Write, boy.

田舎の方で暮らしながら、ゆっくりと制作をする。

と言うのは自分の柄じゃない。勿論たまには良いだろう。しかし人生の殆どを東京の真ん中で生きてしまったので、悲しい哉、都会の喧騒くらいが丁度良くなってしまった。シティボウイも終わりを告げて、シティガイ(って言わないのかな)の背中には草臥れた哀愁が程よく燻る。

忙しくしてきた上半期を終えて、いま自分は虫食いだらけのカレンダーを抱えている。(虫はいい、紙を食えるのだから。自分も紙を食えれば少しは楽なのだろうけど。)

そして驚いたことに毎日曲を書いている。

小西遼というのは意識高い系でもなければ、自己マネージメントも碌には出来ない人間だ。だから作曲という行為には何時も、耐え難きを耐え(8月ですね。)、と言うような作業だった。楽しかったことはあれど、楽だった記憶は全くない。自分の未熟さを後悔しながら、絶望しながら書いたことなど枚挙に暇がない。これが謙遜だったら良かったのだろうけど、いやはや、作曲とは絶望だ。井戸に落ちるようなものだ。

そこには何時も光がある。井戸に落ちた人間は、自分の落ちた穴を見上げる。切り取られた空と、そこに現れるであろう救済者の顔を何度も何度も仰ぎ見るのだ。しかし救いなどはない。ここは荒野の古井戸、水もない草葉の陰に佇む井戸など人は見向きもしないのだ。そこで作曲者は思う。血を流して、この手で登り切らなければならないのだと。自らの頭上にある光を目指して井戸を這い上がらねば、と。そして井戸は思うより深い。創作の水脈も、現実のそれと同じ様に。

そして作曲者は光を仰ぎ見ては、幾度もその空の深さに絶望するのだ。

しかし音楽に携わる者、素質こそあれど、熱心な修行僧ばかりではない。そのように見えても、本質、楽観主義的な厭世家のような何処か飄々としたアウラみたいなものを纏っているものだ。音楽家とはそのような根無し草の"軽さ"が元来備わっているように思う。井戸の深さに絶望しながらも、青空仰ぎ見て口笛を吹くような精神がある。

しかし今年の上半期を終えて、気づけば手元には幾ばくかの小銭と、久々に手にする余剰時間が残っている。そうして日々を過ごす毎に気づいたことがあった。それは、再び取り戻した"自分の生活"であった。義理も義務もなく、ただふわりと浮かぶ日常、そこに小さく湧いてる創作の泉であった。自分の意識を蹴り上げて芸術家然と努力する日々とはまるで別物の、自由で、広大な景色であった。

そうして今、自分の思うが儘に曲を書き殴り、連ねている。そこに何の迷いも躊躇もない。日々を重ねる、その狭間に音を積んでいく束の間の幸せを噛み締めている。思えば、自分の祖先は吉田兼好と聞いたことがある。(母方の旧姓が吉田)幾星霜かのDNAを越えて、ミームとしての自分の存在をありありと感じている。そうだ、何もない日々の中にこそ、劇場が広がっているのだ。それは再獲得した時間の中に見出した、ささやかな個人革命であった。

"いつも通る道でも、違うところを踏んで歩くことができる。
いつも通る道だからって、景色は同じじゃない。
それだけではいけないのか。
それだけのことだから、いけないのか。"
-森博嗣、押井守「スカイクロラ」

毎日、最寄駅に歩く道すがら、想う。過ぎた日を、過ぎ去る日を、過ぎ去るこの瞬間を想う。一体今日はどんな日なのだろう、と。

この静かな日々も暫くは続くまい。シティボウイ改めシティガイとしての定めと矜持がある。仰ぎ見る青空のした、空想に広がるモンゴルの大草原には無限の落とし穴があるのだ。そして、いずれくる、その穴に嬉々として落ちて行く作曲者としての信念が、いつも強く心の奥底に迸っている。その衝動なしに曲を紡ぐ価値を、まだ、知らない。

そうして泡沫の日々、束の間の徒然草を楽しみ、音楽を作っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?