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Return to Sender vol.9 | Kaiho


旅行や帰省など、まだ移動に気を遣う昨今。故郷に帰りたくても、今は我慢の人もいるかもしれません。そんな故郷への想いを表現するならば、どのような形になるでしょうか。日本を離れ、フィンランドの地で、マリメッコのテキスタイルデザイナーとして活躍した石本藤雄さんにも、望郷の想いがあり、マリメッコのテキスタイル名にもなっています。
石本藤雄さんのテキスタイルデザインからインスピレーションを得てミズモトアキラさんが執筆し、オーナー黒川がテキスタイルの解説を加える連載「Return to Sender」。今回のテーマは、マリメッコのテキスタイルKaiho (望郷)です。

Kaiho

Text by Akira Mizumoto


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旧ソビエト連邦を代表するだった映画監督、アンドレイ・タルコフスキーは、愛してやまなかったイタリアのトスカーナ地方を舞台に作品を撮ることに決め、1983年にその映画を完成させました。それが7本目の長編『ノスタルジア(原題:NOSTALGHIA)』です。ロシア語で〈望郷〉と題されたその映画はこんなあらすじ───。

”ロシアの詩人アンドレイは若く美しい女性通訳を伴って、18世紀にイタリア国内を放浪した音楽家パヴェル・サスノフスキーの足跡を辿り、旅しています。サスノフスキーは帰国すれば奴隷になることを覚悟の上でロシアに戻って、自殺した人物でした。
あるとき、バーニョ・ヴィニョーニという小さな町の湯治場で、アンドレイはドメニコという男に出会います。彼は「世界の終末が迫っている」という理由から、家族を7年間も自宅に閉じこめて狂人扱いされていた人物でした。ドメニコはアンドレイに「もしも蝋燭の火を消さずに湯治場を端から端まで渡ることができれば、世界を救うことができる」と話し、彼にその行為を託します。そして、ドメニコは飼い犬のシェパードと共に、町から忽然と姿を消したのでした……”


異国での旅を続けながら、アンドレイはソビエトに残してきた家族や故郷への追憶と、今の自分とのあいだで心が引き裂かれていて、次第に心身が蝕まれていきます。また、アンドレイの夢のなかに浮かび上がる故郷のイメージは、色彩を失った白黒の映像で映し出され、常に濃い霧が漂っています。故郷の村で暮らす老母、妻、子どもたち、飼い犬(ドメニコと同じシェパード)の姿や顔つきも、まるで亡霊のように生気がありません。

タルコフスキーの映画では、〈鏡〉が一種のトレードマークになっています。『ノスタルジア』のなかにも、画面の至るところに鏡が登場します。

鏡に映し出されるのは、こちら側と同じようでいて、すべてが左右逆転した世界。鏡は真実の姿を映し出すと同時に、グリム童話「白雪姫」に出てくる鏡のように、自分の中に隠されていた醜い内面を見せたりもします。しかし、もしかすると鏡に映っているほうがほんとうの世界で、こちら側の世界が実態のない鏡像だったら───と問われても反証するのはとても難しいことです。

望郷という感覚も、鏡と非常に似たものがあると感じます。つまり、故郷を立ち去った側にしてみれば、〈望郷〉という感情が鏡のように映し出した世界は、特定の場所を指すだけでなく、そこで過ごした時間、さまざまな経験や思い出、家族、恋人、友だちといった人との関係性など、すべてを含む総体───すなわち幻影です。いっぽうで立ち去った側の世界=故郷で暮らし続けている人にすれば、記憶や思い出は日々更新されていくただの通過点であり、そこで流れる時間もまた一瞬一瞬の現実の連なりにすぎません。

また、鏡と同様、タルコフスキーの作品の中に頻出するのが〈水〉のイメージです。水も人間にとって非常に身近な存在ですが、氷水や熱湯に落ちれば、ぼくたちはあえなく死んでしまう。でも、ぼくらは水なしに生命をつなぐことができません。また、水のある風景を人は好み、海岸や川辺に行くと心が癒されるような感覚を覚えるけれど、津波や洪水のような天災がひとたび起きれば、人間にとって忌むべき存在にがらりと変身します。

そのような二面性も含めて、鏡も水も聖と俗を切り分けるアイコンとして古くから見なされてきました。占いなどの神事や祭り事に鏡や水は付き物だし、汚れた人間の体を水で浄めるという行為も、キリスト教には洗礼が、ヒンドゥー教に沐浴が、日本の神道に禊というかたちで共通しているのはとても興味深いです。

今回のお題になった石本さんが手掛けたKaiho(望郷)というテキスタイルのデザインに〈水引〉のイメージがある───と、黒川さんから聞きました。水引は祝儀袋や贈答品などにかけられる帯状の飾り紐で、さまざまな歴史や由来、バリエーションがあります。俗物の象徴である金品を神様や送り手に差し出す際に巻くことで、水の力によって引く(=浄める/魔除けする)という意味が強いようです。*1

