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ベートーヴェン 交響曲第五番 (1)  私が聞かなかった三つの理由 

ベートーヴェン 交響曲第五番 Op.67 ハ短調(1) 私が聞かなかった三つの理由

ベートーヴェンが1808年頃に完成した交響曲第五番。別名「運命交響曲」。構想は第三番を完成した後頃からのようですが、創作は中断し、先に「第四番」が世に出て、完成まで実に5年の歳月をかけて創られました。ちなみに作品番号は第六番と連番(作品67と68)になっていることで二つの作品は兄弟のようなものかもしれません。

私は長い間この交響曲を意識的に避け、聞かないまま歳を重ねてきました。その理由は実にささいで滑稽です。悔やんでいます。

そして考えました。もし世の中に私と同種の理由でこの素晴らしい交響曲を聞かないままこれから過ごす方がおられるとすれば、、?
それは不幸だと!きっぱりいいます。絶対に不幸です。

今回は、長々と私のケースをお話しします。「交響曲第五番」を積極的に聞くことがなかった方はぜひ、私のケースを反面教師として、一度お聞き下さい。ぜひ!

また、熱烈なファンの方は、「こんな奴がいるんだ」とでも、気晴らしに、ご笑読ください。


理由第1ーーー「運命」という題名が嫌いだった

「運命」という題名は、実はベートーヴェン自身がつけたものではありません。弟子のシンドラーの言い伝えにより、ベートーヴェンがこの交響曲の第一テーマを「運命はこのように扉を叩くのだ」と語ったというエピソードが後に「運命交響曲」という題名を出版社につけさせたらしいのです。

海外では主に「交響曲第五番」「ハ短調交響曲」と呼ばれるようですが、日本では「運命」という題名で有名ですね。ドイツでもそう呼ばれることもあるらしいですが、私のドイツやウィーの知人が「運命」と呼ぶのを聞いたことはありません。

「運命」という言葉自体とても重いです。
「これが運命なんだ、、」
小説やテレビドラマ、映画で、役者が語りそうな台詞。シリアスです。
それと、誰かに説教をされているような気持ちになりませんか?
音楽に説教などされたくないし、とにかく偉そうな題名ですから、敬遠してしまいます。
本来音楽は、タイトルに惑わされる必要などなく、音で受け止めればよかったんですが、私は惑わされたんですね。


その理由第2 ーーー「ダダダダーン」というメロディだけの音楽かと誤解

「運命のダダダダーン」というテレビ番組の題名があります。
曲の冒頭で奏でられるメロディを「ダダダダーン」と表現したのでしょう。誰もが、「運命」=「ダダダダーン」と連想する。

まさにその通りです。正確には、「ンダダダダーン」(「ン」は休符を意味する)なのですが、どう聞いても「ダダダダーン」と聞こえ、この有名なメロディは一人歩きをしています。

冒頭に2回だけ現れるだけにもかかわらず強烈な印象が残ります。そしてこれがまるで作品のすべてのような誤解も呼びます。
(本当はこのメロディが作品全般いたるところで形を変えて現れる「音楽の七変化」が素晴らしいんですが、それを知るためには音楽全部を注意深く聞く必要があります)

「ダダダダーン」が有名になりすぎたことが、ある意味悲劇かもしれません。なぜなら「ダダダダーン」以外の豊かな音楽を堪能するチャンスを逸する結果となるからです。


その理由第3ーーー強靱な精神力を誇張されすぎたベートーヴェンの賛美に対する反発

「運命」という題名とベートーヴェンの生き様を重ね、語られる今で言う波瀾万丈記的ストーリーもどこかうさんくさい。音楽家にとって致命的な耳の障害を不屈の精神で乗り越え、輝かしい音楽を生み出したベートーヴェン、その偉大さ。「運命交響曲」はまさにその象徴とされています。

まあ、日本人好みでもあります。確かに感動的ですし、尊敬はするけれどいささか誇張しすぎている傾向はないでしょうか。

私の手元に「交響曲第五番」のポケット判スコアがあります。諸井三郎氏により昭和27年書かれた解説では「交響曲第五番」を、「彼の音楽的思考であり、したがって彼の精神内容の質から生まれ出たもの、、、」という記載があります。「音楽的思考法」という難しい言葉も出てきます。

私も交響曲第五番とは無関係にベートーヴェンはずっと尊敬してきました。しかし、このような賛美とセットにするとあまりにフィットしすぎている「交響曲第五番」。能書きだけで、満腹になってしまいます。


先入観が邪魔をして食わず嫌いに

笑ってしまいます。笑ってください。
つまり私は先入観だけで、「交響曲第五番」を食わず嫌いのままこの年齢になりました。交響曲では九番、八番、七番などを聞いていたのに、五番だけは避けていたのですから。

でも…。 あるとき、レコード店で緑色のジャケットのCDを見つけました。男性と女性が笑ってこちらを向いている写真。

ベートーヴェン「交響曲第五番」とブラームス「ヴァイオリン協奏曲」。指揮者サイモン・ラトルとヴァイオリン奏者チェン・キョンファでした。
当時賛否両論で話題となった演奏。普段新品CDなど買うことはめったにない私でしたが、思わずレジへ運びました。(2002年頃のお話です。20年経過した今では隔世の感があります)

「お前、五番を聞くのか?聞けるのか?」と自問自答していました。

クライバーの演奏で好きになった「四番」。心は当然前後の交響曲へも向いていましたからためらうことはなかったのですが、自問自答は続きました。そして、、、、。
(to be continued)

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