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何をやってもうまくいかない時は、誰しもあるけれど 【5/30広島戦⚫️】

ライトフライを打ち上げた青木は、悔しそうにバットを投げた。その表情は外野からは見えないはずなのに、気持ちの全部がこちらにまで届いた気がした。

そんな悔しそうな顔しないでよ、と私は思う。

感情なんてなくしてやろうと思っていたのに、悔しいと思ってしまうじゃないか。嫌いになってもいいやと思ってたのに、応援したくなってしまうじゃないか。なにも感じまいと思っていたのに、好きだと思ってしまうじゃないか。

何だ、私は今日もこの人たちに騙されるのか。

続くてっぱちがファーストゴロに倒れ、ツーアウトになり、またもや「ノーノー」が頭をよぎった瞬間、村上くんは今日初めてのヒットを放った。

ライトスタンドは大盛り上がりで、私たちは周りの人たちとハイタッチをした。十数連敗中の、すでに11失点をしながら、こちらは1本もヒットを打っていなかった試合で、初めて出た19歳が放つヒットに、大喜びしていた。

・・・何だ、私は今日もこの人たちに騙されるのか。

そんなにとんでもなく悪い何かがあるわけじゃない。明らかに不調の要因となるものがあるわけじゃない。そりゃまあ先発投手にはもうちょっと頑張ってほしいけれど、だからと言って野手ばかりが頑張っていたわけでもない。そもそも0-13で負けた昨日は投打がかみ合っていたじゃないか(しばし無言)

プロから見れば色々あるのかもしれないけれども、とにかくライトスタンドから見ている限りは決定的にこれがだめなんだ、というものは思い浮かばない。本当にいろんなことが、ちょっとしたズレが、噛み合わなさが、ここまでずるずると続いてしまっているのだなという感じがひしひしとする。

そしてそういうことはやっぱりいつだって、誰にだってあるのだろうと思う。

決定的に何かが悪いわけじゃないけれど、何をやってもうまくいかない。という時期は誰にでも、何にでもある。でもいつだって一番大切なのは、そこでくさらないことだ。ふてくされないことだ。その時にもなお、静かにバットを振り続けることだ。たぶんそれができた人にだけ、道は開けてゆく。

子どもたちはおかげさまで、驚くくらいに負ける試合を目の前で見続けている。なかなかに、ハードな5月を過ごしている。でもやっぱり今日もむすめは「まあ、まけたけどたのしかったね!ままのおともだちにもあえたしね!!」と言う。息子は今日も、かわいいジュース売りのおねーさんを見つけて嬉しそうに駆け寄って行く。(あれはちょっとした恋なんじゃないかと思うけれどももちろん黙っている)

ごく当たり前のことなのだけれども、子どもたちは、目の前で行なわれている試合と、自分たちの存在を、別のものとして捉えているのだな、と思う。もちろん勝てば嬉しいし、負ければ悲しいけれども、まあでも、ヤクルトが負けてもジュース売りのお姉さんはかわいいし、傘を振るのは楽しいのだ。

自分ではどうにでもならないことは誰しもある。どれだけ打っても勝てない日も、どれだけ守っても負ける日もある。毎日のように応援し続けてもそのチームが毎日のように負け続けることもある。でも、それは仕方がない。それは、その時点では、自分一人ではどうすることだってできないことだから。野球は個人競技でなくチームプレーだし、私は選手ではなく一ファンなのだ。

それでも、長い目で見た時に、選手個人がここで踏ん張ったことは、いつか何かの形で、チーム全体に還元されてゆく。そしてファンが痛みにじっと耐えたことは、いつかそのファン自身の人生において、何かの彩りときっとなってゆく。

何かの修行なのかと思いながら、私はまたヤクルトの試合を見る。ここまできたら、連敗脱出の瞬間を見逃すわけにはいかないからね。(何だ、私は今日もこの人たちに騙されるのか)




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