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価値観は絶対的なものでなく、その時代その時代に作られたもの

作家の水野敬也さんが先日のブログに書いてあったことが、なるほどなぁと思ったので添付します。

水野敬也さんのブログから

決して忘れてはならないのは、新型「コロナ」ウィルスは、災害だということです。
そして、災害とは、僕たちの都合と一切関係なく、予想もつかない方向から、ある日、突然やってきます。
どの分野にどんな打撃を与えるかは、そのときになってみないと分からないのです。
飲食店や居酒屋が赤字になるのは、
スポーツジムや劇場やカラオケボックスに人が来ないのは、
旅館やホテルの部屋が空いているのは、
その場で働いている人たちの責任ではありません。
ゲームを作るのも、
美味しい料理を提供するのも、
人の健康を支えるのも、
みんなで集まって楽しめる場所を用意するのも、
舞台に立って人を楽しませるのも
同じように素晴らしい仕事です。
だから、「コロナの時代はこうなる」と言って、
売り上げが伸びた企業とそうじゃない企業を比較して「勝ち」と「負け」に分けるのは本当に間違っていると思います。
もしかしたら、それは「古い価値観」と呼べるかもしれません。
これまでの時代は、「経済成長こそが善」であり、より多くを稼ぐという資本主義のピラミッドをほとんどすべての人が登っていました。
その世界では、収入の少ない人は「努力不足」であり、どれだけ経済的に困窮していたとしてもその人の責任だとされていました。
でも、新型コロナによって、その考えは誤りであることに気づかされました。
僕たちが信じていた経済成長は「恵まれた環境でしか成立しない特殊な状況」だったのです。
「巣ごもり需要」によって特定の会社に利益が流れたのも、
その反対の「三密事業」が大幅に利益を失ったのも、
自己責任ではありません。
先見の明があったわけでも、準備不足だったわけでもありません。
たまたま、です。
だから僕たちは、新型コロナが流行ろうが、新型ナロコが流行ろうが、
すべての人が幸せに生きていける新たな社会構造と価値観を身につける必要があります。それは、より多くを稼ぐことが「勝利」ではなく、より多くを稼いでる人が「価値のある人」ではなく、
収入の多い少ないに関わらず、
多くの人たちと様々な形でつながり、有形、無形の財産を分かち合うのが「価値のあること」であり、苦しんでいる人に救いの手を差し伸べることが「勝利」となる世界です。

※原文の新型ナロコのクダリを省かせてもらってます。原文はこちら👇👇

価値観の変動

歴史を見れば、ずっと人は何かを奪い合ってきました。世界中で、それは有形の土地の奪い合いに始まり、長い年月の中で常に犠牲は人の命でした。
殺しは絶対ダメ、だと思っていますが、戦国時代や戦争なんて、いかに相手を殺めるか、という事に価値があったのだと思います。
それは今じゃまったく考えられない事ですが、現実として、日本でも80年前くらいまではそうだったわけです。(世界では今でもそういう地域はたくさんあるかと)
それが落ち着いてやっと、本格的に経済の時代になりました。資本主義、よりたくさんの人に必要とされる商品を作り、そこに人が考えたお金、というものが集まる事に価値がある時代。

そうやって考えていくと土地をたくさん持ってる方が正しいも。人を殺す事が正しいも。お金をたくさん持ってる事が正しいも。全て人が自分達で作ってきたルールに過ぎないな、と。
今回のコロナで価値観は強制的に次のフェーズに移る気がします。
もちろん資本主義である事に変わりはないと思いますが、奪い合う、から次は奪い合わないシェアの時代、助け合う事にも高い価値がある時代に移行していくのではないかと。
むかしむかし、その土地土地で助けあっていた時代のように、あたたかい世の中になっていくといいですね。

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