真理とは何か
「主はカインに言われた。 「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。 もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」」
創世記 4:6-7
カインはならず者ではない
カインは責任を任された長男である
カインは時を経て神を崇める人である
カインは継続できる情熱を持って神に捧げ物を用意できる人である
さて、イエスさまは我々のために死んで下さった
イエスさまは我々の救いとなられた
もし、イエス様の救いに感謝するのであれば、
もし、本当にイエス様が自分の罪のために十字架にかかってくださったと信じているのであれば、
イエス様を信じ、イエス様を崇めるべきではないか。
そして、イエス様は、自分を救ってくださったと信じるのであれば、
「あなたの信仰があなたを救った」と
イエスさまは今日、
生きている自分に向かって直接語りかけておられると信じるべきではないか
聖書はイエスキリストの証ではないか
では聖書は今日生きている我々に向けて直接語っておられるのではないか
我々は神を愛するカインではないのか
「なぜ、怒っているのか」
と我々が、神に直接とわれているのではないか
なぜ、怒っているのか命をかけて考える必要があるのではないか
神は今日生きている我々にむけて
「一体なぜ、怒っているのか」
と、直接そう語りかけておられるのではないか
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神。
今、生きておる我々がこの問いに答えることができないのは命に関わる問題ではないのか
「裸だから怖くなりました」
と嘘をついて誤魔化すのか
焼き尽くす捧げ物を捧げるべきではないのか
「ピラトは言った。「真理とは何か。」 ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。」
ヨハネによる福音書 18:38
神に何を捧げれば良いか、まだわからないでいるのか
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