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これからのクラシック音楽の行く末を問うなら。

Q.クラシック音楽の印象を教えてください。

A.「クラシック音楽って、
結局なにやってるかよくわからない」

「わかる!たまにこれ知ってる!って曲あるけど、曲名長いし、そもそも曲長すぎ!笑」

「癒されるけど、高いお金出して聴きにいくまでではないかなあ」

「そうなんだよね。普通に好きだけど、今の時代動画で無料でみれるし、最近は映像の質も向上しているから、演奏会行かなくても満足するし、生演奏とそんな大差ない気がする」

「クラシック好きと言っても、あんまり会話が弾まない、むしろたまに偏見?の目が...」

「そう、高貴なイメージが逆に気取ってる感じに捉えられがちだよね」

「聴いても難しいし、わからないものを聴くのは演奏者に申し訳ないから遠慮しちゃうな」

どれか一つでも当てはまっていたら、
それがいま現在の日本のクラシック音楽の現状です。 
わたしも、クラシック音楽に興味ない方をお誘いした時に、理解できないと申し訳ないから、ご活躍をお祈り申し上げます〜
と、いわゆるお祈りメールをいただいたことが幾度もあり、その度に

「コンサートの演奏時間を見計らって、私の成功を考えてお祈りしてくれるなんて、なんて親切な方なんだ!」
と思いながら、いつもお越しできなかった方の分まで精一杯の演奏を心がけている。

まず誤解してもらいたくないのだが、全くもってひとつも嫌味ではないし、決してその本人が悪いわけでもない。

クラシック音楽も悪くないし、理解できる人も、できない人も、演奏家もみんな悪くない。

「そもそも知らないやつは、教養がないんだよ。だから理解できるものもできない。」

「クラシックは奥深い世界だからわかるやつだけ聴けばいい。わからないやつは、きっと人生の半分を損しているけれど。」
...とかそういう問題でもなく。

意外ではあるが、日本でまだ140年という歴史しかない、クラシック音楽の定着の根弱さが原因だと最近ふと考えるようになった。

これでも、学生時代から
わたしなりのクラシック音楽普及活動!(仮)は
続いているのだが、
なにかにつけては、

「クラシック音楽という、狭い趣向の注目度も低いのは仕方ないこと」と、半分諦めていたことも事実で、その度に、
じゃあ自分はなぜクラシック音楽に執着し、
一途に好きで活動しているのか?

という疑問さえでてくる。
けれど、今回の新型コロナウイルスの影響が出て、さらに私の中で明確になったのは、

「音楽が人間を助ける術のひとつのツール」

ということが、
ここ何日かで、世間も含め改めて再認識されてきているということだ。
実は、音楽再生数でクラシック音楽の視聴率がこの騒ぎの中少しだけ上がったそう。

いまや、音楽家たちにとって
とてつもない氷河期に入ろうとしている。

どんどん演奏会がなくなり、
モチベーションも下がる一方で、これから、解雇や低収入になる人たちがたくさんでるだろう。私もその1人になる確率だってある。不安だ。

こういう危機的状況になったとき、
人は必ず感情を表に出そうという行動にでる。

イタリアで、ベランダ演奏がニュースでも話題になったが、
あのように、今の状況から抜け出せないしがらみを人と共感する、まさにそれが音楽というツールに繋がる。

クラシック音楽は特に、時代背景、作曲家の人生の色や規定された固定概念は強いものの、
個々がそれぞれ自身のイメージで彩ることができる音楽だ。

そういう音楽が、人が窮地に立たされたときに一番心に響く。震災の時も、音楽が沢山助けてくれた。

しかし、これだけ需要があるにしても、
演者が頑なに原型だけを披露しようとする。
日本人の気質もあるのだろうが、
昔のものを絶えずずっと愛していただくには、
少しずつ新しいものと混ぜていく必要がある。

クラシック音楽の表現の仕方も、時代と共に変化しながら、原型を守っていく手もある。

私はどうしても守りたい。
音楽がなくなってしまわないように、
クラシックを日本でも聴ける環境を壊さないように。
そして、まだ日本でクラシックを必要としている皆様のために。
そして私もまた、音楽で救われた(救われていきたい)人であるから、クラシックをどうにか守っていきたい。

やっとライブ配信などが、ここ1.2週間で普通に開始されるようになり、
みんなが危機的状況を理解してきている。

私も、配信やnoteの発信は絶やさずやっていこうと思う。
騒動が収まった日が来た時に、
クラシック音楽が少しでも、たくさんの人の心に響いておりますように。



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