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AクラスでもBクラスでも、目の前の試合に向き合ってゆく【8/30中日戦●】

修行である。胆力が試されている。おそらくこの修行を終えた時、私たちは悟りの境地に達するのである。

つまりある日、1-3の時点でお風呂に入り、上がって速報を見た時1-7になっていたとしても、もはや驚きもしないという精神も手に入れる。「ふむ、なるほど」と、私は思う。「今日はそうきたか」と。

1点差や2点差のリードでは「このままで終わるわけがない」と悟っている。そう、数々の修羅場をくぐり抜けてきたのだ。多くの逆転と数え切れないサヨナラを目にしてきたのだ。それくらいのことは小学生にだって学ぶことができる。

「お手上げ」である。こうなると、あの胃をキリキリと痛めながら応援した日々すら懐かしく思える。

でも画面越しに、とても辛そうな投手の顔が映る。なぜか見ているこちらの心は痛む。1-7になっていたとしても、驚きもしないのに。それは「今日はそうきたか」という展開のはずなのに。

ヤクルトの自力優勝の可能性はなくなった。順位争いどうこうという状況でももう、なくなってきた。

だけどふと、去年順位が確定した後にぐっちが言っていた言葉を思い出す。

「CSが決まって周りからは調整という声も聞こえるんだけど、選手はそのつもりはありません。143試合、同じ1試合です。なんら変わったことはありません」

多分これは、勝つ時も負ける時も同じだ。Aクラスにいる時もBクラスにいる時も同じだ。

96敗したあの年、もうすっかり最下位が確定している試合で、ぐっちがお立ち台に立った試合を今でも覚えている。あの日神宮のファンは、もう優勝したんじゃないかというくらいに大喜びだった。息子は、隣にいたおじさんにぐっちのキーホルダーをもらった。お祭りみたいな盛り上がりの中、私はこのチームを好きになってよかったな、ぐっちを好きになってよかったな、と、そう思った。

たぶんあれは、あの日の神宮の空気は、私の原点みたいなものだ。

優勝しようがしまいが、最下位になろうがならまいが、勝った時に喜ぶ選手たちを見るのはうれしい。そして打たれて辛い表情を浮かべるピッチャーを見るのはやっぱり辛い。だってその人たちが、好きだからだ。それはとてもシンプルな理由だ。

もちろんリーグは優勝を目指して戦う。だけどそれだけでは語れない、そこにある順位だけじゃわからない、たくさんの物語がそこにはある。きついけれど、しんどいけれど、もう全部投げ出したくなる時もあるけれど、まあでも最後まで、今シーズンも応援していこう、と、今日も思う。同じ試合を、全力で戦う人たちを、応援していようと。目の前の試合一つ一つに、勝てるように祈りながら。

できれば明日から全部勝ってくれるといいなと、真顔で思いながら。


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