*1 偶然にも愛媛には飯田市についで、日本で二番目の水引の産地があって、製紙業で盛んな四国中央市で伝統工芸として作り続けられています。

タルコフスキーは自著『映像のポエジア───刻印された時間』で『ノスタルジア』について、こんなふうに語っています。

「私はロシア人のノスタルジアについて映画を撮りたいと思った。祖国を遠く離れているロシア人に起こる、われわれの民族に特有の、固有のあの精神状態について、映画を撮りたいと思った。(中略)ロシア人は悲劇的なまでに同化能力が欠如しており、外国の生活様式を受け入れようとする彼らの努力はぶざまな愚行に終わることを、誰もが知っている」

1970年に故郷である日本を離れて以来、半世紀以上にもわたって異国で暮らした石本さんにとっての〈ノスタルジア〉がどういうものだったのか、また異文化や生活スタイルと、自分自身がどう同化し、またしなかったか、という点について、じっくりお話を伺ってみたいものだな、と思っています。

ちなみに『ノスタルジア』で主人公のアンドレイは、ドメニコから引き継いだ役目を果たしたあと(彼が渡るのはすっかり"水が引いた"広場!)、苦しみながら絶命してしまいます。監督のアンドレイ・タルコフスキー自身も、この作品が完成した翌年の1984年に亡命を宣言し、そのまま母国ソビエトに帰ることなく、1986年に若くしてガンで亡くなりました。

*偶然にも程があるのですが、現在、映像配信サービスGYAOで『ノスタルジア』が無料配信されています。配信期間は2月28日まで。ご興味のある方は今がチャンス。


あとがき:

Text by Eisaku Kurokawa (Mustakivi)


ミズモトさんとの連載企画・第9弾で取り上げたのは、マリメッコ社から1981年にリリースされた《カイホ》(Kaiho/望郷)。発売されたカラーバリエーションは不明で確認できているのは2種。石本さんは「もう少しあったのでは?」 とも言われていた。

図1

『On the road』 Fujiwo Ishimoto, 2001, Marimekko より


《カイホ》のデザインは、細いオレンジとグリーンの線のみで表現されていて、トップの画像のようにエリアによって線を「配置するパターン」を変えることで、表情の違いを楽しむことができる。無から有を生み出すデザインもあるが、そこにある素材の配置や組み合わせを変えてみたり、色や大きさを変えてみたりする中で生まれるデザインも有る。まるで遊ぶかのように。最近、Mustakivi Kolmeで先行発売となった「てぬぐい」は、石本さんのそんな制作手法に触れた時間でもあり、その制作過程に寄り添ったから《カイホ》の制作風景の想像も膨らむ。


先日の石本さんへのインタビューで、《カイホ》も以前、取り上げた《ハルハ》(Harha/迷い)と同年にリリースされたテキスタイルであり、「感情」をテーマにしたコレクションの一つだったと初めて伺った。

1981年の「感情(気分)」をテーマにしたコレクションの情報を更新すると、《イロ》(Ilo/喜び)、《ウヨ》(Ujo/恥ずかし)、《ナウル》(Nauru/笑い)、《ハルハ》(Harha/錯覚)、《ラジュ》(Raju/激しい)に今回の《カイホ》が加わり、計6種ということになる。

図2

同コレクションの中でも「望郷」は、特に石本さんならではのネーミングセンスを感じ、特別に味わい深い言葉。日本を離れて7~8年が経った1980年頃に、ボーダー調のデザインを「水引」に見立て、望郷と名づけた場面を想像すると、より一層魅力的に見えてくる。

今回のテーマに《カイホ》を選んだのは、Mustakivi Kolmeの2月のディスプレイに石本さんがこのテキスタイルを採用したことからだった。

図3

閉店後に「今月のテキスタイルはどうしましょうかね?」といった感じで相談が始まるKolmeの模様替えは、まずテキスタイルを選び、そこからディスプレイする商品を選ぶという珍しいスタイル。毎回とても面白いディスプレイが生まれるし、側で石本さんの斬新なアイデア、選ぶ感性、テキスタイルの配置の仕方には本当に驚かされる。

「このミズヒキにしよう」という言葉と共に棚から選ばれた《カイホ》の他に2001年の《バラハデイス》(閃光/Valahdys)というテキスタイルも選ばれた。2月をイメージした水色と雪の様子を感じさせるテキスタイルを選ぶところに、まだ2月は雪も多いフィンランドで生活してきた季節感を感じたし、今は日本で、第二の故郷フィンランドを「望郷」している様子を側で少し感じた。

以上、《カイホ》(望郷)のご紹介でした。

遠く離れたフィンランドの地でKaihoがリリースされてちょうど40年。このような形で「」から紹介することに関われてとても嬉しいし、まだ明らかになっていないストーリーを今後も質問し、記し、伝えていければ嬉しいと思います。
来月の「Return to Sender」もお楽しみに。ミズモトさん、来月も宜しくお願いします。今月も最後までお読みいただきありがとうございました。


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