見出し画像

タクシーからの風景 ~望郷

青山通りで、おばあちゃんを乗せた。もの静かな、品の良いおばあちゃんであった。
行き先はちょっと離れたところで、昼間の客としてはまずまずの距離であった。

おばあちゃんのお客さんは、話しかけてくることが多い。
このおばあちゃんも、なんとなく、といった調子で話しかけてきた。
「今日はなになにをしに青山に来た」「電車で帰ってもいいのだが、歩くのが大儀だ」と、たいていの話題は似通ったものである。

ところが、どうも気になることがあった。 
言葉のイントネーションに、妙に懐かしいものがあったのである。
そこで、「たいへん失礼ですが、関西ご出身ですか?」と聞いてみた。 
すると、東京に来て、もう40年ほど経つが、もともとは関西の出身だと言う。
「そうですか。私も関西の出身なんですよ」と言うと、「あらまあ、どちら?」と聞いてきた。

そこで僕の出身地を教えると、なんとこのおばあちゃん、僕の実家の隣町出身なのであった。隣町どころか、僕の実家からほんの数百メートルしか離れていないところに住んでいたのである。残念ながら、僕が今の実家に移り住む以前に上京したようで、郷里ですれ違った可能性は低そうであった。

しかしそれから、想い出話に花が咲いた。

「厄神さん」の縁日、「かぶと山」の初日の出登山、「仁川」で遊んだこと、学校帰りの畑のビワやザクロを取って食べたこと、などなど。
僕とは30歳ほど歳が離れていたのだが、彼女が女学生の時分にしていたことは、僕が子供の頃にしていたことと、まったく変わらなかった。
「あたしは、学校イチのおてんばやったからねぇ……」
おばあちゃんはそう言い、「オホホ」と笑った。

目的地に着き、料金の支払も済んだあともなんだかやめられなくなり、さらに15分ほど、ただの想い出話にふけってしまった。

最後に「あらまあ、お仕事中に時間を取らせちゃって、ごめんなさいね」と笑いながら、おばあちゃんは車を降りていった。

なんだか、仕事なんて、どうでもよくなったのであった。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。