お弁当箱
「あのさぁ、俺、今日の昼は体育委員の仕事があって彼女とお昼食べられないんだけど」言いにくそうな顔をしながら、最近リア充になったばかりの斉藤が口を開いた。なんだそれ、だ。俺にはお前のお昼の都合は関係ない。お前は体育委員の仕事をしっかりやってくれればそれでいい。
「で?」
先を話そうとしない斉藤に話を促す。
「それでさぁ、彼女、がんばってお弁当作ってきてくれることになってるんだけど、やっぱり弁当箱って洗って返すものだよな? 俺、洗い物ってあんまりしたことないから自信ないんだよ」とやつは言った。
「ダメだろう、それじゃ」
「え?」
斉藤は自分が言われたことを理解していないようだった。斉藤の中は弁当箱は洗って返すべきものだという価値観で満ちていた。そうなのか、とやつはつぶやいた。
「だって考えてみろよ。彼女が明日も弁当を作ってくれるつもりだったとするだろう? お前の弁当箱が手もとになかったら困るじゃないか。お前、洗ったら返すの明日だろう?」
思いもよらなかったという顔をしてやつはぐっと言葉を詰まらせた。つまりは今日、弁当箱を洗って明日返すか、今日中に彼女に洗ってない弁当箱を返すかの二択だった。斉藤は俺の意見を聞いて真剣に悩んでいた。
「明日も作ってくれるんだろうか?」
「さあな、お前の彼女のことはわからないよ。でも、たぶん作ってくれるんじゃないの? いいなぁ、俺もそんな彼女ほしいよ」
洗わない弁当箱を返すのは確かに男といえども気が引ける。それでも彼女の期待に応えるためならベストな選択をしたい。しかもまだふたりはつき合い始めたばかりだった。
「俺、がんばって放課後、彼女に弁当箱返してくるよ。『洗ってなくて悪いけど』って言えばいいんだろう?」
「『美味しかったよ』で十分、気持ちは通じるんじゃないか?」
斉藤は満足そうにうなずいた。
――それから数年後、ふたりが結婚したという噂を聞いた。もしかしたらあの時の選択一つでふたりの未来は変わったのかもしれないなぁなんて思いながら、妻の待つ家へと急いだ。
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