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去年の悔しさも、新しいプレッシャーも、全部バットに乗せて【6/2練習試合 中日戦○】


プロ野球はあくまでも「興行」だから、そこにいるはずのお客さんがいない中での試合というのは、それはやっぱり「非常時」なのだろう。「あるべき姿」ではないのかもしれない。でもそれでも、テレビの画面を通してだとしても、野球が見られることそれ自体が、とてもとてもうれしい。

なんだってこういう、一番シンプルな基本の気持ち、みたいなものは忘れちゃいけないよな、と思う。野球が(どれほど負けようが負け続けようがとにかく)できること、見られること。それは例えば、子どもたちが(どれだけ宿題をしなかろうが喧嘩ばかりしていようがとにかく)元気に生きてくれること、学校に通えること。そういうのと同じように、つまるところ何よりも、大切なことなのだ。

それに「無観客」の中で響くボールの音の迫力は結構良いものだな、と思う。村上くんがホームランを打った瞬間に響いたものは、やっぱり特別な音がした。あと、耳をすませばなんと鳥の鳴き声まで聞こえて来るではないか。つばくろうではない。本当に鳥だ。だいたいつばくろうは鳴かない。応援団ではなく、「チュンチュン」という音をバックに行われる野球。平和だ。

誰もいないスタンドを前に、ぐっちが打席に立つ。あの、いつものフォームだ。そうそれは、「いつもの」、美しい、神宮に映える、フォームなのだ。そして、「いつものように」、ぎりぎりまで見極めながら、すっとボール球を見送る。次にバットに当てたボールは、小気味良い音を立てて、レフト前に飛ぶ。隣の息子は、私が騒ぐことを見越したようにさっとねこのところに逃げる。

「ねえ!!!!ぐっち!!!!!ぐっち打ったあああああ!!」と叫ぶ私に「はいはいよかったねえ」と、息子は笑う。ねこは迷惑そうな顔をする。

てっぱちが着るヤクルトのユニフォームは、やっぱり別格だ、と思う。そのままどうかそこに立っていて、と思う。

エイオキのキャプテンマークは、とてもささやかに、でもなかなかクールな顔をして、腕のところで光っている。すてきなロゴだね、と息子と言い合う。すてきだ、とてもすてきだ。

村上くんは、もうずっと前から4番を打っていましたというような顔をして、打席に立つ。思い切りよく振ったバットに当たったボールは、しっかりライト前に飛ぶ。20歳で、あらゆるものを背負いながらそこに立つ、そのプレッシャーだって全て、バットで振り切っていく。そのたくましい背中に、今年もつい、夢みたいなものをのせてしまう。

ぐっちがいて、てっぱちがいて、エイオキがいて、村上くんがいる。去年とも、一昨年とも、また少しだけ違うこの形が、今年「しっくりくる」といいなと思う。もちろん、あらゆるものは形を変えていくわけだけれど、シーズン中だって打順はまた変わるわけだけど(去年も一昨年も変わっていったわけだし)、でもだからこそ、この今の形を、私にとってはちょっと夢みたいな打順を、できるだけ長く見ていられたらなと、そう思う。

去年、たくさんたくさん悔しい思いをした人がいる。鋭い言葉は、あたたかい言葉よりもたくさん聞こえがちだ。「人前に出る」仕事をする人たちは、いつもその言葉とも戦っているかもしれない。

でも「批判の批判」をせず、静かに、バットを振り続ける、腕を振り続ける。私はたぶん、そういう人が好きなのだ。

去年1年間のぐっちの痛みがどれほどのものだったのか、もちろん想像することさえできない。でもとにかく、その一年があった上で、そこに戻ってきてくれたぐっちが、今年また活躍できますように、と、ただここで、ひたすらに祈っている。「いつもの」その景色に、しっかり馴染んでくれる、その姿に。

そして開幕までしっかり、待ち焦がれた人たちにとってもまた、今年が素晴らしいシーズンでありますように。また泣いたり笑ったりしながら、野球を思いっきり楽しんでいけますように。

どうか誰も怪我をしない、良いシーズンになりますように。

…ぜいたくを言えば、96敗とか16連敗とかはしませんように。


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