見出し画像

コロナのせいで、部活を引退できなかった


新型コロナウイルスで外出自粛が叫ばれている今、Twitterではこんなツイートをよく見かけます。

桜は来年も咲くけれど、人の命は帰って来ない

後半部分には大いに賛同できます。人の命より重いものなんてない、当然です。もちろんお花見なんて問答無用ですし、私も不要不急の外出を控え、ずっと家で過ごしています。

だけど、桜は来年も咲く、これにはどうしても、いや違う、と思ってしまう。だって、今年の桜は今年散ってしまうじゃないですか。今年のこの春、咲き誇るためだけに一年間をかけてきたのに、誰にも見てもらえなくて、そのうえ来年も咲く、なんて言われて、今年の桜はなんて不憫なんだろう、って思うんです。確かに来年も咲くけれど、その桜は来年の桜であって今年の桜じゃないのに、って。

ここまで読まれた方の頭には、いや桜は人間に見てもらうために咲いてるわけじゃない、とか、いろんなツッコミが浮かんでいると思います。

でも私が話したいのは、桜についてではないんです。

私がこれから話すのは、きっと世間知らずで無知な高校生のわがままと言われるようなことです。世界はコロナと戦っているのにそんなことで騒いで、と気を悪くされたらごめんなさい。でも、どうしてこの3月31日という日に、このことを書かずにはいられなかったので、ここに残します。


3月という時期なのもあって、学生の、主に文化系の部活の1年間の集大成である演奏会や発表会が、たくさん中止になってしまいました。それは誰のせいでもない、仕方のないことです。いくらたくさんの思いがつまった演奏会だからといって、クラスターになる可能性が大いにあるものを強行突破で開催するなんてことはできません。

でもそれは、私たちにとっては、本当に、言葉では言い表せないくらい、悲しくて悔しくて辛いことです。中止という事実は、部活にかけてきた時間が多いほど、かける思いが強いほど、受け入れるなんて到底無理、と思うくらい、ショックなことです。

そんな大袈裟な、って思われるかもしれません。でもきっと、学生時代に一度でも部活動に熱中したことがある人なら、すこし想像していただければわかってもらえるんじゃないかと思います。

想像してみてください。3年間、熱中してきた部活の引退前最後の試合や発表が、いよいよ本番、と思っていたその2週間前に突然、中止になることを。

中止が決まった次の日から、毎日あったはずの練習は全てなくなって、毎日一緒にがむしゃらに練習していた同期にも後輩にも、突然会えなくなるんです。今までありがとうとも言えず、引退もいつだったのかよくわからない。きっと後輩にもらうはずだったお花や寄せ書きや、引退おめでとう、の言葉も、三年間を共にしてきた仲間に渡すはずだった手紙も感謝の言葉も涙も、全部なし。

何より悲しいのは、1年間、頑張ってきたその証を、何も残せないことです。私の所属する管弦楽部は、4月から、3月の定期演奏会に向けて練習します。まっすぐ、3月を見据えて、走ってきたその道が、目の前で突然崩れ落ちてなくなる。それどころか、今まで何のために走っていたのか、わからなくなるんです。

いつも朝から下校ギリギリまでさらっていたあの子のソロも、何度やっても合わなくて、何度も何度も練習して、やっと合うようになったあの部分も全部、全部なし。何も残せない。

なんか悪いことしたかな、なんでこんな悔しい思いしなくちゃいけないんだろう、私たちはただ、この三年間を、きちんと終わりたかった。終わらせたかった。終われない、ってことが、どうしようもなく悔しい。

高校生ってたぶんまだ子供で、単純で馬鹿で、エネルギーにばっかり溢れてるから、部活なんかにのめり込んだらもう、そのことだけになっちゃうんです。私の高校三年間は、そういう三年間でした。こうやって毎日練習して、本番を迎えたら、それが何かはわからないけど何か、わかると思ってた。舞台に立って、三年間を文字通り共にしてきた仲間の顔を見て演奏したら、そのときにきっとこの三年間がなんだったのかも、私たちの音楽がなんなのかも、全部わかると思ってたんです。

でも、結論、それはわからなかったし、わかろうとすることさえ許されなかった。全部無駄だった。努力は必ず報われる、なんて嘘だった。尊敬する仲間の、やりきった笑顔を見られない、こんなに悔しいことってあるんだ、って、わかったことといえばそれだけ。

桜は来年も咲く、演奏会だってまたできる時がくる。正直に言って、きっとまた演奏できる時があるよ!とそう無責任に言われた時が、一番苦しいです。「次」なんてどこにもないんです。私たちは今日を境に、高校生ではなくなる。それぞれ別の進路に進む。演奏どころか、もう同期全員で集まることすら難しい。そもそも全部、高校生、という時間のなかだったからできたことなんです。


日本中、いや世界中に、同じような境遇の人たちが沢山いて、こんなに悔しい思いをして、歯を食いしばって耐えていることを、知ってほしい。外出自粛を軽く考え、まだふらふらと外に出ている人がいる。そんなの、あまりにも、辛すぎます。

演奏会をしたかったと私たちが口からこぼせば、みんな我慢しているんだから、もうそんなこと言ってないで切り替えろ、と言われます。コロナで亡くなっている人もいる中で、演奏会の中止ごときで騒ぐな、という風潮があります。

それはもちろんその通りです。人の命と演奏会、重さを比べられるはずがありません。でも、悔しいものは悔しい。みんな我慢しているからって、それぞれが悔しいことに変わりはないと思うんです。

だから、どうか、お願いです。みなさんの近くに、学生に限らず、感染症によって大事なイベントや、演奏会や、発表会や、いろんなことができなくなって、塞ぎ込んでいる人がいたら、寄り添ってあげてほしい。次があるとか、我慢しろとか、簡単に言わないでほしい。苦しい気持ちを否定しないで、聞いてあげてほしいんです。

悔しい気持ちを口に出すのを我慢したからと言ってコロナが収束するわけじゃない。みんな苦しいんだから、みんなでおうちで苦しい気持ちを叫んで、分け合ったら、きっと少しは前向きになれるかなって思うから。


最後に、コロナと最前線で戦っている医療関係者の方々、本当にありがとうございます。あなた方のおかげで、私たちは希望を持っていられます。

この感染症が早く収束することを祈っています。

読んでいただき、ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?