赤い口紅

小学三年生の頃、母親の赤い口紅に憧れて母親には内緒で口紅をつけたことがある。
しかし、口紅はくちびるから大きくはみ出てその姿で小学校に登校したら、男子たちに『口裂けババア』と噂され、バカにされ、それから小学校を卒業するまで私のあだ名は『ババア』だった。

それからというもの、私は、女の子らしい格好をしなくなった。もうおしゃれなんてしない。スカートなんて穿かない。一生結婚なんてしない。口紅なんてまっぴらだ。

なのに、なんだろう、最近の流行は? どいつもこいつも赤い口紅をつけている。昔の記憶がよみがえる。ああイライラする。

私はこの春大学一年生になった。でも、きゃぴきゃぴしている『女の子らしい』女の子は私は苦手なので一匹狼よろしくどの授業もほとんど一人で過ごした。

園子と出会うまでは。

「すみません、マンガ論の教室って何号室ですか?」
そう訊いてきたのが園子だった。
園子は赤い口紅をしていて、それがよく似合っていた。
この子、すごい美人な子だなあ。
いつもはそんなことめったに思わない私だけれど、園子を初めて見た時、本当にそう思った。
「私、昨日までインフルエンザで休んでて入学式も出られなかったんですよ。」
「…私も文学部だから一緒に行きます?」
「え、いいんですか? 嬉しい! ありがとうございます。」

「私、鈴木園子っていいます。」
話してみると園子は中高女子校で共学の学校は小学校以来とのことだった。
「そうだ、まだお名前訊いてなかったですよね!?」
「私? 私は前田嬉美。」
「きみちゃん! すてきな名前! きーちゃんて呼んでもいいですか?」
「きーちゃん!?」
「嫌ですか?」
中学から今まで『前田』としか呼ばれていなかったので、きーちゃんというその発想にびっくりした。
「…別にいいよ。」
「良かった~。」
この子モテそうな子だなあ。

「私、19年間彼氏いたことないんです。」
園子からそんな爆弾発言が飛び出したのは、仲良くなって2週間後のことだった。
思わず飲んでいたコーラを吹き出してしまった。
「うっそ!」
「だって、今まで女子校でどうやったら出会いがあるんですか~。同じ高校で彼氏いた子もいたけど、そんなのまれでしたよ。」
「意外!」
「もう! そういうきーちゃんは?」
「…私は彼氏なんて要らないから。一生結婚しないって決めてるし。」
「きーちゃん。」
「え?」
すると、無理矢理園子に肩をつかまれ、くちびるに何か塗られた。
「ちょっ、なにすんの園子!」
「ほら、見てみて。きーちゃん。」
そう言って、園子に見せられたのは鏡だった。
鏡に映っていたのは赤いくちびるをした自分だった。
なんだか自分じゃないみたいだった。
「きーちゃん、色白だし、黒髪のショートカットなんだから赤い口紅ぜったい似合うと思ってたんですよ。」
「でも…」
そこで初めて園子に昔、赤い口紅をして、口裂けババアと呼ばれていたことを話した。
園子はふんふんと話を聞いてくれ、
「でも、それは小学生の時のこと! そんなこと言ってた男子も今じゃジェントルマンになってるかもしれないですよ?」
その日、園子に連れられて、池袋西武でシャネルの赤い口紅を買った。
もう二度とすることはないと思っていた赤い口紅。
でも、赤い口紅一つで、こんなに気分が上がるなんて。
「お化粧なんて自分のためでいいんですよ。口裂けババアとののしられようが、知ったこっちゃないですよ。」
案外、私より園子のほうが図太い神経してるのかもな、と思った。
赤い口紅。
小さい頃の私に言いたい。
あなたは綺麗だよ、って。

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