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自分の目でしか見れない、自分の耳でしか聞けない

最近、発覚した事があります。

今更ながらな気づきに、自分でも驚いたのですが、私は聴覚過敏です。

とはいえ軽度で、無意識で自分でコントロールしながら日常生活を送る事ができていました。

多くの無秩序な音が同時になっている状況が耐えられず、だから、小学校や中学校の、ワイワイとみんなが大騒ぎしている教室は本当に辛かったです。

どの様にコントロールしてきたかというと、耳を塞ぐのではなく、感覚的に閉じていたのです。

なので、いつも自分だけ離れた場所にいる様に感じていました。

みんながガラス張りの向こうにいる様な、あるいは自分だけ雲の上にいる様な感覚でした。

みんなが何で笑っているのか、何で怒っているのか、耳を閉じているのではっきり聞き取れず、傍観していたのです。

多くの騒音に溢れた学校という場所が、とても生きづらく、キツかったです。

大人になって、友達のセラピストさんにその頃の話したら、離人症だったのかもよ?と言われて驚いた事もあります。ほとんどの人はそんな感覚がなかったのだと、そこで初めて知りました。

なぜ突然、自分の特性に気づいたかというと、久しぶりに、多くの無秩序な音が鳴り響いている環境で、しかも耳を開いていないとならない状況が2回続いたからです。

大した労働をしたわけでもないのに、翌日も半日くらいぐったりしていて、近くにいた先生に「音に疲れてますね。」と言われた事で、全てが繋がりました。

そういえば、もっと小さい時は掃除機の音や、石焼き芋屋さんの音がキツくて泣いていたなぁ。

その後、母親に「私、聴覚過敏かも」と子どもの時に感じてた乖離感や孤立感を話したら、

「言ってよ!そしたら、その時に病院に連れて行けたのに。ずっと辛かったんだね。」

と言われました。

でも、自分以外の耳で聞いた事がないから、自分の異常は分からないよね。

私は人と音の聞こえ方が違うかもしれないなんて思いもつかないし、今だって他の人にどんな風に聞こえているのか分からない。

ただ、その頃に、

「私から見えている色が、他の人も同じ色に見えてるか分からない。もしかしたら、1人ずつ目に違う色のフィルターがかかっていて、全員違う色に見えているのに、これを緑を呼んでるのかもしれない。でも、それは確かめようがないよなぁ。」

などとよく考えていたのだけど、まさか自分の耳にそれが起こっていたとは。。

今は発達障害という認識も広まっていて、支援環境も昔よりも整っているけれど、もしかしたら、他からは気づけないレベルの不自由さを抱えて、生きづらい子は意外と多くいるのかもなぁと思いました。

自分に理解できない生徒がいる時に、代わりに体験できないから本当の理解は難しいのだけど、でも理解できない事があり得るという事を認識して、寄り添う事が大事なんだろうなと思います。

正解かどうかは分からなくても。

しかし、あの頃の辛さの原因は耳だったのかぁ。心の問題だと思っていたので、ちょっと気持ちが楽になりました。

田中素子


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