見出し画像

表向きにほほえむ女神は必ずこぶしを握っている

今日は演奏会でドヴォルザークの交響曲第9番の「新世界」を弾いたのですが、
ゲネプロ(本番前の最終チェックのこと)の際に、指揮者の方が、
「自分の新世界のイメージをお話ししておきます」と、5分程話してくださいました。
ただ、それは私の中でとってもしっくりきて、
もうすぐにでもnoteに書きこみたい!!
と意気込んでいたのですが、
1楽章から文章にすると、ただの指揮者の解説横流しマンになってしまうので、
それは追々書くとして

皆さんが良く知っている2楽章を今回はテーマにお話ししたいと思います。

新世界の2楽章は、よく下校に流れていたあの「家路」という曲です。

『家路』 作詞:野上彰
1.
響きわたる 鐘の音に
小屋に帰る 羊たち
夕日落ちた ふるさとの
道に立てば なつかしく
ひとつひとつ 思い出の
草よ花よ 過ぎし日よ
過ぎし日よ
2.
やがて夜の 訪れに
星のかげも 見えそめた
草の露に ぬれながら
つえをついて 辿るのは
年を老いて 待ちわびる
森の中の 母の家
母の家

イングリッシュホルンが主題を奏でていて、
柔らかく、あたたかいメロディが、とても印象的なこの曲。

(ちなみに、イングリッシュホルンはホルンではなくオーボエの仲間!)

ただ、この曲は全然これっぽっちも綺麗な曲じゃないです。指揮者の方も同じことを言ってました。
 

「え?!こんなに良い曲なのに?!」

誰しもが思いますよね?

ちょっと実際の英語での歌詞と、
日本語訳をみてみましょう。

歌詞(一部)・日本語訳(意訳)
Goin' home, goin' home,
I'm a goin' home;
Quiet-like, some still day,
I'm jes' goin' home.
It's not far, jes' close by,
Through an open door;
Work all done, care laid by,
Gwine (or: Goin') to fear no more.
帰ろう 帰ろう 家路へと
静かなる日々 家路へと
遠からず 近きにあり
いつでも迎えてくれる
仕事も終わり 優しき心溢れ
もう恐れる心配などない
Mother's there 'spectin' me,
Father's waitin' too;
Lots o' folk gather'd there,
All the friends I knew,
All the friends I knew.
Home, I'm goin' home!
私を待ってる父母がいて
沢山の人々が集まる
心ゆるせる友人達
家路へ 家路へ

野上さんの歌詞と、そう変わりないように見えますが、

新世界はもともと、ドヴォルザークがアメリカに行って、新しい土地から刺激を受けて感じたことを祖国に向けて書かれ、
特に黒人の音楽には、祖国に想いを馳せる音楽が詰まっていて、
そこにインスピレーションを受けて書かれた曲はたくさんあり、新世界もそのうちの1つ。

ただ、この歌詞の表面だけみると
家に帰ろう、というとっても良い曲だけれど、

当時(いまでも人種差別は残念ながら残っておりますが)黒人は奴隷として扱われていて、

他人の所有物として取り扱われ、
所有者の全的支配に服し、労働を強制させられていました。暴力なんて日常茶飯事、
それは人間が人間を動物以下として扱う、
すさまじく惨い歴史的事実。

"いつどうなるかわからない不安に襲われながら、今日もまた無事生き延びれた"

彼らは、どうする事もできない日々を
ただ必死に家族や愛する人のため、自分のために耐え抜き、命がけで生きて家路についていたのです。

良い曲なんかじゃない意味がわかりましたよね。
曲調で誤魔化しているだけで、
実は背景にはとてつもない事実が存在してました。

表に上がっている事実が、すべて本当のことを表しているとはかぎらない。

真実は、必ず裏側からみることで、表がどうなってるかがわかります。
ただそれは簡単なことで、
自分自身で事実かどうか確認するということ。

すべてが指ひとつで解ってしまうこの世の中。
真実も、作り込まれたものだったとしても
表面だけみていると直ぐに騙されてしまう。

自分の"目"だけが、自分の真実であり
世の中の事実かもしれません。

でも、まずは下校の音楽はドヴォルザークの2楽章!というのは覚えておいてくださいね!


よろしければどうぞよろしくお願いいたします! noteやミュージックリベラルアーツの活動資金として使わせていただきます⭐️