第310回/京都のレコードショップで「ピカーン」と来た10月[田中伊佐資]
●10月×日/滋賀で12月公開の「パタパタ漫遊録」の撮影を終えて京都で一泊。もう東京へ帰るだけなので、せっかく来たんだから神社・仏閣巡りでもしてみる。
というようなことを寸毫も考えるはずがなく、例によってレコード屋巡りを行うことにする。
当然、朝からスタートしたいのだが、調べてみると正午以降にオープンする店が多く、午前中をどうするかと思案していたら、同志社大の近く「クレモナ」が11時から開いていることを知った。
京都のレコード店はわりと二条通と四条通に挟まれたエリアに集中するのだが、この店はやや離れている。もしかすると早く開店することでアドバンテージを得たいのかもしれない。間違いなく観盤客にとってこの1時間は大きい。
ビルの3階までの階段を上がっていくと、ドアから漏れている音がどんどん近くなり、初めて行く店の期待が盛り上がってくる。
外から店内の様子を軽くうかがうと、ソニー・クラークの『クール・ストラッティン』が壁に飾ってあるのが見えた。ここでひと筋の光が「ピカーン」と心に射した。
というのも前日、琵琶湖畔で昼食をとろうとなったとき、音楽を流しているような店がいいとジャズカフェ「リールフラン」に寄った。ランチタイムで忙しい時間帯のためだと思うが、レコードプレーヤーはあったが、ホレス・パーランのCDが流れていた。店主に厚かましく「レコードもかけてもらえませんか」とお願いしたら、イヤな顔ひとつせずかかったのがこの『クール・ストラッティン』だった。ディスクユニオンが復刻したBLUE NOTEプレミアム復刻シリーズの1枚だ。
もう久しく聴いていなかったが、やっぱり名盤は名盤、いいなあと深く感じ入るものがあった。
そんなことで昨日の今日で、おみ足ジャケットをまた拝見したのだが、東芝盤が飾ってあるとは思いがたく、近づいて見るとタグには「住所は47 WEST 63rd NYC。Rあり」となっている。
ブルーノートのオリジナル盤は箸にも棒にも掛からないほど高価なため、どういう住所だったらファースト・プレスとか頭に入っていない。店主に訊くと完全オリジナルではないとのこと。だが初期盤であることには間違いない。
盤を見せてもらう。非常にきれいだった。傷は皆無ではないが、うっすらとしたもので音に出そうもない。
ジャケットの表はまったく問題なし。裏は海外FM局のハンコが押してあり、曲の横にFASTとかSLOWとかメモが記されている。さらにB面2曲目「ディープ・ナイト」は赤丸で囲ってあった。僕もこの曲が1番好きだ。ほかはさほど汚れもない。
ただ背がひどく割れていて、タイトルもミュージシャンも判読できない。まあ、それは気にしない。むしろ価格が安くなるからありがたい。
そして最大の懸念事項が価格だ。僕のレコード購入は4ケタ内が基本。よっぽど突出して欲しいファースト・プレスなら1万円代、2万円代の予算を捻出しないこともない。この盤は3の大台に乗ってしまっていた。通常の懐勘定からオーバーだ。だがお買い得のような気もする。
しかしだ。これから何軒か回ろうとしているのに、初っ端に存外の大型予算を投じていいものか。これから他店で掘り出しものが見つかっても、自制しなければならない。これはかなり辛い。
取りあえず、決断を先延ばしにして店を回りながら熟考し、これといって収穫がなければまた戻って来る手もある。
僕はさりげなく後ろを振り返った。自分より年輩の紳士が盛んにジャズコーナーで手を動かしている。土曜日の朝っぱらからスーツ姿。やはり京都出張の帰りだろうか。ジャケットを送る手つきからいって、なかなかのマニアっぽい。
僕がこの有名盤を手にとって逡巡している姿は、視界に入っているし、店主との会話も聞こえているはずだ。ひとまず保留にして僕が店を出たとする。同好の士が気にしている盤はなにかと興味深い。おそらく紳士はその1分後には、同じように手にとってじっくりと確認するだろう。
立ち去った瞬間ではえげつないので、1分くらいは間を置き「あれ、こんなところにあった」と、さもいま気づいたかのようなわざとらしい立ち振る舞いをすることが目に浮かんできた。マニアは人が元に戻した瞬間にガツガツと近づくようなことはしない。
僕としては、紳士がさっさと買い物を終えて先に立ち去ってくれれば、少しは安心して店を出られる。だが、氏の物色は終わらない。いや、ヤツは手を動かしているものの、目が泳いでいる。僕がスルーして出て行くのを静かに待っている。間違いない。
「これは壁に飾ってから、どれくらい経っていますか」
店主に尋ねてみた。もし1か月や2か月も経っているなら、あと5時間くらいはそのままになっている楽観的な予想ができなくもない。
「2週間、いや10日くらいですかね」
これは危ない。まだ日が浅い。土曜の午後となれば、これからお客さんも多い。
しかし妄想を含めてなんだかんだとウジャウジャ考えている自分にだんだん嫌気が差してきた。
まず見た瞬間にピカーンと来た。そんなピカーンな出会いを求めて店へ通っている。その衝動に身を任さないで、お前はいったい何を探しているのだ。もう行くしかない。覚悟を決めた。
勘定を終えてから店内を見ると紳士はいつの間にかいなくなっていた。いざ自分のものになってしまうと、そもそも氏はまったくこのレコードに興味がなかったようにも思えてくる。
それから「クレモナ」を出て「100000t alonetoco」「WORKSHOP records」「pocoapoco」を回ってから、京都BALで行われている販売イベント「第4回オンガクマニア in 京都」に足を運んだ。
もちろん欲しいものは何枚かあった。だが『クール・ストラッティン』が、ピカーンを遮光して、それから帰りの荷物は1枚も増えなかった。
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田中伊佐資(たなかいさし)→Twitter
東京都生まれ。音楽雑誌の編集者を経てフリーライターに。近著は『大判 音の見える部屋 私のオーディオ人生譚』(音楽之友社)。ほか『ヴィニジャン レコード・オーディオの私的な壺』『ジャズと喫茶とオーディオ』『オーディオそしてレコード ずるずるベッタリ、その物欲記』(同)、『僕が選んだ「いい音ジャズ」201枚』(DU BOOKS)『オーディオ風土記』(同)、監修作に『新宿ピットインの50年』(河出書房新社)などがある。
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