イエス様の復活
十字架も愛、復活も愛
復活は死への勝利
なぜ死に勝利したのか
イエス様が振り返ってご覧になられた。
ペテロの3度の否認のときに振り返ってご覧になり
ペテロを可哀想に思われた
イエス様は十字架にかけられたが、
我々を振り返ってご覧になられる神
我々のことがあまりに憐れで可哀想におもわれたた。
イエスの復活とは
贖いによる死よりも大きな愛をもっておられた証である。
より大きなビジョンがあった。
我々を見捨てるわけにはいかないという愛
その足跡、神が通り過ぎた後の風、これが聖霊である
イエス様は十字架にかかられたが、
我々を振り返ってご覧になるために復活された
振り返ってご覧になられる神
ベ・エル・ラハイ・ロイ
はだてじゃない
ガキの使いではないのである。
この御名こそ、崇められるべき御名である
「ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、「あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です」と言った。それは、彼女が、「神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか」と言ったからである。」
創世記 16:13
創世記によると、振り返ってご覧になられる神に憐れまれた者はその後も神を見続ける。
ペテロがイエスを見続けるためには、イエスが死から振り返って蘇り、ペテロをご覧になり、ペテロはイエスを見続けなければならない。
復活により
神が私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であると言われた時、
神は生きてなお、我々を振り返ってご覧になられており、
今日生きている我々に向けて語っておられるのだということが知らされるのである
我々が受ける恩はこの方の恩以外にありえない
このような聖霊にあって、サタンの尻馬にのり、恩を仇で返すような行動は恥と思わなければならない
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