように」
これはイスラエルを祝福する言葉である
天におられる父よ、という呼びかけは神に対する呼びかけではない。アブラハムよ、祝福されよ!という、アブラハムに対する呼びかけである
天におられるわたしたちの父、すなわちイスラエルよ、 御名が崇められるように
天にいる我々の父が祝福されるようにと
と祝福しているのである。イスラ・エルの御名が崇められるよう祝福しているのである
なぜか?
聖書に書いてあるとおりだ。
だれがアブラハムの子孫であるか、天の御心が明らかにされるためである。イエスが公生涯で父と呼んでいるのはイスラエルのことである。
そういうわけですから、福音書は父が誰であるかを最初に系図として記録しているのである
長子を残すこと。コレはネフィリムの時代から議論されてきた神の家の問題である。
父なる神とは
父から受け継がれてきた流れ。
伝統、文化。
神の働き。
聖霊を指す。
天気や経済を予測する必要があるように
聖霊にも方向性がある。
そのトレンドに乗らなければいけない。
自分の力ではできないのである。
あなたの父母を敬え。
というやや控えめな命令に対し
父よ、御名が崇められますように
とは予想を超えた破格の対応。
100点満点の回答。
まさに神の義
神の満足
神がよしとされることである
殺してはならない
という律法に対して、心を込めて愛しなさいも
破格の対応。
隣人のものを欲してはならないに対して
自分にしてもらいたいことを、人にしなさいも
破格の対応なのである
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